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ずっと涼ちゃんが愛おしいすぎるもちきはまぁ、うん、なにか黒いもん持ってそうw
2週間後。
大森さんの予約は今日もすんなり取れた。
「また来たんだね」
鏡越しに笑うその目がいつもより少しだけ暗く見えたのは、照明のせいだと思った。
「はい。あの、なんか、こうしてると落ち着くので……」
「そっか」
指が髪をすくい、ハサミの冷たい刃が耳元を掠める。ぞくりとした感覚に、僕は思わず息を呑んだ。
「大丈夫?」
「は、はい。くすぐったくて」
大森さんはふっと笑うと、そのまま僕の耳に少しだけ指を這わせた。
「耳、触ると敏感そうだよね」
「えっ、え、そうですか?」
ドキドキして、鏡越しに目を合わせられない。
……でも、ちょっとだけ、嬉しかった。
帰り際大森さんがぽつりと言った。
「次も、予約取れるといいね」
「え?」
「この時間、最近ちょっと埋まってきてるから。もし取れなかったらLINEして」
「LINE……」
戸惑う僕に、彼は名刺の裏に自分のIDを書いて手渡してくれた。
「変な意味じゃないから。すずかさんなんか見てて不安になるタイプだからさ」
「え?」
「何でもない」
彼は笑った。何でもない、の口ぶりじゃなかった。
_____________
その夜。
自宅でカーディガンを脱ぎながら僕は美容室の名刺を机に置いた。
スマホを手に取って、大森さんの名前を検索する。もう何回目か分からない検索履歴。
──ちょっと気になるだけ。
でももし、少しでも彼が僕のことを見てくれてたら。
なんて思っていた。
そして気づかずにいた。
僕の部屋のカーテンの隙間から、ずっとこっちを見ている視線に。
その封筒は、雨の日に届いた。
ぺた、と少しだけ湿った感触。差出人もなく、薄茶色の封筒。ビニールにすら入っていない無防備さが逆にぞっとする。
中には数枚の写真と文字。見慣れた通勤ルート、図書館の入口。そして、自分が鍵を開ける後ろ姿――背中越しに何かを見ていたような、そんな不気味な角度。
(……まただ)
最近、頻繁に差出人不明の封筒が届いていた。
最初はうれしいと思っていたけどこれで五通目になる。如何せん不気味だ。
ポストに入っているのはいつも帰宅時。
どんな時間に帰っても、「その日の最後の一通」として、封筒だけがひっそりと落ちている。
今回は写真の裏に文字が書かれていた。
「涼架くんの横顔世界で一番好き。今日のネクタイ、よく似合ってたよ。次は赤色が見たいな。」
(……誰?)
息を呑んだ。
手が震える。写真は自分を撮ったものだけれど、いつ・どこで・誰がという情報がまるでない。
(こんなの……警察に行くべき……?)
でもなぜか通報する気にはなれなかった。怖いけれど、妙に「優しさ」を感じてしまう自分がいた。
「ネクタイ似合ってた」とか、「横顔が好き」とか、そういう褒め言葉に、ほんの少しだけ癒されている自分がいた。
(こんなの、ダメなのに)
手紙に使われている便箋の端がうっすらと香っていた。甘いような、落ち着くような、どこかで嗅いだことのある匂い。
けれど、思い出せない。
_____________
2週間後。
「すずかさん、今日はネクタイ赤色だったんですね」
「え?あ、はい。たまには違う色もいいかなと思って」
「……とても似合ってましたよ」
そう言って大森さんは静かに笑った。その目の奥に、言葉にできない何かが宿っていた。
(なんで知ってるんだろ)
美容室に来る前に、ジャケットは脱いでネクタイも外していた。
あれは仕事の服。今日の自分を知ってるはずなんてない。
でも、ふと気づいた。
この店に来るたび、大森さんは「僕のその日の行動」や「選んだ小物」に驚くほど詳しい。
「涼架くんって本当に本が好きですね」
「昨日本屋大賞受賞された作家さんがサイン会してましたよね」
「最近通ってるカフェ雰囲気いいですよね」
(……なんで、知ってるの?)
喉の奥がきゅっと締まる。
だけど不思議と「怖い」と思わない。むしろ、心のどこかで「見てくれてる」ことに安心している自分がいる。
(それって、やばいのかな)
シャンプー台で目を閉じる。大森さんの指が頭皮を撫でるたび、頭の中が真っ白になる。
どくん、どくんと心臓が脈を打つ音が耳の奥で響いていた。
_____________
帰宅後。ポストを開けるとまた手紙が入っていた。今度は、便箋にさらさらと文字が綴られていた。
「今日の水色、とても綺麗だった。ちゃんと似合うって伝えられてよかった。涼架くんのペースで、焦らずにいてね。
ずっと見てるから。」
(……やっぱり僕の知ってる人なの?)
でも誰?
一人、部屋に戻ってコートを脱ぎ、鏡の前でネクタイを緩める。赤色のネクタイ。そのままそっと外して眺める。
(ねえ、どこから見てるの?)
問いは誰にも届かない。
けれど部屋のどこかから、静かに笑う気配がした気がして、藤澤は肩をすくめた。
(気のせい、だよね)
_____________
図書館の休憩室で今日も僕はこっそりスマホを開いた。
大森さんの美容室の予約ページ。明後日の午前の枠がぽっかり空いている。
(…入れていい、よね)
誰も見てないのを確認して、名前を打ち込む。
「藤沢 すずか」本名じゃない。ほんの少しだけ字を変えてある。
「これはストーカーじゃない」って思ってた。思ってる。……思いたい。
だって、好きな人の仕事の邪魔はしてないし、SNSも鍵つけてるし、迷惑かけてないし。
ただ、見てるだけ。
けど、たまに夢に出てくる。
ベランダに干してた黒いTシャツ。洗剤のにおい。スマホ越しの笑顔。全部、僕だけが知ってる気がして、嬉しくて、少しだけ怖い。
(でも、大森さんは僕のことなんて)
そのときLINEの通知が鳴った。
大森:次も眉整える? そろそろ形キープしたい頃だと思って。
──ドクン。
眉……?え、なんで知ってるんだろう。
前回からまだ2週間も経ってない。
スマホを持つ手がじんわりと熱くなってくる。でも怖くはない。不思議と。
お願いします。いつもありがとうございます。
震える指で返信を打つ。
_____________
美容室の鏡の前。
「……ねえ」
カットの途中、大森さんがぽつりと呟いた。
「最近、夜遅くまで起きてるでしょ」
「え……あ、は、はい。よく寝落ちして」
「SNSの更新止まったの、2時過ぎだった」
一瞬、思考が止まる。
(あれ、鍵アカウントなのに)
「……見て、くれてるんですね?」
(……あれ?)
僕は……今、何にドキドキしてるんだろう。
_____________
家に帰ってポストを開けると、そこに封筒が入っていた。
中には、大森さんが好きそうな香水の試供品と小さな便箋。
「好きな人に似合う匂いだな、って思って。貰いすぎた分おすそわけです」
差出人の名前はなかった。
だけど、この匂いは──
この前、大森さんの首筋からふわっと香ったものと、同じだった。
(……え)
それが偶然じゃないかもしれないと思うまで少しだけ時間がかかった。
でも「気のせい」だと思うことにした。
その日もポストに手紙は届いていた。便箋の色が淡いピンクに変わっていた。いつもとは少しだけ違う香り。ラベンダーのような、白い花のような匂いがかすかに漂う。
文面は変わらず優しい。
「今日もお疲れさま。図書館で棚を直す姿、すごく素敵だったよ。無理しないで。あなたはちゃんと、見てる人がいるから。」
(ありがとう……)
心の中で呟いて、ふと手が止まる。
(お礼、言った方がいいのかな)
声に出せない感情が喉の奥にずっと引っかかっていた。もしかしたら、この人は本当に悪い人じゃないのかもしれない。
怖い。でも優しい。
知らない。でも、知っていてくれてる。
わけがわからない矛盾の中で藤澤は一枚だけ便箋を取り出した。
「こんばんは。いつも手紙、ありがとうございます。
怖いと思うこともあるけど優しい言葉に、ちょっとだけ助けられてます。
……誰かは、わかりません。でも、ありがとう。」
書き終えた便箋をそっと封筒に入れる。差出人も宛先もない。
ただ、これを明日の朝ポストの中に「落としておく」だけ。
(誰かが見つけてくれるかも)
淡い期待とほんの少しの震えを抱えて、藤澤はその夜を眠った。
_____________
翌週、美容室。
いつもと同じ香り。いつもと同じ笑顔。いつもと同じ、大森さん。
「今日はカラーと毛先のトリムですね」
「はい、お願いします」
何気ないやり取り。だけどふと、視線が絡まった。鏡越し、大森さんがじっとこちらの目を見ている。
「……最近、何かあったんですか?」
「えっ?」
「少し、疲れてるみたいに見えたので」
(……え)
ほんの一瞬心臓が跳ねた。だって、最近の自分の状態を知ってるような言い方だったから。
でもすぐに首を振る。
「だ、大丈夫です。ちょっと寝不足で!」
大森さんはにこっと笑って、手を動かし始めた。
「無理しないでくださいね」
その一言があまりにもあの手紙の言葉とそっくりで藤澤は思わず手元を見た。
(……まさかね)
そんな偶然いくらでもある。あの人が彼だなんて、そんな都合のいいこと、あるわけが、
(でも、あの香り)
大森さんの手から、うっすらとあの封筒と同じ匂いがした気がした。
ふとした瞬間、彼の手首の内側に小さなインクの汚れが見えた。
_____________
手紙の返事が届くことはなかった。
けれど――その週のポストには、赤いリボンで結ばれた小さな箱が届いていた。
中には、赤色のネクタイピンと折りたたまれた一枚の紙。
「よく頑張ったね。涼架くんの言葉、ちゃんと届いたよ。こちらこそありがとう。君が誰に言葉をかけたか、気づいてくれて嬉しい。
これからも、君の一番近くにいるのは僕だから。」
(……?)
それが何を意味するかなんて藤澤は考えようとしなかった。
ただ「ありがとう」の言葉が通じ合ったことが嬉しかった。
怖さよりも――嬉しさが、勝ってしまった。
_____________
図書館の閉館作業を終えた帰り道。人気の少ない小道にかさりと風が吹いた。
首元に感じる、微かな視線。
(……誰か、いた?)
藤澤は足を止めて後ろを振り返った。
街灯に照らされた歩道には、自分の影しかない。
「気のせい、だよね」
小さく呟いて歩き出す。ポケットの中で鍵を握る指先が、少しだけ汗ばんでいた。
_____________
「ねえ、最近変なことなかった?」
同僚の司書、佐久間が休憩室でそう訊いてきたのは数日前のことだった。
「変なこと?」
「帰り道、後ろつけられてる感じしない? この間なんて角に男の人立っててさ……」
「え、本当に? 怖っ」
「うん。でも、気のせいかもしれないけど……」
藤澤は笑って首を傾げた。
「うーん、僕はあんまり。何も感じてないなあ」
「そう? 涼架って鈍感なとこあるからなあ」
冗談めかして言われたその言葉に、藤澤はむしろほっとして笑った。
(やっぱり僕が気にしすぎるだけかも)
_____________
その夜、帰宅してポストを開けると小さな紙袋が入っていた。
白地に赤いリボン。中にはまた写真。
今度は自宅マンションのエントランスの写真。エレベーターの前でスマホを見ている自分。傘をたたむ瞬間。バッグの中を探る後ろ姿。
(……これは、完全に、僕)
汗が背中を伝う。喉が乾く。誰かが間違いなく「すぐ近く」で、自分を見ていた。
封筒には何も書かれていない。ただ一枚、写真の裏に走り書き。
「雨、ちゃんと拭いた?
風邪ひかないようにね。」
(どうして知ってるの)
藤澤はゆっくりと座り込み玄関の床に手をついた。でもやっぱり通報という選択肢は浮かばなかった。
それよりもずっと、自分のことを「見てくれている」誰かに対する奇妙な安心感が勝ってしまっていた。
(この人が、誰なのか知りたい)
その気持ちはまるで喉の奥に刺さった魚の骨のように抜けなかった。
_____________
数日後の美容室。
「お疲れ気味ですね、涼架くん」
「え……?」
自然と呼び方が「すずかさん」ではなくなっていた。
でも、それが不思議と心地よく感じてしまって、訂正する気にならなかった。
「最近、変なことなかったですか?」
静かなシャンプールーム。天井のライトがぼやけて、泡の音がやけに耳に残る。
(え、なんで……)
「何か、あったの?」
そう言いながら、大森さんは耳の後ろを丁寧に撫でるように洗ってくれた。いつもよりずっと、優しくて、柔らかくて――
(……まるで、全部知ってるみたい)
けれど彼が自分の周囲で何かしているはずがない。だって大森さんは「美容師さん」だ。ただの。でも
_____________
帰宅後のポストにはまた写真が入っていた。今日の自分の後ろ姿。美容室の帰り道。
青いシャツに、シルバーのトートバッグ。髪をかき上げる横顔。その裏にまた一言。
「今日も綺麗だった。ずっと見てた。」
そしてもう一枚。別の写真。
図書館のカウンターにいる自分を、まるで「職員スペース」から撮ったような写真
(入れないはずなのに…)
――その場所に入れるのは、司書、つまり職員だけだ。藤澤はその写真を見つめたままふらりと座り込んだ。
手が震えていた。
そして、なぜだか思い出した。
大森さんの左手の甲、うっすらと図書館の除籍印ついていたことを。
(まさか)
けれど首を振る。
「まさかね」
言い聞かせるように笑う。そう「まさか」なんてあるわけがない
彼はただの美容師で、優しくて、笑顔が素敵な、僕のお気に入りの人。
だから全部気のせいだ。
でもその夜、寝る前にスマホを見るとSNSに鍵も何もかけていない自分のアカウントに匿名でDMが届いていた。
次の髪型も、楽しみにしてるね。
_____________
その日もポストには手紙が入っていた。
「図書館で話してた佐久間さん。あの人、君に気があるのかな?もう少し警戒した方がいいよ。
君のこと全部わかってるのは僕だけだから。」
(……どうして、知ってるの)
佐久間と話したのはほんの数分。カウンターの奥の隅で、他の利用者には聞こえない声量だった。
「最近、誰かにつけられてる気がするんです」
「え? 誰に?」
「わかんないんです。でも帰り道とか、ポストとか、なんか変で……」
佐久間は最初驚いたように目を見開いた。
けれど、次の瞬間には笑っていた。
「えー、気のせいじゃない? 涼架、ちょっと過敏になってない?」
「でも、ポストに写真が入ってたり――」
「ほらまた! そういう都市伝説的なやつでしょ。最近ネットの見すぎじゃない?」
冗談混じりの声。笑う声。
否定されることがこんなにも怖いなんて、思っていなかった。
「本当にあるんだよ……」
小さく呟いた声は、誰にも届かない。
その日のお昼休み勇気を出して別の同僚、渡辺に話してみた。
「本当にポストに入ってたんだよ。写真とか、手紙とか。DMも来て……」
渡辺は真面目な顔で聞いていた。
けれど途中から少しずつ目線が泳ぎ始める。
「藤澤さん、もしかしてちょっと疲れてるのかも」
「違うよ、本当にあるんだ。僕のスマホ、見る?」
「ううん、いい。信じてるよ。うん…信じてるけど、あんまり思いつめすぎないでね」
信じてるけど
その言葉は、残酷なくらい何も信じていなかった。
(どうして……)
今、こうして話している最中にも誰かが、どこかからこのやり取りを見ている気がした。
壁の隙間。書架の間。窓の外。
誰もいないのに「いる気配」だけが濃くなる。
_____________
帰宅後、いつものようにポストを開けると中には何もなかった。
珍しい。久しぶりに何も入っていない日。
(あれ、ちょっと安心するかも)
そんなことを思った瞬間、携帯が震えた。
DMの通知。
匿名のアカウントからたった一言だけのメッセージ。
「信じてもらえなかったね。」
(……え?)
瞬間、全身が凍りつく。誰にも話していない。唯一相談したのは佐久間と渡辺の2人だけ
そのやりとりを見ていたということになる。
(どこから、どこまで……?)
誰にも見られていないと思っていた。図書館の奥。監視カメラのない場所。
そのはずだった。けれど、その内容まで知っているということは
(誰かが、すぐそばに……)
_____________
美容室の日。
「すずかさん、疲れてます?」
「……最近ちょっと寝つきが悪くて」
「何か、あったんですか?」
大森さんの声はいつもと変わらず優しい。だからこそ、うっかり口を滑らせてしまいそうになる。
「……ストーカー、みたいな人がいるかもしれなくて」
鏡越し、大森の手が一瞬だけ止まる。
けれどすぐに元通りの動きで髪を整え始めた。
「怖かったですね。でも、大丈夫ですよ。僕がついてますから」
その一言に、ぞわりと鳥肌が立った。
何も言えず、藤澤は目をそらした。
_____________
そして家に帰ると、ポストにはまた封筒。中に入っていたのは――
「自分と大森が、美容室で話している瞬間を真横から撮った写真。」
「今日も、よく似合ってた。鏡越しじゃなく、直接見れてよかった。
それに……君の不安そうな顔も、すごくかわいかったよ。」
写真はスタッフ以外立ち入れない場所から撮影されていた。
(……こんなの、誰が)
頭の奥で誰かの笑い声がした気がした。それは遠くて、優しくて――
でも確かに、自分を嘲笑っていた。
_____________
場面転換多くてすみません