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リビングにはビル・エヴァンスのジャズがかかり、私は満腹になってポーッとしながら世界の絶景番組を見ている。
……と、先日帰宅した時も尊さんはビル・エヴァンスをかけて、窓辺で考え事をしていたな、と思いだした。そして『三日寝かせる』とも。
「……あの、すっかり失念していたんですが、先週末に言っていた事は……」
「……ん」
尊さんは返事をし、私を見て切なげに笑ってから切りだした。
「先日、宮本が今住んでいる場所を知った」
「…………っ」
その言葉を聞いた瞬間、全身から血の気が引いたような感覚になり、ぞあっと鳥肌が立つ。
縋るように尊さんを見たけれど、彼は表情を変えていない。
(尊さんは動じてない。もう結論を出したんだ)
そう思った私は、ドキドキ高鳴る胸を押さえて彼を見つめる。
「……会いに行くんですか?」
「先に伝えたいのは、宮本とやり直す気持ちはいっさいないという事だ。彼女はすでに結婚し、広島で幸せに暮らしている」
それを聞き、私はホ……ッと息を吐いて強張っていた体から力を抜く。
「先週末、風磨から宮本の身に何があったのかを聞いた。十年前、彼女は俺の前から何も言わずにいなくなった。俺は怜香の仕業だろうと見当をつけていたが、何が起こったか分からないまま過ごしていた」
「……それは、気になりますよね。小骨が喉に引っ掛かったみたいに」
私もずっと気になってはいた。
尊さんが語る宮本さんは嫌みのない素敵な女性で、二人は互いを信頼して愛し合っていた。
なのに二人は突然離ればなれになり、きっとお互い強い未練を持っていたと思う。
私も怜香さんが宮本さんに〝何か〟したと思っていたけれど、それさえなければ二人は今頃、別の人生を歩んでいたのだろうか。
「……私、宮本さんの事を知りたいです。婚約者として、あなたが抱える傷をすべて知って、今の尊さんを支えたい。……だから、教えてください」
正面から尊さんを見つめて言うと、彼は表情を緩めて微笑んだ。
「……ありがとう」
尊さんは安心したように笑ったけれど、詳しく話す事について、あまり乗り気でない雰囲気がある。
「……宮本さんがいなくなった理由、あまり良くない話なんですね」
そう言うと、尊さんは視線を落として頷く。
「ちょっと待ってくれ」
彼は立ちあがり、一旦リビングを出て行く。
それから四通の手紙を持ってすぐに戻ってきた。
「これは宮本から送られて来た手紙だ。このマンション宛てに届いたらしいが、怜香の手の者が抜き取っていたそうだ。ここはセキュリティの厳しいマンションだと思っているが、大企業の社長夫人、〝母〟として名乗られたら、信用せざるを得なかったんだろう。コンシェルジュに話をしたら平身低頭謝られて、今後は必ず俺に確認をとると言ってくれた」
手紙をテーブルの上に置いた尊さんは、小さく溜め息をつく。
〝母〟の立場を利用して、『息子がストーカー被害に遭っているようで心配だから、本人が郵便物を見る前に確認したい』なんて言えば、コンシェルジュだって承諾したかもしれない。
当時、この立派なマンションを契約した尊さんが二十台前半だったという事も、理由に含まれたかもしれない。
以前に尊さんから過去の話を聞いた時、帰宅したら怜香さんがエントランスにいたと言っていた。
その時も郵便物を確認していたかもしれないし、尊さんを追い詰めるためのネタがないか探していたとも考えられる。
「……読んでもいいんですか?」
シンプルな白い封筒を見て尋ねると、彼はまた溜め息をついて脚を組んだ。
「構わない。……が、これだけ見ても何が起こったのか、すべては分からない。宮本は俺に心配させまいと、自分がどんな目に遭ったかをいっさい語っていない。……だから俺が、風磨から聞いた話をする」
頷くと、尊さんは暗い目をして言う。
「女性には酷な話だし、とても嫌な想いをすると思う」
その表現だけで、大体の事は察した。
「大丈夫です。覚悟しています」
承諾した私を見てから、尊さんはポツポツと十年前、宮本さんの身に何があったのかを語り始めた。