「それじゃあ、行ってきます」
車から降りて、わざわざ運転席側に回り込むと、窓を開けた実篤に、くるみがニコッと微笑みかけてくれる。
その笑顔に、実篤は(今日も俺のくるみちゃんは凄く可愛いけぇ)と頬を緩めた。
くるみが着ているくすみ感のあるグレージュカラーのラベンダーワンピースは、サテン生地の上に刺繍入りのレースが重ねられた落ち着いたデザインだ。
今はコートの下で見えないけれど、それを脱いでも七分袖のレースが彼女の二の腕を隠してくれることを実篤は知っている。
前に家に遊びに行った時、くるみが「派手すぎん?」と着て見せてくれたからだ。
派手すぎるどころか、上品なデザインのそのドレスは、くるみによく似合っていて。
実篤は素直に「全然派手じゃないし、ぶち似合うちょるよ?」と告げて、彼女を照れまじりの笑顔にさせた。
今日の同窓会は、市内にある観光ホテルのイベント会場で行われる。
参加人数は一〇〇名前後と結構大掛かりな同窓会らしいのだが、この辺りだとそこぐらいしかその人数が収容出来る会場がないのだ。
当然のこと同年代の男たちも結構くるそうで、正直ソワソワと落ち着かない実篤だ。
「そんなに心配そうな顔せんで? うち、実篤さん一筋ですけぇ大丈夫よ?」
まるで実篤の不安なんてお見通しみたいにクスッと笑うと、くるみが実篤に「ね?」と小首を傾げて。
その余りの可愛さに、実篤はフニャリと相好を崩した。
「はいはい。くるみちゃんが可愛いけぇって気持ち悪い顔せんの!」
と同時、すぐ横からニュッと顔を突き出してきた鏡花に、嫌ぁ〜なものを見た!という顔をされて、思いっきりダメ出しをされてしまう。
「ぐっ」
人がせっかく愛しい恋人との別れを惜しんでいるというのに、『空気ぐらい読め、バカ鏡花!』と心の中で言い返してはみたものの、口に出したら何倍にもなって返ってくるのを知っているので、喉の奥、カエルが潰れたみたいな声を出すに留めた実篤だ。
「お兄ちゃん。とりあえず連絡したら速攻迎えに来られるよう近場で待機ね⁉︎ 寒い冬の夜にか弱い女の子を待たせるとか言語道断なんじゃけぇね?」
オマケに可愛げのない妹は、当然のようにそう付け加えると、「くるみちゃん、行こっ?」と言って、さっさとくるみの手を引いて行こうとする。
「あ、あのっ、実篤さんっ」
鏡花に手を引かれながら、くるみが困ったみたいに眉根を寄せてこちらを振り返ったから、実篤は妹への不満をグッと心の奥底に仕舞い込んで、「俺の事は気にせんと楽しんでおいでね」とくるみに手を振った。
実篤の言葉に一瞬不安そうな顔をしたくるみだったけれど、すぐさま「美味しいもの、一杯食べて来ますけぇ!」と微笑んでみせる。
その顔を見て、実篤はくるみが同窓会の葉書を前に『あんまり会いとぉない人』が居ると言っていたのを思い出した。
確か幹事の一人、鬼塚純平とか言う男だったか。
(そいつと何があったんじゃろ)
実篤は、今更のように、それを問い詰めなかったことに一抹の不安を覚えて。
(くるみちゃん本人には聞けんかったにしても、鏡花から鬼塚くんとやらがどんな男じゃったんか少しぐらい聞いちょけば良かった)
そう思ったら、自分の不手際にほとほと嫌気がさした実篤だった。
***
「くるみちゃん、ホンマにうちのお兄ちゃんでええん?」
実篤の車から降りてホテルのロビーをくぐりながら。
前を歩く鏡花が、くるみを振り返る様にしてそう問い掛けてきた。
「――え? 何で?」
質問の意味が分からなくて、キョトンとした表情で鏡花を見つめ返したら、小さく吐息を落とされる。
「うちのお母さんもじゃけど……人の好みは十人十色とは良く言うたもんじゃね」
心底感心した風に言われて、くるみはますます混乱するばかり。
「実篤さん、凄いカッコええし、優しいじゃ? 逆にうちには勿体無いくらいええ人なのに」
ほんの少しムキになって言ったら、鏡花がクスッと笑って。
「カッコええかどうかは置いちょいて、優しいんは私も認める。面倒見もええし……兄としては申し分ない優良物件じゃとも思うちょるよ? 私、小さい頃からお兄ちゃんがお兄ちゃんで良かったってよく思いよったけぇ」
そこまで言って溜め息まじり、「図に乗るけん、面と向かっては絶対に言うちゃらんけどね」と付け加えた鏡花に、「言うちゃげたら喜ぶんに」とボソリと返しながら。
「うち、小さい頃優しいお兄ちゃんやお姉ちゃんにすっごく憧れたんよ。ホンマ実篤さんみたいに素敵なお兄さんがおる鏡花ちゃんが羨ましいっちゃ」
同窓会の会場になる大広間はこのホテルの八階だ。
鏡花とふたり、エレベーター待ちをしながら、実篤を基軸とした話に花が咲く。
「そう言やぁ八雲兄が言いよったん、くるみちゃんは覚えちょるん?」
実篤の家で食事会をした先の夜。
栗野家次男坊の八雲が、実篤の塾仲間の一人――草津香澄の事を話したのを思い出したくるみだ。
名前が〝香澄〟という中性的なものだからよく間違われるけれど、くるみの鳩子・草津香澄は実篤同様正真正銘立派な男性だ。
香澄はくるみの祖母和子の兄・草津正一の孫なのだが、塾のある日は香澄にとっては大叔母に当たる和子の家で、両親が迎えに来るのを待つのが常になっていた。
香澄同様、時折母の職場に程近い祖母宅で両親の迎えを待つ様に言われていたくるみは、月に数回鳩子の香澄と親待ちタイムがかち合って。
忘れた頃にたまぁーに顔を合わせる程度のお兄さんだったけれど、くるみの記憶の中の香澄は実篤のような強面な面差しではなく、ごくごく一般的な顔立ちの――よく言えば無難、悪く言えば特徴のない顔立ちをしたモブ顔の人だった。
その香澄と、実篤は気が合ったのか、はたまた帰る方向が被っていたからか、塾後なんかはよく二人で連んでいたらしい。
何度か香澄に連れられてパン屋の奥の居住空間まで実篤が入ってきたことがある。
自分のことで手一杯で、くるみが同じ空間にいても殆ど空気のように扱っていた香澄と違い、実篤は部屋の片隅、一人黙々とお絵描きしていたくるみにも気さくに話しかけてくれた。
幼かったくるみには、『めちゃめちゃカッコいいお兄さん』が時々遊んでくれたり勉強を見てくれたりしたと言う曖昧な記憶しか残っていないけれど、八雲に言わせるとそれが若かりし頃?の実篤だったらしい。
下に五つ離れた弟・八雲のみならず、七つ下の鏡花という妹を持っていた実篤にとって、鏡花と同い年のくるみは、単に面倒を見るべき対象だっただけかもしれない。
でも、兄弟姉妹のいなかった一人っ子のくるみにとって、時折香澄が連れてくるかっこいいお兄ちゃんは、いわゆる初恋の人だった。
(実篤さん、うちの運命の伴侶かも知れんっ)
八雲からこの話を聞いた時の感動を再び思い出して一人照れていたくるみは、
「よぉ覚えちょらんけど私もくるみちゃんも小さい頃、あのパン屋さんでちょいちょい顔合わせちょったってことよね?」
ようやく降りてきたエレベーターに乗り込みながら「八」と「閉」ボタンを押した鏡花に問いかけられて、ハッとする。
「そうじゃね。ホンマ子供の頃の記憶ってええ加減じゃわ……」
かっこいいお兄さんと実篤がイコールで結びつかなかった程度の記憶なのだ。
鏡花が言う通り、幼い頃に会っていたとしてもお互いよく覚えていないのは、くるみには仕方がないことに思えて。
(逆に八雲さん! 記憶力が良すぎて凄過ぎなんじゃけど!)
その頃から可愛い女の子に関してのみ、やたらと記憶力が良かった八雲なのだが、くるみはそんなこと知るよしもなかった。
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