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阿部の身体がふらりと揺れる。
「……あべちゃん!」
目黒は慌てて支える。
いつもなら「大丈夫」と笑う阿部が、その日は力なく目を閉じた。
「ごめん……。」
「ちょっと、疲れちゃった……。」
目黒はすぐに阿部の額へ手を当てる。
「熱い……。」
急いで体温計を持ってくる。
しばらくして電子音が鳴った。
39.1℃。
「……!」
目黒は思わず息をのんだ。
「病院行こう。」
「でも……。」
「ダメ。」
「今日は俺の言うこと聞いて。」
目黒は阿部へ上着を着せ、ゆっくり車へ乗せた。
___________
診察を終えた医師は、カルテを閉じながら穏やかに話した。
「大きな病気ではありません。」
目黒はほっと息をつく。
しかし医師は続けた。
「ただ……。」
「かなり疲労がたまっていますね。」
「精神的な負担も大きかったのでしょう。」
「精神的……ですか?」
「はい。」
「撮影中は緊張感や責任感で気が張っていたのでしょう。」
「ですが、その緊張が解けた瞬間、一気に疲れやストレスが表に出ることがあります。」
「しばらくはゆっくり休ませてあげてください。」
「ありがとうございます。」
病院を出る頃には、街はすっかり静かになっていた。
___________
家へ戻ると、阿部は薬を飲んですぐ眠りについた。
目黒はベッドの横へ椅子を持ってきて座る。
「……あべちゃん。」
眠る阿部の髪を優しく撫でる。
熱はまだ高い。
夜中になっても下がらなかった。
目黒は何度も濡れたタオルを取り替える。
その時だった。
「……違います。」
阿部が小さく呟く。
目黒は顔を上げる。
「え……?」
「私は……。」
「そんなこと……してません……。」
苦しそうに寝返りを打つ。
「お願い……。」
「信じてください……。」
その言葉は、映画の台本にあったセリフだった。
目黒の胸が締めつけられる。
「あべちゃん……。」
阿部は眠ったまま、何度も同じような言葉を繰り返す。
「ごめんなさい……。」
「私が悪いです……。」
「もう……やめて……。」
映画の中で何度も傷つき、追い詰められた主人公の言葉。
目黒はようやく気づいた。
「役が……。」
「まだ抜けてないんだ。」
阿部は撮影が終わっても、ずっとあの世界の中で戦い続けていたのだ。
負けヒロイン役の女優が投げつける冷たい言葉。
信じてもらえない苦しさ。
孤独。
阿部は誰にも見せず、一人で抱え込んでいた。
目黒は俯いた。
「なんで気づかなかったんだろう……。」
毎日一緒にいた。
帰れば「あべちゃん」と笑い合っていた。
それなのに、その笑顔の裏でこんなにも苦しんでいたなんて。
阿部らしい、と目黒は思った。
主演だから。
現場を引っ張らなければいけないから。
誰にも迷惑を掛けたくないから。
きっと最後まで”いつもの自分”を演じ続けていたのだ。
「本当に……。」
目黒は眠る阿部の手をそっと握る。
「頑張りすぎだよ。」
その声は震えていた。
「もう。」
「こんなに苦しい役を、一人で抱えなくていい。」
「主演だからって、一人で全部背負わなくていい。」
目黒は阿部の額へ優しく手を添える。
「次は。」
「俺が守る。」
「役から抜け出せなくなるくらい苦しい思いは、もうさせたくない。」
眠る阿部は、その言葉に応えるように目黒の手を小さく握り返した。
目黒はその温もりを感じながら、熱が下がるまで一晩中、阿部のそばを離れなかった。
___________
朝の柔らかな陽射しが、カーテンの隙間から差し込んでいた。
阿部はゆっくりと目を覚ます。
「……ん。」
熱はまだ少し残っているものの、昨夜より身体は軽かった。
ぼんやりと部屋を見渡す。
ベッドの横には椅子が置かれ、その上で目黒が腕を組んだまま眠っていた。
「めめ……。」
その姿を見て、胸がぎゅっと締めつけられる。
一晩中、付き添ってくれていたのだ。
阿部は起こさないように静かに起き上がろうとした。
その瞬間。
「……あべちゃん?」
目黒が勢いよく目を開けた。
すぐに阿部の額へ手を当てる。
「熱……少し下がった。」
ほっと息をつく目黒。
その表情を見て、阿部は小さく笑った。
「おはよう。」
「ごめんね。」
「心配かけちゃった。」
目黒は首を横に振る。
「謝るのは俺。」
阿部はきょとんとする。
「え?」
目黒は視線を落とした。
「一番近くにいたのに。」
「気づけなかった。」
「撮影が始まってからずっと。」
「苦しかったんだよね。」
「昨日の寝言。」
「あべちゃん、映画のセリフを何度も言ってた。」
阿部の表情が少しだけ固まる。
「役が抜けないくらい。」
「心が擦り減ってたのに。」
「俺は何も気づかなかった。」
目黒は悔しそうに拳を握った。
「恋人なのに。」
「失格だ。」
静かな部屋に、その言葉だけが残る。
阿部はゆっくり首を横へ振った。
「違うよ。」
「え?」
「気づかれないようにしてたのは。」
「俺だから。」
目黒は顔を上げる。
阿部は少し照れたように笑った。
「主演だったし。」
「現場のみんなも頑張ってたし。」
「心配かけたくなかった。」
「だから。」
「いつも通りにしてた。」
目黒は何も言えなかった。
阿部は続ける。
「気づかなかったんじゃなくて。」
「気づけないようにしてた。」
「それは俺の意思だから。」
目黒はその言葉を聞きながら、ふと昔の阿部を思い出していた。
女の子になる前の阿部。
勉強も仕事も、一人で抱え込む。
「大丈夫。」
そう笑って、限界まで頑張ってしまう。
本当は頑固で。
誰よりも強がりで。
人に頼ることが少し苦手だった。
女の子になってからは、不安や戸惑いから目黒へ素直に甘えることも増えていた。
だから、どこか安心していた。
でも違った。
今、目の前にいる阿部は――。
少しずつ、あの頃に戻ってきている。
それは前向きに生きられるようになった証でもある。
同時に、無理を隠してしまう危うさも戻ってきたということだった。
目黒は静かに笑った。
「やっぱり。」
「あべちゃんだ。」
「え?」
「頑固。」
阿部は少しむっとした顔をする。
「そんなに頑固かな。」
「うん。」
「昔から。」
「大丈夫って言う時ほど。」
「全然大丈夫じゃない。」
阿部は観念したように笑った。
「……バレてた?」
「昔からね。」
目黒はベッドのそばへ腰を下ろし、阿部の手を優しく包む。
「だから。」
「これからは。」
「今まで以上によく見る。」
「無理して笑ってないか。」
「ちゃんと眠れてるか。」
「頑張りすぎてないか。」
「俺が気づく。」
阿部は困ったように笑う。
「また過保護になるよ?」
「なる。」
目黒は即答した。
「もっと過保護になる。」
阿部は思わず吹き出した。
「メンバーにまた『重い』って言われるね。」
「言われてもいい。」
目黒は優しく微笑む。
「重くても。」
「過保護でも。」
「俺は、あべちゃんが笑って元気でいてくれる方が大事だから。」
その真っすぐな言葉に、阿部は目を潤ませながら頷いた。
「うん。」
「今度はちゃんと頼る。」
「約束。」
目黒はその言葉を聞いて安心したように微笑み、そっと阿部を抱きしめた。
今度のハグは「充電」のためではない。
「もう一人で抱え込まなくていい。」
そんな約束を伝えるための、温かな抱擁だった。
コメント
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おはようございます、寺島あおいです🌷 今回のエピソード、本当に胸がじんわりしました。阿部ちゃんが倒れてしまって、でも目黒くんが一晩中看病してくれる……その静かな優しさがすごく沁みました。特に寝言で役のセリフを繰り返すシーン、あれで「まだ役が抜けてないんだ」と気づく目黒くんの心情が丁寧に描かれていて、読んでいて切なくなりました。 「もっと過保護になる」って言い切る目黒くん、重いけど愛おしいですよね。最後のハグが「充電」じゃなくて「もう一人で抱え込まなくていい」っていう約束のハグになったのも、すごく良かったです。二人の距離がまた一歩深まった、そんな温かいお話でした🤍