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警察庁長官・菊田盛一郎との食事会を終えたポジティブマンと菊田星花(きくたせいか)は、久しぶりにふたりだけの時間を過ごした。

 

春の風が吹き抜ける通りは、多くの人で賑わっていた。

昨日までキャプテンだったポジティブマンにとっては、実に目新しい光景に思えた。あたかも世界から人が消え、文明が再び現れたようだった。

街がもつ熱と賑やかさは、そうした印象を受けるほどに新鮮だった。

 

「勇信さんとこうしてのんびり歩くのって久しぶりね」

 

「悪くない。アメリカにいたときのことを思い出す」

 

「日本の街並みを見てるのに、なんでアメリカを思い出すの」

 

「留学時代を除けば、あまり外に出歩かなかったからね」

信号が赤になり、ふたりはとまった。

 

「いつも車で移動して、歩くのは会社の中ばっかり。スポーツは自宅の専用室でやってるからそうなるのよ」

 

「そうだな。星花とどこかに行った記憶もあまりないし」

 

「だからこれからは色々と変えてみない? いろんな場所を散歩して、公園に行ったり映画館に行ってみたりって。昔、勇太お兄ちゃんがそうしてたように」

 

「どうして兄さんが出てくるんだ?」

 

「だって、勇太お兄ちゃんはしょっちゅう外出してたから」

 

「娘がいるからだろ。結婚する前は、兄さんだって俺と似たようなもんだったさ」

 

「ああ……むしろ弟だから、お兄ちゃんのことあんまり知らないのね」

 

「どういうこと?」

 

「お兄ちゃんて、ひとりでも結構出かけるタイプなんだよ。高校時代に言ってたけど、人を観察するのが趣味なんだってさ。この人はボーイフレンドと別れるためにそこに立っているとか、服があまり気に入らないから家に帰りたがってるとか想像して遊ぶんだって」

 

「兄さんにそんな趣味があったなんて」

 

「兄弟で年齢差があるからかな。勇太お兄ちゃんが高校生だったとき、勇信さんまだ中学生だったもんね」

 

「ならどうして俺より年下の星花がそれを知ってるんだ」

 

「お兄ちゃんのこと大好きで追いかけてたから」

 

初めて聞く話だった。

幼い頃から知る仲だったが、兄が星花を連れて出かけていたなんて知らなかった。何だか奇妙な感覚にとらわれたが、ただ少なくとも嫉妬という感情ではなかった。

 

「これからは、たまにこうして外出しようね」

 

「そうだな。何が得られるかはよくわからないけど」

 

「たまには心をからっぽにする時間も必要よ。お腹に隙間ができてこそ空腹を自覚するみたいに、頭も空にしてこそ新鮮な考えが入ってくるものよ」

 

「それは睡眠がやってくれるだろ。睡眠は情報を整理し、不必要なものを削除してくれる」

 

「科学の話をしてるんじゃないの。心のあり方について言ってるの」

 

「……わかったよ」

 

ポジティブマンと菊田星花は信号を渡り、道路の反対側へと歩いていった。

多くの店が並ぶ通りもまた、人で溢れかえっていた。もうすぐ日が変わるというのに、人々はまだ遊び足りていないようだ。

 

ポジティブマンはポケットに手を入れ、携帯電話を確認した。

音声通話は途切れることなく、他の勇信たちに情報を共有している。

ちょうどメッセージが入ったため、チャットアプリをタップして開いた。

 

[そろそろ実行してくれ]

他の勇信からの指令だった。

 

「星花、どこかで軽く飲まないかい?」

ポジティブマンは近くに見える高級そうなバーを指さした。

 

「今日はもう遅いからお酒はやめて、勇信さんのお家に行ってもいいかな?」

 

「家? 前にも言ったように当分は――」

 

「勇太お兄ちゃんを亡くしたから、ひとりの時間をもちたいってやつでしょ? それならどうして私といる時に、勇信さんは明るいの? すごく肯定的だよ?」

 

「それは……俺の中に、たくさんの俺がいるからだ」

 

「たくさんの勇信さん――」

菊田星花は思い当たるフシがあるように、そこで言葉をとめた。

 

ポジティブマンは通りの真ん中で一瞬考えたあと、菊田星花の手を取った。

「ひとつ言っておかなくちゃならない。たまたま今日が良い状態なだけなんだ。家に帰ると、また兄さんのことを思い出したりするから」

 

「……」

 

「知ってのとおり、ウチはめちゃくちゃだ。母さんはふさぎがちだし、父さんの意識は戻る気配もない。そんな自宅に君と一緒にいても、明るく過ごせそうにないんだ。そう……非常に肯定的ではない俺になってしまう可能性があるってことさ」

 

「それとは違うんじゃないの……」

菊田星花はつぶやいた。

 

「どういうこと?」

 

「何でもないわ。とにかく勇信さんがそんな状況だからこそ、むしろ私がそばにいるべきだって言ってるの」

 

「別の俺を見せるわけにはいかないんだ」

 

「別の……別の色」

菊田星花が再びつぶやいた。

 

「すべてが肯定的に回り出したら、そのときこそこっちからお願いするよ。家にきてくれって」

 

[おい! 何言ってやがんだ!]

 

別の勇信から怒りのメッセージが届いた。

ポジティブマンは気にする様子もなく、笑顔の絵文字を送った。

 

[さっさと計画通りに実行しろ! おまえに殺意を抱く前に]

 

「星花。俺は時々……暗くて長い暗い洞窟に閉じ込められたような気になるんだ。気がつくと、テレビのニュースチャンネルをぼんやりと見つめている。そんな俺を君に見せるわけにはいかない」

 

「勇信さん。私が言いたいのは――」

 

ポジティブマンは菊田星花を引き寄せ抱きしめた。

「星花ほどではないけれど、俺だって心の病を煩わせている。だから少しだけ待ってくれないか。主治医はとても有能で、もちろん俺自身もこのまま沈んでいるつもりはない。すべてを元の位置に戻すことはできなくても、新しい日常に慣れるまでは待っていてほしいんだ」

 

菊田星花はポジティブマンの腕の中で目を閉じた。

「わかったわ。勇信さんが良くなるのを毎日祈ってるから。絶対に私みたいにはならないでね。はやくポジティブな姿を取り戻して、私のところに帰ってきて」

 

「副会長に就任すれば、今よりもっと忙しくなるだろう。なかなか会える時間はないかもしれないけど、それでも信じて待っててくれるかい?」

 

「ええ、でももしお医者さまが、心の病から抜け出すためにはガールフレンドの力が必要だって言ったらどうするの?」

 

「すぐに玄関の解錠パスワードを伝えるよ」

 

菊田星花は大きくうなずいた。

 

通りを歩く人たちが、道の真ん中で抱き合うふたりを覗き見しながら去っていく。

 

「星花。ここは人が多すぎる。気分は大丈夫か?」

 

「今は平気。前よりは良くなったから」

 

「それはよかった」

ポジティブマンは星花を引き離し、通りで待機する運転手に連絡した。

「今日は俺の車に乗って帰るんだ。俺はもう少し気晴らしに散歩してから帰るよ」

 

[貴様、苦労して作ったシナリオを台無しにするつもりか]

[後のことを考えろ! 何がポジティブだ! 行き当たりばったり属性じゃねぇか!]

 

携帯電話に次々とメッセージが送られてくる。

しかしポジティブマンはそれらを完全に無視した。

 

本当は今日、菊田星花と別れるつもりだった。

日に日に増えていく自分と兄の死。

それに伴う連鎖的な家族の不幸。

そしてグループを取り仕切るべき重圧。

 

ずっとネガティブな思考が勇信を包んでいた。

そうした状況で菊田星花と恋愛などしている余裕はなかった。

 

そして、最も決定的な理由――。

菊田星花に対し、強い恋愛感情を持ち得なかったこと。

 

父親の友人である菊田盛一郎の娘。

子どもの頃から知る関係だったため、恋愛感情というよりは兄弟のような感覚に近いのかもしれない。

 

今が絶好の機会だった。

互いが別々の道を歩むのに、これほど最適なタイミングは他にないだろう。

 

それでもポジティブマンは別れを告げることなく星花を見送った。

 

希望があったからだ。

根拠など何もなかったが、ポジティブマンには肯定的な希望があった。

 

菊田星花の問題も、兄や家族の問題も、最後にはハッピーエンドを迎えるはず。

ポジティブマンの脳内で広がる未来は、ただただ明るいものだった。

 

[おまえが腐れ勇信だってのは理解した]

 

携帯電話のテキストを見て、ポジティブマンはにっこりと笑った。

[星花と別れるのが正しいなんて、浅はかな考えだ。兄の件でまだまだ盛一郎おじさんの助けも必要だし、そして何よりも彼女は味方だろ!?]

 

[そうやってシナリオを変えれば、きっとトラブルに巻き込まれる。危機ってものは、複合的な要因が絶妙に絡みつて暴発するものだからな。貴様はトラブルの種に火をくべる放火魔だ]

 

[あまり責めないでくれよ。ポジティブ思考は、おまえたちも望んでいたものだろ?]

 

[おまえは肯定的ではなく、短絡的で楽観的なだけだ。現実を無視して突き進む空想論者にすぎん。はっきりと言っておく。貴様は今後外出禁止だ]

 

「数日後には副会長就任式がある。これこそ俺の属性が光を放つ最高の場所じゃないのか?」

 

人通りの多い通路の真ん中で、ポジティブマンは笑顔で夜空を見上げた。

俺は一億人 ~増え続ける財閥息子~

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