会場のほぼ中央あたりで人垣が出来ている。
「申し訳ございません。通してください」
人混みを掻き分け、騒動の中心に辿り着くと、そこにはせっかくの流行のデザインのドレスがワインで広範囲に渡り真っ赤に染まり台無しになっている令嬢が2名、その両ご令嬢のお友達なのか心配そうにそばにいるご令嬢数名とアッサム殿下とワイングラスを乗せたトレーを持っているオロオロとする配膳係、そして我が国の皇太子がいた。
床はワイングラスが転がり、ワインが血のように広がっている。
うん。まるで戦場のようだ。
「プジョル殿、クレスト殿、お騒がせして申し訳ない」
真っ先にアッサム殿下が謝罪されるので、面食らってしまった。
一緒に来たプジョル様もわたしも恐縮してしまう。
「いえ、こちらこそ至りませんで申し訳ございません」
ふたりで深々と頭を下げると、アッサム殿下が笑顔で応えてくださる。
「よろしければ、どなたかご事情をお聞かせ頂けますか?」
いらっしゃるご令嬢達にわたしが声を掛けるとドレスがワインで汚れているひとりの女性が青ざめながら、小さな声で事情を説明を始めた。
「わたし達はアッサム殿下がおひとりになる隙をずっと伺っていて、おひとりになられたらダンスのお声掛けをしようとお持ちしていたら、この女が横からしゃしゃり出てきて順番を無視するし、アッサム殿下の腕を急に掴むようなことをされたのでそれを指摘したら、この女に急にワインをかけられたのよ」
この女と言われたご令嬢がムッとした様子で声を荒げる。
「誰にものを言ってるのよっ。わたしを誰だと思っているの?私の家は侯爵家よ!」
ああ… どうしようもないお家の身分自慢が始まった。
誰だと思っているの?だって?
ただの順番待ちや礼儀作法が出来なくて、それを指摘されて逆ギレしただけの人間だよね。
心でひとり毒づくが、表ではなけなしの笑顔を貼り付ける。
「順番待ちがあったのなら、お家の身分に関係なく順番は守られるべきですよ」
その一言が彼女の逆鱗に触れたようだった。
「そこの貴女。誰に物言ってるのよ!働くことしか出来ない頭の硬い女のくせに。貴女のことは学生の時から知ってるわよ。頭が良いだけで可愛げもなくいつも澄まして、恋愛もしたことのないような女になにがわかるのよ!」
会場が静まり返り、彼女の高い声だけが響く。
ああ… これ、女の面倒な嫉妬や僻ひがみの戦いに巻き込まれた。
なんとも言えない曖昧な営業用笑顔を引き攣らせたままプジョル様と目が合った。
プジョル様からは営業用の笑顔なんてとっくに消え去っていて、間違いなく瞳が怒っている。
わたしのことを悪く言われて怒ってくださっている?
でも、わたしは言われ慣れているのでそんなに傷ついていませんよ。
大丈夫ですよ…とプジョル様に言いかけたが間に合わず、プジョル様がなにかをご令嬢に言おうと息を吸った時だった。
カツカツと少し急ぎ足の足音とともに最近はわたしのそばでよく聞く、聞き慣れた低い声がした。
「わたしの妻は誰よりも仕事を愛していて、賢くて可愛い女性ですよ。長年、ずっと彼女を愛でてきた私が言うのだから間違いありません。それだけは訂正させてください。それに彼女がいままで恋愛をしたことがないのは、いまから私と恋愛をするために恋愛をしてこなかったんですよ」
人垣が二手に分かれるとそこにセドリック様がいた。
(セドリック様…)
そして会場の隅のほうにいる楽団から急にヴァイオリンの音がして、誰かがヴァイオリンを弾きながらゆっくり歩いてきた。
その人物に気づいた人たちは息を呑んだ。
「もう、アッサムもちゃんと言いなよ。想っている女性がいるから今宵は誰ともダンスは踊れないと」
本日のサプライズである、国で1番有名なあのヴァイオリン奏者のモキ様が長い綺麗な金髪を揺らしながら出てきたのだ。
「モキ、それはここでは」
「良いじゃん。アッサム殿下は長年想っている女性に逃げられっちゃって、いまから追いかける予定なんだよ。だから、今宵は誰ともダンスを踊れないんだ。ご令嬢達ごめんな」
モキ様とアッサム殿下は旧知の仲だとは伺っていたが、かなり気安い仲らしい。
会場の人々も呆気に取られている。
アッサム殿下がご令嬢達に向かって話しかけられた。
「モキの言う通りです。私には愛する女性がいます。今は彼女を追いかけている身ですので、今宵はダンスを差し控えさせて頂きます。申し訳ない」
そして、セドリック様にも声を掛けられた。
「今回の訪問で、いろいろとクレスト殿にお世話になりましたが、クレスト殿の仕事は完璧ですよ。私の愛する人も一生懸命に仕事をする人で、仕事で叶えたい夢がある女性です。貴殿も仕事を愛する女性が妻なのですね。仕事をする伴侶をどう支えたら良いのか、人生の先輩としてまたご指南頂けるとうれしいです」
アッサム殿下の隣にいた皇太子殿下が大きな拍手をされると、成り行きを見守っていた人垣の方々から一斉に拍手が湧き起こる。
それがどんどん大きくなり会場全体が拍手に包まれ、先ほどの嫌な空気が晴れていく。
モキ様がアッサム殿下に何かを耳打ちされアッサム殿下が少し苦笑いしながら頷く。そしてすぐにアッサム殿下がプジョル様になにかを耳打ちされた。
プジョル様がものすごく驚いた様子で、必死になって断っているように見えるが、アッサム殿下とモキ様がものすごい良い笑顔で大丈夫だからとプジョル様を説得する。
プジョル様は渋々、承諾されたようだった。
「この会場におられる皆様方、今宵はこのモキのヴァイオリンでアッサム殿下が海の向こうの異国の剣舞をご披露してくださいます」
会場が大きくどよめき、興奮でさらに拍手が大きくなる。口々に興奮を口にしている。
「シェリー嬢、いまのうちにワインを掛け合ったご令嬢達を別室にお連れしてお着替えを」
「承知しました」
プジョル様が小声でわたしに指示を出す。
わたしはひとつ深く頷くと、両ご令嬢を目だけでお声がけをして、会場がとんでもないサプライズに湧き、アッサム殿下とモキ様に注目が集まっている隙にご令嬢達を別室に移動させる。
アッサム殿下がセドリック様の肩をポンと叩かれてから会場の中央までゆっくり行かれると、優雅な礼をされ、剣を抜かれた。
静寂に包まれた会場にモキ様の激しいヴァイオリン演奏が始まり、アッサム殿下の躍動感に溢れる演技が始まり人々は一心に見入っている。
ご令嬢達を人目につかないよう移動させるためにアッサム殿下とモキ様が人々の注目を引きつけてくださる時間を作ってくださったそのお心遣いとご配慮にただただ感謝しかない。
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