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「危なくなどないさ。怖いなら俺が支えてやるよ。大丈夫さ、お前を手放したりしない」
揺らぎも迷いもない声に、僕は恐る恐るベンチに近付いた。
けれど、僕が座る事はなかった。
「そこでもいいさ、聞いてくれ。俺はお前に言っていない事が多すぎてしまった」
ベンチにもたれる彼の背後を取るように、僕は立っていた。
「お前がどこまで知っているのか俺は知らないが、少なくとも…今来ていた客人について聞く権利はあるはずだ」
僕は下から吹き上げる風を見つめていた。
こんなに静かな場所にでも、
恐怖を煽るような音は存在していたのだと。
彼の話を聞くにも耳を傾ける心の準備など出来ていないままで。
「あいつらは俺を引っ掻き回す悪党だ」
彼は話を止めることはしなかった。
「強奪も居場所の特定も、情報を操作し、俺の商売に泥を塗りやがった」
僕は意味が分からなかった。
けれど、言葉を紡ぐ勇気も出なかった。
「お前がいた時なのか…?俺はあいつらに脅されていたんだ」
僕は大勢の男達を思い出す。
屈強な体格な彼らに囲まれるようなおじさん。
確かに脅迫を受けていたのかと僕も思った。
「あいつらは言ったんだ。大事なものは先に吐き出せと」
「それはどういう…」
僕は言葉に出てしまっていた。
「お前が大事だったんだ」
彼は項垂れながら、虚無の手を握りしめていた。
僕は彼の言葉を待った。
「お前を逃がしたかった。俺の過去から。俺に容赦はなくとも、お前の命だけは守りたかった」
言っていることが分かるようで、理解出来なかった。
あの怪しい連中に差し出せと言われたから、
僕の名を呼んでいたのか?
それは大事だったから?守りたかったから?
「いきなりの事で混乱しているだろうが、どうかそれだけは信じてくれ」
彼は弱々しく呟いた。
僕に言うと言うよりは、既に失って嘆くようだった。
その状況が尚更、僕を混乱させる。
「言っている事が分かりませんよ…彼らが来る前に対処は出来なかったのですか?」
僕は彼に投げかける。
「彼らに僕を差し出した後、僕もおじさんもどうなっていたと思うのですか?」
強奪というのが分からないが、
彼らは少なくとも人の家に押し入り、蹴ったり殴ったりと非道徳的な行為をしていた。
そんな連中と関わるという事は、結果など見えていないはずがない。
「それに彼らに脅されたというのだって、おじさんが関わりを持っていたからじゃないんですか?」
被害者のような立ち位置とはいえ、
関わりを持っていたのはここで証明されてしまった。
僕はそれを今まで隠していたおじさんに、
腹が立っていたのかもしれない。
「何か…言ったらどうですか」
おじさんは俯くばかりで言葉を返さなくなっていた。
ずっと黙り続ける彼に僕も何も言わなくなっていた。
僕達の間に沈黙が訪れる。
こんな重い空気感はほとんどなった事がなかった。
けれど、それを打ち破ったのはおじさんだった。
「クインテッド。お前が何を言っているのか、さっぱりだ…」
僕は溜め込んでいた言葉を吐き出した。
「それはこちらの台詞ですよ。今まで何をして来たのか。話さなかった貴方が悪いのでは無いのではないですか?」
この時点で僕は、こんなにも彼とすれ違っている事に悲しみが溢れていた。
「あの荒廃した部屋だってなんなのですか。もしかして、僕が一人だと思っていた時。あそこに本当は居座っていたのではないですか?」
長い長い出張だといつも思っていた。
今に始まったことでは無いのは分かっている。
でも、あの部屋があったなら可能性はゼロではないはず。
「誕生日の花だって、嬉しかったですよ。でも、それを探す為だけにあの長い時間を埋められないはずです」
彼はいつの間にか立ち上がって、僕の傍に来ていた。
その表情は悲しみなのか、僕には分からなかった。
ブルートパーズは地に落ちたまま、ただ黙っている。
喧嘩というのが正しいのかもしれない。
僕たちは二人だけの世界に取り残されているように思えた。
「僕は…悲しいですよ…。おじさま。貴方の隠し事に気付いてしまった時からずっと」
僕は震えていた。
あの机上に置かれていた写真についても、聞きたいことがあった。
けれど、あの悲痛な表情を思い出せたくない自分もいた。
だから、僕は手を握りしめるばかりだった。
「俺は…隠していたわけじゃない」
彼は僕の視界から消えたようだった。
ベンチから離れたのだと思っていた。
「俺は、話すだけの信用をお前に…預けられなかったんだ」
それが最後の言葉だった。
背後から押し出されたのだと気付く。
時が止まったように感じたのも束の間。
深淵のように暗い街中に、
僕は投げ出されたのだった。
振り向く事さえ叶わず、
落ちていく景色に何を思う間もないまま。
地面に叩きつけられたのだった。
気付くと、地に倒れていた。
「っ…っく…」
重りを全身に背負っているようで、身体が動かない。
麻痺したようにじんわりと感じる何かが僕を支配していた。
それが痛みだと気付く間に、僕は一度眠ったように感じる。
途切れ途切れの意識の中
立ち上がろうと試みるが、足に力は入らない。
身体を起こすにもその場に寝返りを打つことしか出来ない。
寒い。
僕は自分の身がレンガに投げ出されている事に
気付いた。
辺りには誰も人はいない。
街灯すらずっと先に小さくあるだけで、
僕は完全に世界から切り離されているようだった。
青白い雪が壁に吹き付けられている。
レンガと壁の足元には、風が作った小さな雪の山がある。
そこに自分の足が埋もれるように、投げ出されている。