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その建物は今日も荒くれ者で賑わっている。
静かなタイミングは、夜中から早朝にかけてのみだ。日中は多数の男女が足しげく通う。
エウィン・ナービスも例外ではない。
朝陽がイダンリネア王国を照らし始めた頃合いに目覚め、空腹のまま川で自分自身を洗濯する。
その後はギルド会館へ一直線だ。
入館後は食堂エリアで朝食にありつく。素うどんは三百イールと安く、具がなくとも腹は十分膨れてくれた。
(さて、お仕事探そう)
行儀よく並べられたテーブルと椅子達。傭兵達が眠そうに朝食を頬張る中、少年は清算を済ませて反対側へ移動する。
そこには掲示板が壁沿いに配置されており、掲載中の羊皮紙は一枚や二枚では済まない。
小ぶりなリュックサックを背負いながら、エウィンは同業者と並ぶように掲示板を眺める。
これこそが傭兵のルーチンだ。
依頼を吟味、身の丈に合ったものを選んで受領。
それを達成することで対価を得るのだが、以前のエウィンは実力不足ゆえ草原ウサギを狩ることでしか生計を立てられなかった。
魔物の肉や皮といった素材では小銭しか稼げないため、貧困からの脱却には依頼を利用すべきだ。
(こういうのも久しぶりだなー。昨日はさっさと帰っちゃったし……)
周囲は当然ながら騒がしい。
エウィンのように一人で羊皮紙を物色する者もいる一方で、チームで相談しながら探すことも珍しくない。
食堂エリアもまばらながらに席が埋まっており、談笑交りの朝食は楽しそうだ。
いつものエウィンなら、隣にアゲハが立っている。
しかし、今は孤独だ。彼女を魔女の里に残した理由は鍛錬のためであり、赤髪の魔女の提案でもある。
結果的に別行動となったのだが、エウィンはその一歩目で躓いてしまった。
ゆえに、今日は金策だ。
異世界について調べる術を一つ失ったことから、傭兵らしく金を稼ぐことにした。単なる気晴らしであろうと生きていくにはそうするしかないため、こうして掲示板の前に立っている。
(どうしようかな)
張り出されている依頼は多種多様だ。
息子のウサギ狩りを手伝って欲しい。
新作の帽子を被って宣伝活動。
港拡張のための廃墟撤去工事の手伝い。
(色んな依頼があるもんだ。傭兵を何でも屋さんだと思ってそうだけど、事実そうなんだよな)
エウィンは緑色の髪越しに頭をかく。
傭兵は魔物を狩る戦闘狂の集まりだ。
言い方を変えるなら、魔物を狩れるほどの強者であり、力仕事にも向いている。
ゆえに、魔物討伐以外の仕事も舞い込むのだが、今日は気分転換も兼ねて魔物を狩りたいため、ここに長居はしない。
掲示板は依頼の傾向ごとに分けられている。
魔物討伐。
特異個体。
そして、それ以外。
エウィンは同業者との衝突を避けながら別の掲示板を目指すも、その過程で大きな羊皮紙が視界に映り込む。
(え? なんかでっかいのがある。倍くらい?)
縦横それぞれが二倍ゆえ、面積は四倍だ。板面を仰々しく占めており、だからこそ目立たないはずもない。
この掲示板は特異個体用だ。突然変異のような魔物の総称であり、その個体は傭兵を殺すほど脅威なことから、その首に賞金がかけられる。
普段のエウィンなら、ここで足を止めない。特異個体狩りの報酬は高額ながらも、儲からないことで有名だ。
なぜなら、指定された獲物を見つけ出す過程で時間がかかる。広大な土地のどこかにいる一体を探さなければならないのだから、仮に往復の移動と合わせて十日を費やした場合、報酬が十万イールだったとしても日給換算では一万イールだ。
ましてや、特異個体は手ごわい。命を落とす可能性があるのだから、この掲示板は普段から閑散としている。
エウィンもそういった理由から特異個体狩りを避けてきたのだが、今回ばかりは例外だ。
大きな羊皮紙には獲物の情報がほとんど書かれておらず、そういった点にも顔をしかめてしまう。
(場所はジレット大森林で、報酬は八万イール? 特異個体にしては……)
安すぎる金額だ。
ジレット大森林は遠い。徒歩で向かう場合、二週間前後はかかってしまう。赤字にはならずとも、儲けとしては少なすぎる。
(こんなんじゃ誰も挑まないと思うけど。と言うか、これって……)
エウィンでさえ、首を傾げずにはいられない。
魔物についての詳細が省かれている理由。それは、この一文に集約される。
(詳細は第一遠征部隊隊長まで。ん? ジーターさんのことじゃ?)
本件の依頼人は王国軍だ。
そして、担当は第一遠征部隊の隊長を務めるジーター。ケイロー渓谷のゴブリン退治で共闘した軍人であり、あれから一か月も経っていない。
エウィンは銅像のように固まる。特異個体狩りには興味がないのだが、知人が困っているとなると話は別だ。
思い出したように大きく息を吐くと、周囲の目を気にしながらもその羊皮紙へ右腕を伸ばす。
想定外の一日が幕を挙げた瞬間だ。
◆
石造りの部屋には、長机とそれを囲むように椅子が設置されている。
花瓶の一つも見当たらない理由は、ここが軍人の拠点であり、会議室だからだ。
ゆえに、この少年は肩身が狭い。見知らぬ廊下を歩き、この部屋まで案内されたのだが、居心地の悪さを感じてしまう。
「それでは、こちらでお待ちください」
男の物腰は柔らかい。深緑色の軍服は軍人の証であり、そしてそれは第一遠征部隊を意味する。
エウィンよりも長身かつ年上ながらも、丁寧な対応はお手本のようだ。
緑髪の傭兵は小さく頭を下げる。
「ありがとうございます」
「すぐに隊長を呼んできます」
エウィンは特異個体狩りの依頼を受注した。
本来ならば狩場を目指すのだが、今回はそうもいかない。依頼人から説明を受ける必要があるため、傭兵でありながらこの地を訪問した。
軍区画。城下町の最西部に位置するここは、いついかなる時も軍人で溢れかえっている。拠点であり、特訓するための場所ゆえ、そうならない理由がない。
軍人はイダンリネア王国を守るために存在しており、言うなれば巨人族との戦争に特化した戦闘集団だ。
志願者が多いことから、その人口は傭兵を圧倒する。
さらには、王国から武器や防具が支給されるため、個人個人の実力も非常に優秀だ。
つまりは、質と量共に傭兵を上回っており、だからこそ、王国軍はイダンリネア王国の最大戦力だと考えられている。
そういった自負がそうさせるのか、軍人は傭兵を見下し、嫌っている。
一方で、傭兵は軍人のことを気にも留めていない。金策に忙しいため、そんなことを考えている暇がないだけかもしれないが、金が稼げるのなら王国軍からの依頼にも飛びつく。
そういう意味では、エウィンもその筆頭だ。
軍人がひしめく軍事基地を訪れ、受付で用件を伝えた。
そしてこの部屋に案内されたのだが、どういうわけか心細さを感じずにはいられない。
(小奇麗だけど、変な部屋……。机と椅子しかない。とりあえず、座って待ってればいいのかな?)
室内は会議室としての最低限の機能しか持ち合わせていない。ここはそういう場所ゆえそれで問題ないのだが、慣れないエウィンは息苦しさを覚えてしまう。
縮こまりながら最寄りの椅子に腰かけるも、テーブルではなく扉側を向き続ける理由は警戒心がそうさせるのか。
当然ながら、会議室の中は無音だ。
エウィンにとっては馴染みのない匂いを嗅ぎながら、行儀よく待ち続ける。
退屈な時間だ。窓の外でも眺めていれば、もっと有意義に時間を潰せたのだろう。
首だけを動かして室内を見渡していたその時だ。廊下を歩く足音が、徐々にボリュームを上げ始める。
「久しぶり、でもないか。待たせてしまったか?」
扉の開閉と共に発せられた、落ち着いた男の声。
その身長は二メートル近いため、座ったままのエウィンは無意識に仰け反ってしまう。
「あ、いえ、大丈夫です。あの時はお世話になりました」
「それはこちらの台詞さ。あぁ、そのままで構わない」
立ち上がろうとする少年へ、軍人は無表情ながらも口元だけで笑う。
ジーター・バイオ。第一遠征部隊の隊長だ。先ほどの男同様に緑色を濃くしたような色合いの軍服を着ており、ただそこにいるだけでも強者のような貫禄を振りまいている。
黄色い髪はエウィンよりもさらに短く、顔立ちは中性的な二枚目だ。若く見えるも実は四十代ゆえ、眼前の傭兵よりも倍以上は生きている。
「さっき特異個体の手配書を見つけまして、僕が受けてみました。ここに来いって書かれていましたけど……」
「色々聞きたいこともあるだろうが、そうだな、今日は一人なのか?」
そう尋ねながら、ジーターが斜め前の席に腰かける。
二人は見知った間柄ながらも、軍人の目にはエウィンが緊張しているように見えた。雑談は決して悪手ではないだろう。
「はい。アゲハさん、今は知り合いの元で鍛錬に励んでます」
「ほう。あの掃討戦の後はどうしたんだ?」
「あ、えっと、予定通りジレット荒野を見て回って、その後は傭兵らしくブラブラしてたって感じです」
残念ながら嘘だ。
エウィンとしても本当のことは言えないため、眼前の軍人を煙に巻くしかない。
そうであろうと、これは本題の前の挨拶代わり。ジーターは小さく頷くと、さらに脇道へ逸れる。
「ふ、軍人には出来ない生き方だな。ケイロー渓谷の大穴だが、調査は一旦打ち止めとなったよ」
「大穴? あー、あれか。何かあったんですか?」
エウィンとアゲハにとっては単なる通過点だったのだが、王国はケイロー渓谷へ軍を派遣した。
その理由は、その地を占拠したゴブリンを一掃するためだ。彼らが何もしなければ無視してもよいのだが、近隣の村へちょっかいを出し始めた以上、駆除しなければならない。
その掃討戦はあっさりと完了した。エウィンが戦力としても索敵においても大いに活躍したため、千を超えるゴブリン達は瞬く間に討伐された。
「ゴブリンが再び集まり始めたことと、大穴の調査そのものが危険だと上が判断した。エウィンの言う通り、穴の底には何かがいるのかもしれない。そしてそれが魔物だった場合、下手に刺激するより今は静観すべき、といった感じか」
「一理あると思います。集中しないと感知出来ないくらい、深いところに気配がありましたから……。これだけは断言出来るんですが、あれはゴブリンなんかじゃなかったです。もっと、もっと大きな何か……」
エウィンでさえ、恐怖心のような寒気を感じてしまった。
しかしながら、その正体までは掴めない。
体の大きさ。
その輪郭。
そういったものが識別出来ないほどには気配がぼやけていたため、調査を王国軍に譲った。
「ケイロー渓谷の警戒は引き続き行う。ジイダン村に常駐する部隊を増やすことになったが、私は私で別の任務にかかりっきりというわけさ。さて、狙ったわけではないのだが本題に戻ったことだし、説明に入ろう。そうだな、そっちから質問してくれて構わないぞ」
親睦を深める雑談は一旦終了だ。
ジーターの言う通り、傭兵を招いた理由は依頼内容を伝えるため。
エウィンとしても訊きたいことは山ほどある。
「張り出してた特異個体、なんで討伐依頼を傭兵に?」
もっともな疑問だ。
王国軍は巨人族を倒すことに特化しながらも、状況に応じて様々な魔物と戦う。
それについてはケイロー渓谷で実演されたが、だからこそ、エウィンとしても今回の依頼には違和感を覚えてしまう。
「そう、だな。話すと長くなるんだが……」
「あ、じゃあ、お茶を。なんちゃって」
「あぁ、構わないぞ。ちょっと待っていろ」
「え⁉」
場を和ませるための冗談なのだが、眼前の軍人には通用しなかった。
ジーターはテキパキと席を立つと、そのまま会議室を出ようとするも、そのタイミングで振り向く。
「コーヒーでも構わないか?」
「は、はい……」
扉の開閉が行われたことで、室内には緑髪の傭兵だけが取り残される。
口は禍の元と学んだ瞬間だ。
机に突っ伏して待つこと数分、ジーターはお盆片手に入室を果たす。
「なんだ、眠いのか?」
「いえ、この依頼、がんばらないとな、と考えておりました」
意味不明なやり取りをえて、エウィンはアイスコーヒーを受け取る。コップの中の液体は黒く、無意味に凝視してしまう。
申し訳ないという気持ちと己の浅はかさが圧し掛かった結果だ。
そんなことは露知らず、ジーターはコップ片手に語りだす。
「わざわざ足を運んでもらったことにも理由があってな。言うなれば、これは面接なんだ」
「面接?」
「ああ。あれを倒せると思えた者にだけ、受注の許可を出そうと思っている。ここに来たのは、エウィン、おまえで四人目だ」
つまりは、既に三人が面接を受けており、彼らは不合格を言い渡された。
ジーターがコーヒーで喉を潤す一方で、エウィンは真似したい気持ちを抑えながら問いかける。
「なんでそんな回りくどいことを? だったら等級四以上とか、そういう条件を設ければ済むような……」
「まぁ、そうなんだが、率直に言うと、エウィンが来てくれるのを待っていた」
「ぼ、僕?」
この少年は等級二ゆえ、等級に制限を設けられた場合、挙手すら出来ない。
だからこそ、回りくどいやり方ながらも面接というやり方を選んだ。
実は、第一遠征部隊はエウィンを探していたのだが、見つけられずに今に至る。
並行して依頼を出したのだが、こうして再会を果たせたのだから試みとしては成功だ。
ゆえに、ここからは思う存分、特異個体について話す。
「ジレット大森林に現れたそれは、ハッキリ言って俺より強い」
「え……、僕、帰っていいですか?」
「コーヒー代、一万イール」
「し、知ってる! こういのをぼったくりって言うって! 誰かー! 治維隊の人呼んでー!」
残念ながら、ここは軍区画の真ん中だ。叫んだところで、王国を取り締まる治維隊は駆け付けてはくれない。
「おまえなら倒せる。私はそう信じている」
「そう言ってもらえるのは嬉しいですけど、傭兵なんかに頼らずともダブルさんに加勢してもらえば、数の暴力で倒せそうな……」
ダブルは第二遠征部隊の隊長だ。ジーター同様に長身ながらも、こちらは筋肉をまとった大男だ。
肉弾戦を得意とする一方、戦闘系統は魔攻系ゆえ、効果力な攻撃魔法で周囲を焼き尽くすことが出来てしまう。先のゴブリン掃討戦において、最も多くのゴブリンを屠ったのはこの男だ。
第一遠征部隊と第二遠征部隊を合わせれば、軍人の総数は四百に達する。
さらには隊長が二人もいるのだから、特異個体一体を狩ることなど容易いはずだ。
そうではないと、ジーターは淡々と説明する。
「あれは物量でどうこう出来る魔物ではない。突出した人間をぶつけて初めて勝負が成立する。そう言えば伝わるだろうか」
「そ、それほどってことですか。ジーターさんは戦ったんですか?」
「ああ。あっさりと逃げられてしまった」
この返答が、エウィンの眉をひそめさせる。
なぜなら、意味がわからない。思わずコップを手に取って口元に運ぶも、その苦さがさらに顔を歪ませる。
(う⁉ 考えてみたら、コーヒーって初めてかも! これのどこが美味しいの⁉)
大人の味だ。十八歳の浮浪者には馴染みがないため、我慢しながら飲むしかない。
「あれは私よりも速い。しかも、かなり高い知能を持ち合わせている」
「ほほう?」
エウィンとしても、そのような反応が限界だ。
眼前の軍人がいかに強いかは、重々承知している。隊長という地位に収まっている時点で化け物のような実力の持ち主なのだが、今回の獲物はさらに手ごわいらしい。
ゆえに、今は耳を傾けて情報収集に徹する。
「特異個体と定義したが、正しくは新種なのだろう。腰から上は人間の……、女の姿をしていたが、下半身は蜘蛛だった」
「え……」
「八本の脚で地面を蹴って、私よりも速く走る。だから、追い付けなかった。しかも、魔法の射程を完全に把握しているような素振りだった。グリムスすら当てられなかったよ」
グリムス。弱体魔法の一つであり、習得者が非常に少ない希少魔法と呼ばれている。
効果は、対象の動きを短時間ながらも完全に停止させることが可能だ。瞬きほどの一瞬ながらも、ジーターほどの強者ならば一度と言わず二度三度の斬撃を当てられる。
この魔法は最強の弱体魔法だ。
そして、グリムスを習得しているからこそ、この軍人は不敗のジーターと呼ばれている。
それでも、相手が魔法の発動範囲内まで近寄ってくれないのなら、意味を成さない。距離を詰めようとそれ以上の速さで逃げられるのなら、ジーターと言えども勝てるはずがない。
ここまでの説明を受けて、エウィンは率直な疑問を投げかける。
「そいつって、逃げるだけでこっちに仕掛けてこないんですか?」
「そこなんだが、時系列順に話すと、蜘蛛女は十日ほど前に姿を現した。ジレット監視哨を遠巻きに眺めていてな、その時はもう一体、別の魔物がいたらしい」
「別の? 蜘蛛女は二体いる、と?」
「いや、そうではない。もう一体は、やはり女の姿をしてはいるものの、胴体部分が炎だったと報告を受けている」
「オーディエン⁉ あ……」
エウィンが大げさに驚いたことで、会議室が静まり返る。二人しかいないのだから、両者が黙ればこうなって当たり前だ。
この沈黙を、ジーターは平然と破ってみせる。
「やはり知っているのだな。炎の魔物については国家機密なんだが……」
「え、あ、そのー、コーヒー美味しいです!」
「そうか。おかわりはいるか?」
「いえ、けっこうです!」
我慢して飲んでいるため、二杯目は不要だ。
そんなことは露知らず、軍人は話しを進める。
「実はマークから聞かされていてな。この件はエウィンを頼れば力になってもらえる、と」
「マーク、さん? あ、ジレット監視哨で……」
「そうだ。奴の報告書には目を通した。オーディエンとおまえさんについても、そこで知ったというわけさ」
「あぁ、会った時にもそんなこと言ってましたね」
オーディエンは何百年もの間、この大陸で暗躍している。
この魔物の手によって王国軍の部隊が一つ滅ぼされたこともあるため、イダンリネア王国は今に至るまで極秘裏に調査を続けてきた。
「エウィン、おまえはオーディエンについて、どこまで知っている?」
「どこまでと言われましても……。会話が出来るとか、僕の父さんを殺したとか、それと、ジレット監視哨で倒した黒い巨人みたいな部下が、まだ三体いるとか。あ、蜘蛛女がそうなのかも?」
オーディエンと今回の特異個体に繋がりがある以上、そう考えるべきだろう。
背もたれのない簡素な椅子ゆえ、エウィンはどこまでも仰け反る。
一方、ジーターはどこまでも冷静だ。
「マークも同じようなことを言っていた。あいつの予想は当たるから、エウィンもそう言うのならそうなのかもな」
「あ、マークさんはお元気ですか?」
マークは第四先制部隊の隊長だ。その実力に偽りはないのだが、魔女の襲撃により部下を全員殺されてしまった。
その際に戦意を喪失するも、駆け付けたエウィンによって命を救われる。
その後は共闘するのだが、落胆した姿は今もエウィンの瞼に焼き付いたままだ。
「元気、かどうかは怪しいが、以前よりは立ち直ったように見えるな。報告を終えた後は長期休暇を与えられたはずだが、毎日のようにグラウンドで汗を流しているぞ。素振りなんかしようものなら、砂煙が舞って迷惑極まるのだが……」
突風が発生するほどの素振りということか。
ジーターが珍しく顔をしかめるも、対照的にエウィンは笑顔をこぼす。
「はは、さすがマークさん。だけど、僕がもう少し早く、駆け付けていれば……」
救えた命は増えたかもしれない。
ゆえに後悔してしまうも、ジーターは年長者として諭す。
「マークだけでも救えたのだから上出来だ。襲撃者だけでなく、巨人族とヘカトンケイレスとやらもエウィンが倒したのだろう? 胸を張れ」
「そ、そういうものですか……」
「そういうものだ。話しを戻そう。ジレット監視哨に蜘蛛女とオーディエンが現れた以上、我らとしても迎え撃つしかない。常駐していた部隊が戦おうとしたのだが、連中はどういうわけか何もせずに引いたらしい」
予想外の展開だ。
エウィンは姿勢を正したばかりながらも、椅子からずり落ちそうになる。
もっとも、オーディエンが同行していたのなら、何が起きても不思議ではない。あの魔物について理解することは出来ないものの、意味不明な行動はらしいと思えてしまう。
「何がしたいのか、さっぱりですね」
「ああ。北へ去ったことから、第十先制部隊は追撃を試みるも、見つけられたのは翌日。どこでだと思う?」
「え? ジレット大森林の北側、としか……」
「半分正解だ。そこには水の洞窟が存在している。蜘蛛女が単独で、洞窟の入口に陣取って立ち尽くしていた。エウィンは水の洞窟について、どこまで知っている?」
軍人が眼差しでも問いかけるが、少年はきょとんとしてしまう。
実は、何も知らない。地理学の教科書や参考書にも一切の記載がないのだから当然と言えば当然だ。
「いえ、名前くらいしか……」
「そうだろうな。傭兵には、あそこが禁足地であることさえ明かされていない。もっとも、偉そうなことを言っておきながら私達もそれ以上のことは知らされていない。あそこは結界で封鎖されていてな、その意味するところさえ伏せられている。軍人に至っては近づくことさえ許されていない。蜘蛛女に仕掛けたことも、完全に現場判断だ」
「なるほど……」
この説明を受けてエウィンは静かに頷くも、その単語には反応を示さずにはいられない。
(結界か、最近何かと縁があるな。ケイロー渓谷の洞窟にもあったし、白紙大典の天技もそうだし……)
付け加えるのなら、迷いの森にも方向感覚を狂わせる結界が設けられている。
オーディエンが暗躍している理由でさえも結界に絡んでおり、エウィンにとっては何かと縁のある要因と言えよう。
考え込む少年を眺めながら、軍人はなおも話し続ける。
「しかしな、蜘蛛女の思惑がわからない以上、討伐は最優先だ」
「まぁ、魔物ですしね」
「洞窟への侵入を企てている可能性も捨てきれないからな。ありえないとは思うのだが……」
ジーターとしても半信半疑だ。
蜘蛛の魔物がジレット監視哨に現れた時点で、水の洞窟が本命とは思えない。
しかし、逃げた先がそこである以上、王国軍は排除を試みる。
エウィンとしても頷けるため、付け加えずにはいられない。
「オーディエンが絡んでるとなると、あれこれ考えてないで戦うしか。あいつの行動理念は魔物の中でも突出して異常です」
「そうか、きっとそうなのだろうな。蜘蛛女を見つけた第十先制部隊だが、報告書によると三人が瞬く間に殺された」
この軍人は現場に居合わせてはいない。
ゆえに、そのような言い回しになってしまうのだが、被害者の人数は本物だ。
エウィンとしても、コップに伸ばした手を止めてしまう。
「だったら、ジレット監視哨でそうならなかった意味がわかりませんね」
「やはり、水の洞窟まで誘導したかったのかもしれないな。それはそれで意図が読めないが……」
「そうですね」
「部下が殺されたことを受けて、レックス、あぁ、第十先制部隊の隊長なんだが、蜘蛛女に挑むもあえなく敗れて命を落としたらしい」
隊長という肩書は飾りではない。傭兵の等級に置き換えるのなら、四より上であることは確実だ。
エウィンでさえ、眼前の軍人には一目置いている。
その強さは、一般兵十人分どころの話ではない。
隊長とはそういう人種であり、管理職でありながら最前線で戦うことを許されている。
第十先制部隊の隊長が殺された以上、今回の標的は間違いなく強敵だ。
エウィンとしても気の利いた相槌を打ちたいところだが、思い浮かばなかったためジーターの説明に耳を傾ける。
「第十先制部隊は隊長を含めて四人を失うも、被害としてはそこまでだ」
「え? 全滅じゃなくて?」
「ああ。奴は満足そうに踵を返すと、洞窟の入口に死体を運び、その内の一つを食べ始めた」
この説明が、エウィンの顔を歪ませる。
なぜなら、傭兵としての常識が壊されてしまった。
「魔物が、人間を?」
「初めての事例だが、相手は新種だからな。そういう魔物が現れてしまったと腹をくくるしかない。第十先制部隊は死体の回収を諦め撤退。そして……」
「今に至る?」
「いや、第一遠征部隊の派遣が決定した。私達だな」
敵討ちを兼ねた反撃だ。
しかし、その試みは失敗に終わる。
エウィンが思い出したように息を吐く一方で、ジーターは存在しない背もたれに体を預けながら、天井を見上げる。
「私達が到着した三日後も、蜘蛛女は同じ場所にいた。死体は見当たらず、そこには四人分の軍服が無造作に転がっていたよ。真っ赤に、いや、真っ黒だったことを今も覚えている」
「そう……なっちゃうでしょうね。あ、オーディエンは?」
「周囲にはいなかったな。私が先陣を切って仕掛けたのだが、結果はさっきも言った通りだ。まるで鬼ごっこで遊ぶかのように逃げられてしまった。この時点で判明したことは二つ」
「二つ……」
エウィンとしても、やまびこのように繰り返すしかない。
与えられた情報は多数あるため、少年の頭は既にパンクしている。
それでも真面目に聞き入る理由は、話しの内容が深刻なことと、自身がこれから対峙する魔物だからだ。
聞き手に徹する傭兵に対して、軍人はさらなる情報を開示する。
「蜘蛛女はどういうわけか、最初の四人以降、軍人を殺そうとはしない。事実、私の部隊は全員見逃されたからな。もう一つが、傭兵は悪い意味で例外らしい」
「悪い意味で? もしかして、傭兵にも被害者が?」
「そうだ。一人殺されている。場所が場所だからな、その程度で済んでいるとも言えるのだが……」
ジレット大森林は人気の狩場だ。黒虎ことジレットタイガーは、大きな牙が高額で売買される。高いと言っても一本あたりたった五百イールゆえ、一体倒したところで千イールにしかならない。エウィンが今朝食べた素うどんが三百イールゆえ、労働に見合わない対価だ。
それでも魔物の素材という枠組みにおいては高級品に属するため、腕に覚えのある傭兵が足しげく通う。
エウィンも傭兵ゆえにこういった事情は重々承知だ。
しかし、今は尋ねずにはいられない。
「いつぞやの時みたいに封鎖しないんですか?」
ジレット大森林の封鎖。前回はジレット監視哨に巨人族が押し掛けたことで実施されるも、今回は傭兵の往来を許可されたままだ。
エウィンの指摘は人命優先という意味では至極真っ当ながらも、ジーターはため息をつくように否定する。
「相手は蜘蛛女一体な上、そいつの居場所は逐次把握出来ている。ましてや、城下町で大きな工事が控えていることから大量の木材が必要だ。そういったことを加味した結果、ジレット監視哨での封鎖は一旦棚上げとなった」
「まぁ、事情があるのなら……。しかしまぁ、わからないことだらけですね」
魔物の目的。
ジーター達が見逃された理由。
そして、オーディエンだけが姿を消したこと。
現状では手がかりが不足しているため、パズルを組み立てることすら出来ない。
エウィンとしても唸るしかないのだが、眼前の男が腕を組みつつ補足する。
「危険を承知で、現地の部隊が蜘蛛女を監視している。こっちに気づいていても不思議ではないのだが、やはり襲ってくる素振りはみせない。一方で、何も知らない傭兵が近づいてしまった際は、無残にも殺されてしまった。まるで、水の洞窟を守護するように陣取っていることから、近づく者だけに反応を示すのかもしれないな。試すわけにはいかないが……」
しかし、その予測は的外れだ。
エウィンもそうだと気づいているからこそ、首を傾げてしまう。
「でも、だったらジーターさんの時は?」
「そうなんだ。おかげで生き延びたが、本当にどういうことなんだろうな」
わからない。
二人は悶々を考え込むも、真相は闇の中だ。
この行為が無駄だとエウィンは気づいたため、諦めるようにその単語を持ち出す。
「まぁ、オーディエンのすることですし。あいつは意味不明です」
「二度に渡ってジレット監視哨に現れた、言葉を話す魔物。エウィンがお手上げなら、直接現地に出向いて倒すしかないか」
これにて、説明会を兼ねた面接は終了だ。
当然ながらこの少年は合格であり、今後の進め方について話し合わなければならない。
「じゃあ、早速行ってきます」
傭兵らしいフットワークだ。今はまだ朝の九時過ぎ。エウィンの脚力なら急がずとも今日中にたどり着けるだろう。
しかし、軍人は首を縦に触れない。
「いや、私も同行する。ただし、今日ではない。明日もこれくらいの時間、いや、十時くらいに来てくれないか?」
「明日? わかりました。でも、急いだ方がいいんじゃ?」
「それはそうなんだが、手続きがどうしても必要なんだ。それに、おまえさんはまだ面接に受かっただけ。明日は実技テストを受けてもらう」
ジーターは平然と言ってのけるも、エウィンは意味の租借で精一杯だ。
寝耳に水とはこのことか。
面接が一度で済まない。
あるいはテストが控えていることは珍しくないのだが、これは特異個体狩りの受発注。エウィンは傭兵らしく反論する。
「え、そんなことまで? 失敗しても僕が死ぬだけですし、そんな手間暇かけなくても……」
「まぁ、そう言うな。過去に色々あってな、慎重論はどうしても出てしまう」
「そういうものですか……。ちなみに実技テストっていったい何を?」
「私と戦ってもらう」
「えっ⁉」
椅子がガタリと鳴り響く程度には、エウィンも仰け反ってしまう。
眼前の男がいかに強いかは重々承知だ。
単純な身体能力ならエウィンの方に分があるのだが、ジーターにはグリムスという切り札がある。
これを使われた場合、瞬きほどの時間ながらも身動きが取れない。
それはすなわち敗北であり、それをわかっているからこそ、少年は顔を引きつらせてしまう。
対照的に、長身の軍人は真顔のままだ。
「殺し合いではなく模擬戦だ、安心しろ」
「不安うんぬんじゃなくて、勝ち目が……」
ない。
ジーターは一対一においては不敗だ。グリムスがそれを可能とするため、試すまでもない。
そのはずだが、この軍人は平然と言ってのける。
「なんとかしてみせろ。もちろん、グリムスを使わせてもらう。おまえ相手に手加減するほど、私は愚かではない」
「そんなぁ……」
ジーターはエウィンを認めている。
エウィンもそれは同様だ。
ある意味、相思相愛ながらも、少年は項垂れるしかない。
ジーターが深緑色の軍服を見せつけるように椅子から立つと、事務的な口調で締めの言葉を投げかける。
「今日はここまで。明朝、グラウンドで待っているからな。遅れるんじゃないぞ」
「わ、わかりました……。明日は傭兵の意地、お見せします。作戦なんてありませんけど……」
グリムスは無敵だ。仮に硬直時間がコンマ一秒であろうと、彼らほどの強者ならば決着がつく。
模擬戦において、武器は訓練用のものが用いられる。ジーターは片手剣使いゆえ、シンプルな木剣を選ぶはずだ。
(少しの間、ボコボコに殴られるのか。耐えるしかないよなぁ。そんなの痛いに決まってるのに……)
対戦相手が非力な王国民ならば、なんら問題ない。凶器を包丁に変えられても、切り傷すら負わない自信がある。
しかし、明日の対戦相手は隊長だ。第一遠征部を率いる強者であり、その長身には常軌を逸した身体能力が宿っている。
退室のためにコーヒーを飲み干すも、その苦さも人生の糧か。
大人の味を噛みしめながら、今は大人しく撤退する。
今日はまだ始まったばかり。一先ずは本屋へ足を運ぶことにした。
当然ながら、異世界に関する書籍など見つからない。時間潰しを兼ねていたため、エウィンは昼食をギルド会館で済ませて帰宅する。
午後は室内の清掃だ。
そこは老朽化しており、雨風さえ満足にしのげない。一か月近くも留守にすれば、当然のように埃や砂まみれだ。
(今日は、いや、今日も早く寝よう。明日に備えないと……)
勝てるとは思えない。
負けるつもりもない。
相反する感情を抱きながら、少年はトボトボと我が家を目指す。
ここは貧困街。浮浪者が隠れ住む、廃墟のような隔離区画。