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#追放
ぬいぬい
4
私が絶望の淵に叩き落され、人生そのものを諦めきってからどのくらいの時間が経過したのだろうか?
光の差さない地下牢では時間の流れがまったく分からず、数年にも数時間にも感じられ、感覚はすっかり麻痺していた。
「早く楽にして……」
憎むことも生きる希望を持つことも許されない今となっては、一刻も早く楽になりたい、とそれだけを願い続けていた。
すると、遠くで重々しい扉が開く音が響き、こちらへ複数の足音が近づいてくるのが聞こえてきた。
その時、私の心に光が差した。
ああ、これで楽になれるんだと、愛するアネモネ御義母様の元に行けるのだと喜びが込み上げて来た。
「魔女カルミア、これよりお前の処刑を執行する」
重苦しい鉄格子の向こうに武装した数名の兵士の姿が見えた。
一番前にいた若い兵士が鉄格子を開けると、倒れている私の胸倉を掴み上げて強引に立ち上がらせた。
「大人しく表に出やがれ、おぞましい呪物人間めが!」
若い兵士はそう吐き捨てると、ペッと私の顔に、正確には鉄仮面に向かって唾を吐き捨てた。
彼等の憎しみに歪んだ鋭い眼光が私を突き刺す。
当然だよね。彼等にしてみれば、もともと憎まれていた呪物人間の私が、よりによって皆から慕われ愛されている大聖女を殺した犯人になっているんだから。その憎しみは想像を絶するほどに膨れ上がっているに違いない。
でも、真犯人はダリアなのよ。一瞬だけ誘惑に負けそうになりその一言が喉元まで出かかる。
私が真実を告げても彼等の怒りの炎に油を注ぐだけ。どの道、私はダリアへの復讐を望んでいないのだから弁解するつもりもなかった。
真実は闇に葬られ、私は大罪人としてその名を王国の歴史書に残すことになるだろう。
「抵抗は致しません。ですから最期に一つだけお願いがございます。どうか足元に落ちている紙切れを私にいただけないでしょうか?」
足元には焼け残った絵本の表紙が一枚だけ灰の中に落ちていた。
それは私に残された唯一の幸せだった記憶。
もう焼き焦げて幸せだった記憶は一枚しか残されていなかったけれども、せめて最期の時くらいは大切な貯まら者の断片を胸に抱きながら逝きたいと思った。
「誰が魔女なんぞの願いなんか聞くかよ、このクソ呪物野郎が!」
吠えるように叫びながら、激高した若い兵士は両手で私の胸倉を掴み上げる。
「待て」
後ろから老練の隊長らしき兵士が現れると激高した若い兵士を制止する。
「魔女カルミアよ、それがお前の末期の願いなのか?」
「ええ、そうです。それは私の宝物なんです。どうかそれを私にください。そうすれば私は地獄にだって喜んで参ります……!」
私の哀願に、老練の兵士は穏やかな笑みを浮かべながら足元に落ちている絵本の表紙を拾い上げた。
「魔女カルミアよ、覚えているだろうか? かつて辺境の名も無き村が魔物の大群に襲われた際、お前は誰よりも早く救援に駆けつけ、たった一人で村を守ってくれたことを」
「あれはザース地方にあるシーヌス村での出来事ですね。もちろん覚えております」
老練の兵士は驚いた表情を浮かべた後、フッと穏やかな微笑をたたえた。
「ありがとう……! その村は私の故郷だったのだ。あの時はかつて聖女と呼ばれた貴女のおかげで誰も犠牲を出さずに済んだ。いつかちゃんとお礼をしたいと思っていたのだ」
そう言って老練の兵士は絵本の表紙を私に差し出す。
しかし、次の瞬間、老練の兵士にダリアの姿が重なる。
「こんな感じにな……!」
彼は急に憎しみに歪んだ顔を見せ、手にしていた絵本の表紙を容赦なく無惨にも引き裂いた。
ビリビリと破れる音が響き渡り、私の幸せだった思い出の残骸は床に落ちて行った。
「これが礼だ。ご満足いただけましたかな、魔女カルミア様?」
老練の兵士はそう吐き捨てると、鉄張りの軍靴で私の顔面を無慈悲に踏みにじった。石床と靴底に挟まれた頬が嫌な音を立てて軋み、私はなす術もなく転がされる。
「あの時、お前が駆けつけるのが遅れたせいで収穫前の作物が魔物どもに踏み荒らされ税を納めることが出来なかったのだ! 道具なら道具らしくもっと役に立て! このクソ役立たずの魔女めが!」
老練の兵士は怒声を浴びせかけた後、倒れた私の頭に唾を吐きかけた。
「早く連れて行け! 民衆共も大罪人の処刑を今か今かと楽しみにしているだろうからな!」
そうして、私は他の兵士達に両脇を抱えられながら地下牢から引きずり出された。
ああ……結局私は紙切れ一枚欲しいという願いすら叶えられずに人生を終えることになるのね。
それから、私は引きずられるように地上に連れ出された。
外に出た瞬間、私は日差しの眩しさに目をしかめた。
お日様の日差しがぽかぽかして暖かい。それになんて新鮮な空気なのかしら。
お日様の温もりに、じめじめしてかび臭い地下牢とは違って清々しい風に新鮮な空気を堪能する。
「さあ、魔女よ。今から処刑場に連れて行ってやる。だが、その前に魔法封じの仮面を外してやるが、おかしな真似はするんじゃないぞ。例えお前が抵抗しようとも周囲には騎士団と神官達、何より9名もの聖女達が控えているのだからな」
なら完全拘束したまま処刑場まで連行すればいいのに。
私はそう思ったが、すぐにその疑問は氷解することになる。
複数人の兵士達が鉄槍を身構え警戒する中、若い兵士が恐る恐る私の鉄仮面を外した。
そよ風が私の頬を優しく凪ぐ。久しぶりに鉄仮面から解放され、私は心地よい解放感と爽快感に包まれた。
「こっちだ。遅れずついて来い!」
私は手枷につながれた鎖を乱暴に引かれ、兵士に引きずられるように連れて行かれる。すると、その先に重苦しい鉄門が目の前に現れた。
待ち構えていた兵士が鉄門を開けた途端、怒号とも歓声ともつかぬ、入り混じった感情の叫びが木霊した。
目に飛び込んで来たのは王都の大通り。その先には広場がある。大通りの両脇には群衆が詰めかけ私に気付くなり憎悪の眼差しを向けて来た。
「魔女め! よくも大聖女様を殺してくれたな⁉ 死んで詫びろ!」
「おぞましい呪物人間を燃やせ! 火炙りにしろ!」
「殺せ!」「死ね!」「くたばれ!」「死刑だ!」「処刑だ!」
あらゆる罵声と暴言が、憎しみとともに私に降りかかってくる。
なるほど、魔法封じの鉄仮面を外した理由がわかった。そのまま処刑場に連れて行けば何事もなく私を始末できたはずなのに、何故、あえてそんなリスクを選んだのか。
これから始まるのは『魔女の処刑』と名付けられたショーなのだ。私の素顔を衆目に晒すのは観客に対するサービスなのだろう。
ならばとくと御覧なさい。これが魔女カルミアの素顔よ。
私は罵声と罵倒の嵐の中、胸を張って兵士達より先んじて歩き始めた。
慌てて鎖を持った兵士達が後を追いかけて来るのが目の端に映った。
〈だから私は泣かない〉
その時、頭の中にお姫様の声が響いた、ような気がした。
クスリ、と私は微笑む。
「だから私は泣かない」
私は勇敢なお姫様を思いながら堂々と胸を張り呟いた。
「何か言ったか?」
傍にいた若い兵士が怪訝そうに訊ねてきた瞬間、私は顔に衝撃を受けた。ころんと、小さな石が地面に転がり落ちるのが見えた。
それを合図に、石礫だけでなく、腐った生ゴミや汚物が雨のように降り注いだ。汚物の悪臭が鼻に突き、狂気に血走った眼で彼等は口々に「魔女!」「おぞましい呪物人間!」などと罵詈雑言をまくしたてていた。
石は頭に、顔に、肩に、胸に、腕に、足に、私の全身に降り注ぐ。
幾度目かの衝撃で、ついに私の顔の半分が陶器のように砕け散った。剥き出しになった内部の異質な構造が露わになり、砕けた破片が乾いた音を立てて地面に散らばる。そのあまりに人間離れした光景に、一瞬、処刑場が凍りついたような静寂に包まれた。
私の顔の半分が崩れ落ちた瞬間、突如として罵声と投石が止んだ。代わりに恐れるような悲鳴が次々に上がる。
「ば、化け物!」
恐らくは崩れ落ちた私の顔を見て、群衆の誰かが恐怖のあまりそう叫んだのだろう。
「なんて醜いやつなんだ!」「何故、あんな奴に聖女を名乗らせていたんだ!」「おぞましい! 誰か早くあいつを殺して!」「とにかくあの化け物を殺せ!」
今度は恐怖が入り混じった罵声が私に降り注いだ。
私はそれらをものとせずただ堂々と歩き続けた。
開けた場所に出た瞬間、兵士から「止まれ」と声がかかり、私は素直に足を止めた。視線の先には大きな柱がそびえ、その周囲には束ねられた薪がぎっしり敷き詰められていた。
魔女の処刑といえば、決まって最も過酷な火刑と相場は決まっている。漂う油の匂いが、それを物語っていた。
数人の兵士に連れられ、私はその柱の前へ進み、そのままきつく縛り付けられた。
それを見た群衆は興奮した歓声を上げ、さらに激しく罵声と石を私に投げつけてきた。
これから私は魔女として火炙りにされるのね。
でも、恐怖は湧いて来なかった。
私はもう一度だけ呟く。
「だから私は泣かない……!」
呪物人間である私に涙を流すなんて機能は備わっていなかったけれども、心でも人は泣くことが出来る。だから、心で泣かない様に笑いながら最期の時を迎えてやろうと決めた。
すると、私の脳裏に今までの人生が走馬灯のように過っていく。
呪物聖女と忌み嫌われ続けながらも私は誰かの為に身を粉にして頑張って来た。
魔物が現れれば警備隊よりも先んじて駆けつけ、命を懸け人々を守るために戦った。
傷ついた者がいれば魂を削ってでも治癒魔法を施し、寝る間も惜しんで人々に、国に尽くして来た。
その報いがこれだ。母殺しと聖女殺しの汚名を着せられ魔女として処刑される。一度だって誰にも感謝されたことはない。
その時、私はふと思った。
どうして私は生きているの? と。
いや、そうじゃない。何故、私は自分をなじり、蔑み、嘲笑う名も知らない人達の為に尽くして来たんだろうか、と疑問に思ってしまった。
『善意は見返りを求めず、献身的に尽くすことを言います。その清らかな思いが人を人たらしめ、強いては聖女の力の源になるのですよ』
アネモネ御義母様の言葉が脳裏を過り、私は何てくだらないことを考えてしまったんだろうと思わず笑みがこぼれてしまった。
私が彼等に思うこと。それは、何て哀れな人達なんだろう、ということだった。
「我が王国の民よ、静まるのだ!」
若い男の一喝によって周囲の空気が静まった。
見ると、黄金の髪を風になびかせ、絢爛豪華な衣服を身にまとった青年が現れた。
静寂に包まれた処刑場に、凛とした青年の声が響き渡る。
「神聖ライセ国王ハウゼンの名の許に、これより大罪人魔女カルミアの処刑を行う!」
ライセ国王ハウゼン陛下の言葉に、民衆の沸点は頂点に達した。
処刑場に大歓声が木霊し、次々に『魔女は殺せ、火炙りだ!』と大合唱が始まる。
柱に縛られたまま、目の前に広がる狂気と混乱の光景をまざまざと見せつけられていると、嘲笑うダリアの幻影が目の前に現れた。
きっと何処かで私を嘲笑いながらこの愉快なショーを見学していることだろう。でもお生憎様。私は絶対に期待に応えて泣き叫び命乞いするようなつもりはないから……!
私は『お姫様の勇者様』の物語を頭の中で反芻する。目を閉じれば物語の光景が鮮明に映し出され、たちまち胸は興奮のるつぼと化した。
「なんだ、本当に大切な宝物はこんな近くにあったのね?」
その時、ようやく私は気付く。本当に大切な宝物はこんな身近にあったことを。確かに私は魂にお姫様と勇者様が存在していることを認識した。
燃え盛る松明を持った兵士が近づいて来るのが見えた。
私もいい大人よ。お姫様の危機に駆けつけるような勇者様が実在しないことくらい分かっているわ。
しかし、その時、異変が起こった。
突如として遠くから無数の馬のいななきが響いてきたかと思うと、地鳴りの如き足音が迫って来るのが聞こえてきたのだ。
処刑場の熱気を切り裂くように、漆黒の旋風が吹き荒れた。黒銀の鎧に身を包んだ騎兵たちが、地響きとともに狂乱の群衆を割って突き進んでくる。
処刑場はたちまち騒然となり、悲鳴のような声が次々と上がる。
「あれはハイラ帝国最強の黒槍騎兵団ではないか⁉」
動揺と焦燥に塗れたハウゼン王の叫びが処刑場に木霊する。
そこに現れたのは全身を黒鎧と黒兜で統一した漆黒の騎士団だった。彼等の掲げる旗には黒獅子と黒百合が組み合わさった紋章が描かれていた。立ち込める油の臭いと熱気を、冷徹なまでの魔力が塗り替えていく。翻る軍旗には、闇夜に咲くような黒獅子と黒百合の紋章。その中心、一際巨大な黒王馬に跨る男の姿に、誰もが息を呑んだ。
刹那、私の脳裏に再び黒髪の男の子の姿が過る。
まただ。どうして私はこんな時になってまで男の子の幻影を思い浮かべてしまうのだろうか。
私が戸惑いを覚えていると、苛立ちに塗れた怒声が上がった。
「何故、貴様がここにいる。答えよ、ハイラ帝国皇帝オブシディアン⁉」
ハウゼン王の怒声が木霊すると、そこに他の黒騎士達よりも絢爛豪華な装飾品に身を包んだ青年が騎乗しながら一歩前に出た。
「久しいな、ライセ国王ハウゼン殿」
夜を凝縮したような黒髪に、燃え盛る焔を宿した真紅の双眸。彫刻のように整った美貌は、残酷なまでの気品を湛えている。彼が纏う漆黒の外套が風に翻るたび、処刑場の火刑の炎さえもが、彼を照らすためのスポットライトであるかのように跪いて見えた。
その神々しいまでの威風に、私は一瞬、呼吸を忘れた。絶望の底で夢見たお姫様の物語が、今、目の前で現実になったかのような錯覚。彼こそが、私をこの地獄から連れ出してくれる『勇者様』なのだと、淡い期待がときめきとなって大きく鼓動を高鳴らせた。
私でも彼のことは知っている。軍事大国にしてライセ王国の宿敵とも呼べるハイラ帝国の若き皇帝。
その名を『オブシディアン』。黒曜の君と呼ばれ、その勇名は大陸全土に轟いていた。
すると、真紅の瞳を持った若く美しい皇帝は私を見て柔和な笑みを浮かべた。
しかし、彼が私に差し出したのは救いの手ではなく断罪の剣。
まさかこの時、自分がもうすぐ彼に首をはねられるなんて、夢にも思っていなかった。
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