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「大量だぁ―――!」
「これ全部捌くのに苦労するぞ!」
「刺身!煮つけ!」
朝から海釣りに出かけていた力とメンバー達がクーラーボックスから、イサキや小鯛を相手にキッチンで格闘していた
昼間はあんなに晴れていたのに夕方からは雨が降って、夏なのにやけに冷え込んできた、その時キッチンの窓から沙羅の車が入って来たのが力達から見えた
沙羅は傘もささずにこっちへ走って来る、力はすぐに台所の勝手口を開けて沙羅を中に入れた
ガチャ!「沙羅!おつかれ!刺身食べる?釣って来たばかりで新鮮だよ」
「う・・・うん・・」
そこで力は沙羅の異変に気が付いた、沙羅は肩を落とし、目を合わせない・・・
その美しい瞳は、いつもなら開かれた本のように彼女の心を映すのに、今は殴られたように縮こまっている
それを見た瞬間、力は何かあったとわかった、彼女がこれほど動揺するのは娘の事だけだ
「どうしたの?何かあった?」
「今日・・・音々ちゃん見た?」
「ううん?見てないよ?どうかした?」
沙羅は口元に手を持って行って、力ない声で言った
「どうなんだろう・・・私の心配のし過ぎかもしれない、どこかお友達の所で遊んでて・・・フラッと帰って来るかもしれないし・・・」
沙羅は肩を落とし、今だに力と目を合わず、そわそわと落ち着かない
エへへ・・・「過保護なのよね・・・まだ五時だし・・・真由美もよくからかうの、あなたは音々ちゃんが赤ちゃんの頃からミルクを飲まないと心配して、飲み出すと飲み過ぎだと心配して、あの子が1歳になってもしゃべらなかったら心配して、今はおしゃべりが過ぎると心配してるのねって・・・」
ごまかすように沙羅が笑う
「音々ちゃんが大人になっても車を運転し出したら事故るんじゃないかと心配して、恋愛したら悪い男に騙されるんじゃとずっと心配するのよって真由美はいつも私に冗談を―」
「―でも君は何かおかしいと感じてるんだね?」
ハッと沙羅は初めて顎を上げ、力と目を合わせる・・・
かつての自分達はお互いの目を見ただけで相手の気持ちがくみ取れた、沙羅はこの時初めて確信した
今のこのザワザワした不安・・・なんとも言いようのない・・・音々に対しての不安を真剣に聞いてくれる人はこの世でただ一人、父親であるこの人だけだ
「ね・・・音々のキッズスマホのGPS位置情報が反応しないの!・・・もしかしたら誰かのおうちで今も楽しく遊んでて、充電が切れてしまっただけかもしれないし・・・壊れているかもしれないし・・・そんな騒ぐほどの―」
「―でも今まではそんなことなかったんだね?」
じっと二人は見つめ合う・・・
沙羅がスマホを強く握りしめている、このスマホだけが働く母親と子供を繋ぐものだった事を物語っている・・・
力がソファーの背もたれに腰掛けると、膝の間に沙羅を立たせた
それからそっと沙羅の両手を握った、今彼は沙羅の目を見て気持ちを読んでくれている・・・それがどんなに心強いか・・・沙羅は力への信頼と愛に勇気をもらって話しだした
「・・・こんな事は一度もなかったわ!だっていつも言い聞かせてたもの!うちは私が仕事をしているから・・・母子家庭だから・・・何かあってもすぐに駆け付けれるように、どこかに行くときは必ずスマホを持って行ってって・・ママはあなたが何処にいるか分かったら安心して働けるからって・・・それをあの子はずっと守ってくれてて・・・」
「うん・・・うん・・・」
沙羅の両手がぎゅっと握り締められ、指の関節が白くなるほど震えているのが伝わってくる
力は彼女の手をそっと包み込み、優しく指の関節にキスをした・・・
もう一方の指にも同じように唇を寄せる、沙羅の荒い呼吸が耳に響き、彼女の動揺と興奮が空気を震わせる
おちつかせようと抱きしめると、沙羅はようやくその腕を受け入れ、頭を力の肩に置いてもたれた
だが、今や力の心にも沙羅と同様暗い靄が広がっていた、冷たく・・・得体の知れない不安が胸を締め付ける
そんなわけがない・・・ここは韓国じゃない・・・
力は自分に言い聞かせるように心の中で繰り返した、音々が危険にさらされるなんて、ありえないはずだ
その時、また勝手口が開いた
ガチャッ!「おーい! 力! 音々ちゃんそっちにいるかぁ~?」
勝手口から健一の声が玄関に響き渡る、力の背筋がピンと伸び、沙羅もハッと顔を上げる
キッチンにいたメンバーもリビングに集まってくる、拓哉が険しい顔で奥の部屋からやってきた
「おい・・・誰か俺の部屋に入った? 窓が開いてるんだけど」
「ううん?」
誠が首を振る
「俺、釣りに行く前に絶対に部屋の窓閉めたぞ?」
拓哉の声には苛立ちと不安が混じる、リビングの空気が一瞬で張り詰めた
健一が怪訝な表情で皆を見回し、声を低くした
「・・・音々ちゃん、こっちに来てないのか?」
「今日は誰も見てないんだ」
全員がお互いを見合っている、誰も何も答えられない、沈黙が重くのしかかる中、誠が地下室の階段を駆け上がってきた、手に握っているのは小さなギターだ
「おい! これ見てくれ! 地下室に音々ちゃんのギターがあった!」
リビングにいた全員が凍りついた、健一がギターを凝視し顔から血の気が引く
さらに海斗の声がリビングに響く
「玄関に音々ちゃんのサンダルがあったぞ、あの子は間違いなく昼間、俺らがいない時にこの家に来てたんだ!」
沙羅の恐怖に見開かれ、ハッと息が止まる
「どこに行ったの?」
声が震えた
「・・・まさか・・・」
その時、ジフンがポツリと呟いた
「え? 何? まさかって何!? 何なの!?ジフン!」
沙羅の声が鋭く響く、彼女の動揺が部屋中に波紋のように広がる、拓哉、誠、海斗、力が同時に顔を見合わせる、誰もが同じ恐ろしい可能性を頭に浮かべていた、健一の顔も青ざめて唇が震えている
「何よ!! 何でもいいから教えて! あの子が何処へ行ったか心当たりあるの!?」
沙羅が力に詰め寄る、彼女の手が力のシャツを掴み、ぎゅっと引き寄せる
「教えて、力!!」
力の喉が詰まる、言葉にならない恐怖が胸を締め付ける、外は夏の夕方なのに真っ暗だ
開け放たれた拓哉の部屋の窓、地下室に落ちていたギター、玄関に残されたサンダル―
―全てが音々の存在を叫んでいるのに彼女の姿はどこにもない
「何かがおかしい」
「おかしいって何!? 音々が・・・音々が誘拐されたってこと?」
沙羅の声がヒステリックに跳ね上がる、彼女の目から涙が溢れ頬を伝う
拓哉が拳を握り締め言った
「くそっ! 誰かがこの家に入ったんだ!」
「とにかく警察に電話しよう!」
健一が震える手でスマホを取り出し、警察に電話をかける
「もしもし! 緊急です! うちの孫娘が・・・行方不明で・・・ハイ!ハイ!」
普段の穏やかな健一の姿はどこにもなかった
地下室への階段が、リビングの隅で暗い口を開けている
音々のギターが床に置かれ、弦が微かに震えているように見えた、誰もがその暗闇に目をやるが、足を踏み出す勇気がない
外では風が吹き、木々がざわめく音がガラスを叩く
まるで何かを警告するかのようだ
―誘拐―
この言葉が、誰の口からも出ないまま、皆の心を締め付けた
・:.。.・:.。.
力の家のリビングはまるで嵐の後のように混乱していた
警察官が何人も家と外を出入りし、バタバタと大勢の足音がリビングの床に響いている、書類をめくる音や無線の騒々しい音が空気を切り裂く
ソファーに座る沙羅の膝がガクガクと震えていた、彼女の顔は青ざめ、目は赤く腫れ、唇は乾いてひび割れている、私服刑事が目の前に立ち、手帳を手に同じ質問を繰り返す
「最後にお子さんと会ったのはいつですか?」
「その時の様子は?」
「何か変わったことは?」
「地下室があらされています!」
「誰かが侵入した模様!」
沙羅は拳を握り爪が手のひらに食い込むほど力を込めていた
―何度も同じことを言わさないで!さっさと探してよ!―
心の中で叫びが渦巻くが声に出せない、彼女の喉は恐怖と苛立ちで詰まっていた
健一も別の刑事に囲まれ、血の気がまったく失せた顔で質問に答えている
「昼頃、音々がうちの縁側でウサギと遊んでいました・・・それから息子の家に行くって・・・」
健一は真っ青になり声は震えていた
リビングのテーブルには沙羅と健一と力のスマホが並べられ、音々のキッズスマホのGPS位置情報を何度も確認するが、画面には「位置情報なし」の冷たい文字が点滅するばかり
警察官の話し声が聞こえる
「信号が途絶えてる」
「電源が切れてる」
「おそらくは圏外県に移動しているか・・・」
とのささやきに沙羅の心臓が締め付けられる
雨はやみ、リビングの窓から差し込む夕陽はまるで血のように赤く床を染めていた
拓哉もイライラしながらリビングを行ったり来たりし、ジフンも青ざめて誰かに電話している
誠と海斗もうなだれてじっと座っている
地下室に落ちていたと言う音々のギターがテーブルの上に置かれ、弦が微かに震えているように見え、その横には音々のサンダルがジップロックに入れられて保管されている
その物々しさが余計に深刻な事件性を表し、まるで音々の笑顔がまだそこにあるかのように残っている・・・だが、音々自身はどこにもいない
「きっともう見つからないわ・・・」
部屋の隅でポツリと言った沙羅の声は掠れ、メンバー全員がハッと沙羅を見た
「沙羅!僕の部屋で話そう!」
力が沙羅の手を引いて二階に連れて行った、沙羅は手を引かれるまま・・・力なく力の後を着いて行った
力の部屋の扉が閉まるなり力は鋭い声で言った
「あんな事をみんなの前で言っちゃいけないよ」
沙羅は力を背に窓の前で立ち止まり、両手を脇で握りしめてなんとか自分を抑えようとしている、しかし涙がハラハラと頬を伝い落ちる
「今・・・日本じゃ毎年1000人以上の子供が行方不明になってるのよ、少子化対策なんて言いながら、なんで政府はそれを発表しないの? なんで警察はもっと本気で探さないの? なんでマスコミは報道しないの? あの子供達は誰に連れ去られてるの? どこへ行くの? どうして見つからないの!?」
彼女の声は次第に叫びに変わり、力の寝室に響き渡る
「沙羅、落ち着いて!」
「どうしてこの事実を国は秘密にしているの?子供を盗まれた親は何を支えに生きて行けばいいの?」
沙羅はガクリと肩を落として涙声で叫ぶ
「誰よ! 誰なのよ! 私の子を返して! あの子は私の子なのよ! 私が誰よりも――」
沙羅の声が途切れ心の中で叫ぶ
―あの子は私の命なのよ!―
その瞬間、沙羅は両手で顔を覆って嗚咽をもらした、力はそんな沙羅を後ろから抱きしめた、両腕を沙羅の胸の前で交差し、沙羅を自分の胸にもたれさせた
「大丈夫だよ・・・僕が絶対に探して見せる」
力の声は力強く、だがどこか震えていた
ヒック・・・「あの子はまだ小さいのよ・・・もし車のトランクなんかに閉じ込められたらすぐ死んじゃうわ」
沙羅の声は恐怖に支配されブルブル震えていた
「そんなことは絶対にさせない! 僕達の子は絶対に無事だ!」
沙羅を抱きしめる力の声には確固たる決意が宿っていた
力は沙羅を抱え上げ、姫抱きしたまま、ベッドの端に座わって、そのまま膝の上に彼女を乗せた、そして再び大丈夫だと彼女を慰めたが、心の奥では暗い影が揺れる
もし、報道陣やサセンが音々を僕の子供だと嗅ぎ付けたら・・・
さらう可能性は無いとは言えない・・・
力は唇を噛み、恐怖と罪悪感を押し殺し、心の中で決意を固めた、もし本当にそうならただじゃおかない!この難局は必ず乗り越える
ウッウッ・・・「私はどうなったっていい! 音々ちゃんだけは無事でいて・・・」
「何を言うんだ! 君だって失うわけにはいかない!」
沙羅が必死に力の首にしがみついて泣く、体から発っせられる悲しみの熱が力にも伝わる
ヒック・・・「ごめんなさい、力・・・もっと早く音々ちゃんの事をあなたに伝えるべきだった、もっと早く、お互いの事を話す機会を作るべきだった、そうしたら、あなたはあの子ともっと絆を深める時間があったのに・・・それを奪っていたのは私のせいよっ」
力の胸が締め付けられる、長い間閉ざされていた沙羅の心の扉が開いたような気がした
「僕が帰ってこようとしなかったんだ!反対の立場なら僕もそうしていた!君は何も悪くない!自分を責めないで!僕まで苦しくなる!」
沙羅は小さく首を振る
「いいえ・・・力、あなたにあの子が生まれた事を伝えなかったのは・・・私が怖かったからよ、あなたは私を嫌って逃げたと思っていたから・・・これ以上嫌われたくなかったの、もし知られたら、結婚を止めたのに勝手に子供まで産んで嫌な女だと思われるんじゃないかって・・・」
力は黙って沙羅を見つめた・・・
彼女の涙に濡れた瞳が力の心を揺さぶる、沙羅は僕が望んでいることを言おうとしているのか? 胸が早鐘を打ち、言葉が喉に詰まる
ヒック・・・「愛しているの、力、ずっと愛していたわ、忘れられるわけがない、今まで辛く当たってごめんなさい」
沙羅の声は囁きのようで、力の胸にしがみつく、彼女の手は震えていた、彼女は全てをさらけ出し、命綱を求めるように力を抱きしめた
「沙羅!これだけは誓って言う!君を嫌うなんて一生ない!君は僕の一生涯の愛しくて尊敬に値する女性だ!だから帰って来たんだ!」
力は自分の気持ちを伝えようと必死に言葉を探したが、胸が一杯で愛の深さを表現しきれなかった、彼の目にも涙が滲む
「さぁ、沙羅・・・僕達の娘を見つけよう、みんながいるリビングに戻れる?」
ヒック・・・「あと1分だけ・・・このまま・・・」
「わかった」
力は沙羅をぎゅっと抱きしめ、背中を優しくさすった
音々の命がかかっている、一刻も早く捜索に加わりたいという焦りが胸を突くが、沙羅の精神状態も心配だ
あらためて沙羅から音々を取り上げたらこんなにもか弱く・・・死んでしまうのではないかと感じた、力は心を決め、沙羅が落ち着くまで彼女をこうして抱きしめ続けようと思った
沙羅は泣きながら力の腕の中で、音々を想った
音々ちゃん・・・
・:.。.・:.。.
ママを呼んで・・・
どんな小さな声でもいいから・・・
ママ、すぐに駆けつけるから・・・
お願い帰ってきて・・・
あなたがいないと私は生きていけない・・・
・:.。.・:.。.
抱き合う二人の心の中には音々の笑顔が、まるで幻のように浮かんでいた