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昼休み。教室の喧騒の中、遥は日下部とほとんど目を合わせられなかった。いつも通りを装っていたつもりだったが、心の中では、昨夜の“あの気配”がずっと燻っていた。
(なんで、あんな顔……見せたんだ、俺)
泣いた自分も、見せた相手も、許せなかった。
それ以上に、日下部の優しさが、まだ壊れていないことが、どうしようもなく怖かった。
だから。
「……ごめん。なんか、気に障るようなこと言ったなら」
日下部がそう言ったとき、遥は一瞬、呼吸を忘れた。
その声は、いつもと変わらない──けれど、どこか、少しだけ距離を測っているような、そんな音だった。
遥は、笑うしかなかった。
喉の奥で、自嘲の笑いが泡のように滲んだ。
「……なんで謝んの、おまえ」
静かに言ったつもりだったが、声はどこか尖っていた。
「謝んの、ずるくね? ……そうやってさ、俺が悪いみたいにすんの」
「……そういうつもりじゃ──」
「じゃあなんのつもりだよ」
もう止められなかった。
日下部の一歩すら、いまの遥には痛かった。
優しさが、地雷だった。
その“優しさ”の正体が、何より怖かった。
──罪悪感?
──贖罪?
──昔、加害してたから?
──それとも……俺が、壊れそうだから?
(違えよ……ちがってくれよ)
「……何が欲しいの、おまえ」
ぽつりと落とした言葉は、半ば無意識だった。
「優しいことして、俺に何、させたいの?」
日下部は答えなかった。
ただ、黙って遥の顔を見ていた。
まなざしが、残酷なほど真っ直ぐだった。
(やめろ、そんな目すんな)
「……俺、おまえに抱かれたいって……ずっと思ってる」
喉の奥に、それが浮かんだ瞬間、遥はゾッとした。
それを言いかけた、という事実だけで、全身が自己嫌悪に覆われる。
(言うな、言ったら……壊れる。終わる)
「……でも言えねぇよ、そんなこと。言えるわけねぇだろ……」
喉の奥で、それだけは呟かれていた。
声にならない、声だった。
日下部はまだ、何も言わない。
沈黙が、どこまでも深くなる。
遥は、目を伏せたまま、指先を握った。
泣いてはいなかった。
けれど、目元は赤かった。
涙は、もう出てこなかった。
出せないように、自分を締め付けて、凍らせていた。
「……どうせ、おまえも……そのうち壊れるよ」
呟いた言葉に、自分自身が怯えた。
願いと呪いが同居していた。
(抱かれたい)
(壊したい)
(壊されたくない)
(守ってほしい)
(消えてほしい)
(殺してほしい)
そんな矛盾が、遥の中で暴れていた。
けれど──日下部は、ただそこにいた。
壊れもせず、遠ざかりもせず。
不器用なまま、遥の近くに。
その“変わらなさ”が、遥にとっては地獄だった。
欲望の罪悪感と、安心の絶望。
次の瞬間、蓮司の笑い声が遠くから聞こえた。
その音だけで、遥の心はまた、深く沈んでいった。