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あの日
テラスの冷たい石床で息絶えた男が遺した「戦慄」は、私の胸を去るどころか
毒のようにじわじわと全身に回っていた。
ジェルはそれ以来、私を外界から遮断するように周囲の警備をさらに厳重にし
公務以外の時間は片時も側を離れようとはしなかった。
執拗なまでの献身、窒息しそうなほどの愛。
けれど、運命が私の味方をしたのか。
彼が王家直属の、決して欠席を許されない秘儀へ出席するため
どうしても数時間だけ城の深部へ向かわねばならない時が訪れた。
私は、彼が「決して入るな」と、それこそ命じられたら死を覚悟するほど固く禁じていた場所
彼の私室のさらに奥、私設の書斎へと足を踏み入れた。
そこは、無駄な装飾を一切排除した整然たる軍人の部屋だった。
しかし、天井まで届く本棚の隅。
一見すると退屈な戦術書にしか見えない
巧妙に偽装された背表紙の裏に、一冊の古びた日記が隠されていた。
革の表紙は幾度も手で触れられたのだろう、手垢で汚れ、角がボロボロに擦り切れている。
震える指でそれを開いた瞬間、私は息を呑んだ。
そこに並んでいたのは、現在のジェルが書く完璧なまでに美しい文字ではなく
まだ幼さを残した、乱暴で、それでいて血を吐くような切実な筆致だった。
「…これが、ジェルの……あなたの、本当の姿なの?」
日記が綴っていたのは、私が見せられていた煌びやかな貴族の世界とは正反対の
泥に塗れた惨状だった。
ジェルは王家に連なる輝かしい名門の出身などではなく、北方の極寒の地で
飢えと寒さに震えながら没落していった、名ばかりの貧しい貴族の息子に過ぎなかった。
冬の激しい嵐の中
絶望の淵で死を待つだけだった幼い彼の命を繋ぎ止めたのは
村の外れで「呪われた子」として疎まれていた、一人の白髪の少女だったという。
『彼女は、自分の口に入るはずの乏しいパンを僕に分け与え、その真っ白な髪で僕の凍えた体を包み込んで温めてくれた。村中の人間が僕を見捨てた中で、彼女こそが、僕の絶望の暗闇に現れた唯一の光だった』
日記を読み進めるにつれ、幼い恋情は次第に暗く、重い執着へと姿を変えていく。
少女はその後、王位継承の醜い争いに巻き込まれた。
身代わりの「影武者」として、名前も身分も剥奪されたまま
豪華な、死へと続く王宮の馬車に連れ去られたのだ。
力なき子供だったジェルは、愛する彼女を奪い去る馬車の轍を見つめ、泥を噛みながら自分の無力さを呪い続けた。
『彼女を、僕の唯一の神様を救い出すためなら、神でも悪魔でもいい。この魂の欠片まで売り払ってやる。あんな冷酷な玉座から、彼女を僕の腕の中へ奪い返せるほどの、絶大な力が欲しい』