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〇ひまりと滉星の出先
気まずそうに飲食店で食事をするひまりと滉星。
N「鉄道会社への就職が決まって引っ越しをする頃には、滉星から休みの日に
食事でも……と誘われるようになった」
ひまり(毎日メールが来てたときには、はっきり言ったほうがいいのかも……なんて
考えてたのに、ご飯に誘われたらほいほい出てきちゃうなんて……私も私で馬鹿だなぁ……)
N「わかっていて触れないようにしているのだろうけど、滉星だって心の中では
いつか私たち夫婦の別れが来ることを覚悟しているはず。
それなら、その日が来るまでご飯くらいは……なんて思ってしまう自分もいる。
引っ越しをして2か月目に入ると、今度は近場へのドライブにも誘われるようになった。
結局、私はそのドライブにも付き合ってしまうのだった」
ドライブ中のひまりと滉星。
ひまりは虚しそうに窓の外を眺め、滉星は少し嬉しそうに前を向いている。
滉星(ひまりもなんだかんだで付き合ってくれるし、このまま頑張れば
帰ってきてくれるかもしれない……)
ひまり(いつかはさよならするわけだし、これも思い出作りかな……)
N「滉星にとっては仲直りのためのドライブ。
一方、ひまりにとってはさよならのためのドライブ。
同じ車に乗り、同じ方向へと進む2人だったが、その心が交わることはなかった」
〇鉄道会社
職場でひまりが冬也に電話対応や事務用品の管理などの仕事を教えてもらっている。
N「私の教育係ということもあって、新堂さんとは一緒にいる時間も多く、すぐに
打ち解けることができた。
帰りが一緒になることも多かったので、入社して3か月を過ぎた頃にはよく2人で
お茶をして帰るようになっていた」
〇カフェ
ひまりが冬也と一緒にカフェで楽しそうに話をしている。
すると、話の途中で冬也が「あっ」と何かを思い出したかのような顔をした。
冬也「……そうそう。日比野さん、結婚されてるって聞いたんですけど……」
ひまり(あー……、総務あたりに聞いたのかな)
ひまり「うん。一応、書類上はね」
冬也「なぁーんか引っかかる言い方ですねぇ~。何か事情でもあるんですか?」
ひまり「新堂さん、口堅いですか?」
冬也「はいはい、それはもう貝のように」
ひまり「……実はね、いつになるかは決まってないけど離婚する予定なの。
私、結婚してからは専業主婦してたんだけど、離婚したら専業主婦ってわけにはいかないじゃない?
それで正社員になるためにこの僻地にやってきたってわけ」
冬也「へぇ~……、そうだったんですか。
僕なんかまだ独身で世間知らずのひよっこですけど、大人っていろいろと大変なんですね~」
ひまり「ふふふ、まぁね」
冬也「……ちなみに、理由なんか聞いちゃったりするのはダメですよね?」
ひまり「ダメでしょ…… 」
冬也「ですよね~」
しょんぼりとする冬也だったが、すぐに気を取り直してひまりに笑顔を向けた。
冬也「じゃあ僕、日比野さんが晴れて独身になったら、恋人に立候補します!」
ぽかんとするひまり。
ひまり「……新堂さん、私の目を見て」
そう言われて、冬也は素直にひまりの目をのぞき込んだ。
冬也「綺麗な目ですね」
ひまり「そうじゃなくって……わかる? 私、これ以上ないほどに驚いてるの」
冬也「あはは……」
ひまり「……でも、それいいね。その言葉、使えそう……」
ひまりが独り言のようにぶつぶつ言っているのを冬也は頭の上にたくさんの疑問符を
浮かべながら見ている。
ひまり「今の言葉、すっごく参考になった。ありがと」
冬也「うん……? よくわかんないですけど、お役に立てたならよかったです」
冬也はへらっと笑った。
ひまり「とにかく今はおいしいコーヒーをいただきましょ。あと……立候補もありがとね」
冬也「へへっ」
ひまり(……あーあ、でも新堂さんもあんなこと言っちゃって。
そのうち、若い子でも入社してきた日には私のこと恨みたくなっちゃうかもね)
ひまりはくすりと笑った。
〇ひまりが一人暮らしをしている家
ひまりが複雑そうな顔でスマホの画面を眺めている。
N「この頃になると私は滉星からの誘いも疲れを理由に断るようになっていた。
本当に疲れていたのもあるけれど、何よりも情に流されてはいけないと思ったからだった。
しかし、何度断っても滉星は諦めなかった。
そして、私はもうこうなったら言うべきことを言おうと最後のつもりで
滉星からの食事の誘いに応じることにした」
〇飲食店
相変わらず気まずい雰囲気の中、食事を終えたひまりと滉星。
ひまりは姿勢を改めて、滉星に話しかけた。
ひまり「……いつもご馳走してくれてありがとう」
滉星「いいんだ。俺がひまりと一緒に食事したかっただけなんだから」
ひまり「それでね……」
そう言いかけたところで、滉星がひまりの手を握る。
滉星「そろそろ帰ってきてくれないか。……ああ、もちろん仕事のこともわかってる。
だから今、俺とひまりそれぞれの職場の中間あたりで住む家を探しててさ」
ひまり「……滉星くん。そのことだけど、これ……」
ひまりが記入済みの離婚届を差し出した。
ひまり「もう私のほうは書いてあるから、あとは滉星くんのほうで提出をお願いします」
滉星は呆けたような状態で、離婚届を受け取ろうとはしなかった。
しばらくして我に返ると、自嘲気味な笑みを浮かべ、離婚届を受け取った。
滉星「……いつ出せるかわからないけど」
ひまり「私ね、気になる人ができたの。その人も私のことを好きだって言ってくれてる。
年下だけど、しっかりしてて信頼できる人。
だからね、さすがに私もすぐに再婚なんて考えてないけど、離婚したあとの人生設計に
入れてもいいかなくらいには考えてる」
滉星「……」
ひまり「滉星くんもさ、私になんて構ってないであの石田さんって子との人生を
考えてみれば? あんなことするくらいあなたのことが好きなんでしょ?
そこまで好きでいてくれる相手がいるなら、その人と一緒になったほうがいいと思う」
滉星は俯いたまま、黙っている。
N「俯いたままの滉星を見ているのがつらくて、私は席を立って先に店を出た」