「あそこって鯉いるんですか?」
「いるよ。今は冬だからジッとしてると思う」
私は目を見開いて「冬でも池なんだ~」と頷き、尊さんのあとをついて玄関に向かった。
尊さんが|簾戸《すど》の横にあるチャイムを押すと、女性の声で「どうぞお入りください」という返事があった。
「家政婦さんだ」
彼に説明され、私はコクンと頷く。
コートを脱いでから緊張して玄関に入ると、思っていた以上に広い空間になっていて、お屋敷の裏手にある庭を望める大きな窓があった。
その脇には丸いガラステーブルとソファのセットがあり、多分ちょっとしたお客さんならここで応接するのかもしれない。
「いらっしゃい」
初めて入る豪邸に圧倒されていたけれど、柔らかな雰囲気の声がし、私はハッとしてそちらを見る。
すると|銀鼠《ぎんねず》の着物を着た老婦人と、家政婦さんらしき五十代の女性がこちらにやってくるところだ。
「久しぶりね、尊。そしてあなたが朱里さん? 初めまして。篠宮|琴絵《ことえ》です」
尊さんの祖母――琴絵さんは、可愛らしいお嬢さんがそのまま歳を重ねた雰囲気を持っていた。
お祖父様は|矍鑠《かくしゃく》とした方と窺っていたから、このおっとり感が亘さんに継がれたのかもしれない。
「初めまして、上村朱里と申します。本日はご多忙ななか、お時間を作っていただきありがとうございます」
ペコリと頭を下げると、琴絵さんは目を細めて微笑んだ。
「どうぞ、中に入って」
「ありがとうございます。お邪魔します」
彼女に上がるよう促され、私はお辞儀をしてからパンプスを脱ぐ。
事前にエミリさんや尊さんに話を聞いていたので、乱暴な所作はしないように気をつけ、琴絵さんに背を向けないように丁寧に靴を揃えた。
姿勢を戻すと、少し離れたところに琴絵さんと家政婦さんがいて、目が合った私はニコッと笑う。
琴絵さんも微笑み返してくれ、そのまま私たちは廊下を進んでリビングに向かった。
(わぁ……)
引き戸を開くと思っていた以上に広い空間が目に入り、私は軽く瞠目する。
お屋敷は和風の外観敷で、内装も基本的に同じ雰囲気だけれど、快適に過ごせるようモダンなデザインになっている。
リビングにはコの字型のゆったりとしたソファがあり、一枚板のテーブルが置かれてある。
その頭上にはシンプルな木製のシャンデリアがあり、大きな液晶テレビの近くにあるスピーカーも木製のデザインで合わせていて、とてもセンスがいい。
窓は日本庭園を見渡せるように大きく、旅館のように|広縁《ひろえん》のようなスペースが設けられ、プロによって設計された美しい庭を愛でられるようになっていた。
グランドピアノの側にはもう一つソファセットがある上、大きな暖炉もあり、まるでサロンのような雰囲気だ。
ダイニングやキッチンは同じ空間になかったので、多分別のところにあるんだろう。
あまりに素敵なお屋敷なので、思わず見回してしまったけれど、勿論、不躾にジロジロ見たりしていない。
「尊、久しぶりだな」
ソファには着物姿の老紳士――名誉会長の|有志《ゆうじ》さんが座っていて、私たちを見ると笑みを浮かべて立ちあがった。
琴絵さんは家政婦さんにお茶の用意を頼み、私たちは座るよう言われて下座に腰かける。
「今日は時間を作ってくれてありがとう。こちらが婚約者の上村朱里さん。二十六歳で同じ部署の部下だ」
尊さんが紹介してくれ、私は彼らに会釈して微笑んだ。
「初めまして、上村朱里と申します。ご多忙な中、お時間を割いていただき、感謝いたします」
挨拶をしたあと、私は手土産を渡す。
「私の父が山梨県の甲府出身でして、お酒を好まれていると尊さんに窺いましたのでワインをどうぞ。ワインに合わせたチーズも入っています」
「まぁ、ありがとう。私、お酒に目がないのよ」
ニコニコした琴絵さんに紙袋を渡したあと、私はもう一つの紙袋を出す。
「そして生菓子になってしまい大変申し訳ないのですが、尊さんが名誉会長は『流行のお菓子に常にアンテナを張っている』と仰っていたので、こちらを……」
そう言って差しだしたのは、日本橋にある五つ星ホテルで販売している、雲の形をしたケーキだ。
ワインは前日に二人で山梨県に行って買ったし、このケーキは予約を受け付けていないので、今朝早くから尊さんと一緒に並んで買ってきた。
一つだけでホールケーキが買えそうな値段だけれど、四の五の言ってられない。
あまり値の張る物は手土産にふさわしくないかもしれないけれど、尊さんが「構うな、いける」とゴーサインを出してくれた。
コメント
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手土産のセンスも素晴らしい....🍷✨
ワインのために山梨まで! ケーキのために朝から並ぶ!! そこまでされたら感動で泣いてしまう🥹