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恵
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#連載小説
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星キラリ

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藤代雪乃は、暗い通路を走り続けた。
素足が冷たい石を踏み、爪先が欠けた縁に当たって小さな痛みが走る。太腿に残る歯形が、走るたびに熱く脈打つ。後ろから、犬耳美少女の四つ足の足音が途切れない。軽い、しかし確実に距離を詰めてくる音。雪乃は肩で息をし、涙で視界が滲むのを拭う余裕もなかった。
「……嫌、嫌よ……」
声にならない呟きが、喉の奥で潰れる。薔薇の能力はまだ使えるはずだ。蔦を伸ばして道を塞げばいい。だが、さっき引きちぎられた感触が手に残っている。あの力には、簡単に負けた。次に絡めても、同じように破られるかもしれない。考えるより先に、足が勝手に動く。右へ折れ、左へ曲がり、同じようなアーチが続く。礼拝堂の地下は、思った以上に広かった。
ふと、通路の壁に小さな扉を見つけた。
錆びた取っ手に手をかけ、引く。重い。それでも体をねじ込むようにして中へ滑り込む。扉を背中で押し閉じ、息を殺す。外側で足音が止まった。鼻を鳴らす音。犬耳美少女が、匂いを嗅いでいる。雪乃は口に手を当て、震える呼吸を抑えた。数秒。あるいは十秒。長い沈黙のあと、足音は再び遠ざかっていった。
……逃げ切れた?
膝から力が抜け、雪乃はその場に座り込んだ。狭い部屋は、古い備品が積まれた物置のようだった。埃っぽい空気。窓はない。頭上に小さな通気口があるだけだ。素肌に積もる寒さが、ようやく意識にのぼる。大学の自室で、朝の鏡の前で薔薇を切り落としていた自分が、遠くに感じられる。学院の中庭に詩織を、結衣を、遥を飾った夜も、今は罰の前触れにしか思えない。
「欲望に使いすぎね」
謎の美少女の声が、耳の奥で再生される。六枚の翼。金色の光。拒否権はない、という言葉。雪乃は自分の腕を抱いた。薔薇は今、咲いていない。能力を使えばまた出てくるかもしれないが、ここで香りを立てたら居場所がバレる。犬耳美少女は、匂いにも敏感なのだろう。
静かな時間が、しばらく続いた。
雪乃は立ち上がり、部屋の奥を探った。古い布や箱の間に、薄汚れたシーツのようなものを見つける。それを身体に巻き、一応の覆いとする。完全ではないが、素肌を晒したままよりはマシだった。通気口から微かな風が入り、外の気配を運んでくる。犬の足音は、もう聞こえない。代わりに、遠くで水滴が落ちる音だけが規則正しく響いていた。
「藤代雪乃さん」
突然、頭の中に直接届く声がした。さっきと同じ、逃げるように促した声だ。性別も年齢も判然としない。優しいようで、突き放しているようでもある。
「まだ終わりではありません。罰は、逃げた先にも続きます。それでも走ると言うのなら、走ってください。ただし——」
声が、一瞬途切れた。
「——この礼拝堂から出る方法は、一つだけです。自分が飾った子たちと、同じ目に遭う覚悟があるなら、奥へ進みなさい」
雪乃の背筋が凍った。
同じ目に遭う。十字架に吊るされ、台座に縛られ、蝶に群がられ、アリに甘噛みされる。自分が「作品」にした子たちの立場になる、という意味か。拒否すれば、犬耳美少女に再び捕まる。進めば、自分の欲望が跳ね返ってくる。どちらを選んでも、罰からは逃れられない構造になっていた。
雪乃はシーツを握りしめた。
大学二年生。都内在住。学院の生徒ではない外部の人間。かつて感情の色を視る弱い能力を持ち、それを失ったあと、空白を埋めるように「可愛い女の子を飾りたい」という欲求だけが肥大化した。声に願いを聞き届けてもらい、薔薇の力を得た。使いすぎた。だから今、ここにある。後悔は、すでにある。それでも、走ってここまで来た以上、立ち止まる選択肢は薄かった。
物置の扉を、静かに開けた。
通路は暗いままだった。犬耳美少女の気配は、今はしない。雪乃はシーツを纏ったまま、声が示した「奥」の方向へ、ゆっくりと足を進めた。石の冷たさが踵から上がってくる。次に何が待っているのか、わからない。ただ、自分の名前を呼んだ声が、まだ頭の片隅で残響している。
罰を、悔い改めよ。
礼拝堂のどこかで、その言葉が再び響くような気がした。藤代雪乃は、暗闇の先を見つめたまま、歩き続けた。
続く。
コメント
3件
第85話読み終わったよ……😭💦 もう雪乃ちゃんが追い詰められてて、足音が迫ってくるシーン、息止めて読んじゃった!! 薔薇を使おうとしても引きちぎられた感触が手に残ってて使えない葛藤とか、生々しくて苦しかった…… 「自分が飾った子たちと同じ目に遭う覚悟があるなら」って声の台詞、めっちゃ背筋凍った🥶 罰から逃げられない構造、本当に重いね……でも雪乃ちゃん、それでも進むんだ……続きが気になりすぎる!!!