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第112話:読み上げられる『あの日のお便り』〜二十万人の公開処刑と、帯広に響く無職のポエム〜
「……あ、あばばば……」
北海道、帯広市。
築三十年のボロアパート、四畳半。
俺、株式会社インフィニティ・ワン代表取締役・秋谷雪(四十歳)は、三万円のゲーミングチェアの上で、限界を迎えたマンドラゴラのような声を上げていた。
モニターに表示された、同接(同時接続者数)カウンター。
その数字は、ついに【二十万人】を突破し、なおも増え続けていた。
東京ドーム四個分。
それが、今まさに俺の「黒歴史」を覗き込んでいる観衆の数だ。
画面の中央では、俺のアバターである【リアル秋谷モード(毛玉ジャージ・無精髭・画面の割れたスマホ装備)】が、俺の動揺とリンクして、ブルブルと情けなく震え続けている。
『さあ、みんな! 今日はこの奇跡のコラボを祝して!』
相手の配信枠から、ミリオン登録者の超絶大手VTuber・蒼月(そうげつ)の、底抜けに明るい声が響き渡った。
『秋谷さんが……いや、当時の「限界底辺おじさん」が僕に送ってくれた、あの伝説のお便りを! もう一度、朗読させてもらおうと思います!』
「ぎゃあああああああああっ!!」
俺はマイクをミュートにして、畳の上でのたうち回った。
やめろ! それだけは! 二十万人の前で、俺のあの痛すぎるポエムを音読するのだけは!
『ルシフェル社長。ミュートは外してください。社長の悲鳴もまた、立派なエンターテインメント(商品)です』
イヤホンの向こうで、アシスタントの結愛(ゆあ)が冷酷に指示を飛ばす。
「鬼! 悪魔! 俺の尊厳が完全に死ぬだろ!!」
『プライドの死は、税務調査回避のための必要経費です。さあ、ミュートを解除して、存分に公開処刑されてください』
俺は泣きながら、ミュートボタンを解除した。
背後では、パイプ椅子に座る帯広税務署の調査官・黒岩が、バインダーにペンを走らせる準備を整えている。
彼もまた、この「証拠提示」の瞬間を、冷徹に見届けるつもりなのだ。
『それじゃあ、いくよー! タイトル……【40歳高齢無職オタクの質感。あるニートのおっさんの1年】!』
蒼月の美声が、インターネットの海に放たれた。
『……うすら体調悪い状態で朝7時に起きる。Xを確認し、VTuberの投稿を見たという証拠に、いいねを押していく……』
「あああああ! 痛い! 冒頭から痛い!!」
『……最近の3Dゲームが動くパソコンを持っているわけでもないので、格安スマホでカクカクの映像を見ながらログインと多少のデイリーをするが、システムがよく分からず適当に連打している。その勉強をする気力がない……』
「やめてえええええ! 割れたスマホを持ってるアバターでそれ言われると、ダメージがカンストする!!」
俺の悲鳴が配信に乗るたびに、チャット欄が爆発的な勢いで流れていく。
『wwwwwwwww』
『質感の暴力』
『リアル秋谷モードのアバターとシンクロしすぎてて草』
『割れたスマホ見つめながらプルプル震えてるおっさんww』
『和尚、お前本当に底辺だったんだな……!』
スパチャ(投げ銭)の嵐が止まらない。
俺の過去の怠惰なエピソードが読み上げられるたびに、数万円単位の赤や緑のスーパーチャットが、画面の右端を駆け上がっていく。
『社長。ジェミニさんの予測通りです。視聴者の優越感と庇護欲が完全に刺激され、【共感の換金率】が最大値を更新し続けています』
結愛のタイピング音が、まるでキャッシュレジスターの音のように聞こえてくる。
だが、俺の精神的HPはすでにゼロを振り切っていた。
恥ずかしすぎて、今すぐこの四畳半の窓から帯広の夜の闇へダイブしたい。
しかし、蒼月の朗読は、いよいよ最も「痛い」核心部分へと突入していく。
『……朝ごはんは一切食べず、ストアで買った安売りのインスタントラーメンを昼飯に作り、YouTubeと昼のワイドショーを見る。気になった話題をネットで検索するが、自分の頭ではもう考えられないのでまとめサイトに頼っている……』
「あああああっ! 俺の思考停止がバレる!!」
『……事実の陳述です。私の演算能力をもってしても、この公開処刑を停止させることは不可能です。耐えてください、社長』
AIにすら見捨てられ、俺はただモニターの前で頭を抱え続けた。
そして。
蒼月は、少しだけ声のトーンを落とし、まるで朗読劇のクライマックスのように、感情を込めてそのフレーズを読み上げた。
『……ライトノベル作家にもなりたいので、壮大な設定だけ妄想する。』
「…………ッ」
『……いまだに、1行も本文を書けないままだが……遅咲きの作家がデビューしたと知り、勇気づけられる……』
ピタリ、と。
蒼月の朗読が止まった。
二十万人が見守る配信枠に、一瞬の静寂が訪れる。
ジェミニ先生の【生活音の演出】の指示で、わずかに開けていた窓の隙間から、ヒューッ、という帯広の冷たい春の風の音が、マイクを通して配信に乗った。
【壮大な設定だけ妄想して1行も本文を書けないままのラノベ作家志望】。
夢だけを見て、行動を何一つ起こさないまま、四十歳になってしまった男の、究極の痛々しさと惨めさ。
それが、見事なまでの『質感』を伴って、帯広の夜空から全世界へと響き渡ったのだ。
「……うぅっ……」
俺は、本当に泣きそうになっていた。
ビジネスだ。節税だ。税務調査を乗り切るための手段だ。
頭ではわかっている。
だが、かつて自分が書いた、あの逃げ道のない「底辺の事実」を、これほど多くの人間の前で突きつけられるのは、想像を絶する苦痛だった。
『……ルシフェル社長。視線を泳がせ、鼻をすするタイミングです。完璧な哀れみを演出してください』
結愛のプロフェッショナルな指示が飛ぶ。
俺は、震える手でマイクを握りしめ、ズズッ、と大きく鼻をすすった。
「……すいません……。……全部、俺の、本当の過去です……っ。1行も書けなくて、カクカクのスマホでVTuber見て、150円のラーメンすすって……っ。……どうしようもない、底辺のおっさんだったんです……っ」
俺の、絞り出すような自白。
アバターの『リアル秋谷モード』が、俺の動きに合わせて項垂れ、無精髭の顔を歪ませる。
その瞬間だった。
『スパチャ:50,000円(泣くなおっさん!! 今はお前、社長だろ!!)』
『スパチャ:10,000円(1行も書けなかったお前が、今、最高のエンタメ書いてんじゃねえか!!)』
『スパチャ:50,000円(そのみそラーメン、俺がチャーシュー特盛にしてやるよ!!)』
『スパチャ:100,000円(インフィニティ・ワン、最高の会社だぜ!!)』
ドカンッ!! と。
チャット欄が、今日一番の爆発を起こした。
嘲笑ではない。
それは、どん底から月商数千万円を掴み取り、今なお泥臭く生き足掻いている「四十歳のおっさん」に対する、二十万人のリスナーからの、圧倒的な【肯定と称賛の嵐】だった。
「お、お前ら……っ」
俺は、画面を埋め尽くす極彩色のスーパーチャットと、温かいコメントの波を見て、本当に涙腺が崩壊しそうになった。
自分の最も恥ずべき過去が、黒歴史が。
こんなにも多くの人間に受け入れられ、熱狂を生み出している。
『……秋谷社長』
その時、背後から、静かな声がした。
パイプ椅子に座っていた税務調査官・黒岩だ。
俺が振り返ると、黒岩はバインダーを閉じ、銀縁メガネの奥の目を、少しだけ見開いてモニターを見つめていた。
「これが……あなたの、事業の『実態』なのですね」
「……はい」
黒岩は、小さく、しかしはっきりと頷いた。
「これほどまでに赤裸々に過去をさらし、群衆の心を動かす……。これは決して、架空のキャラクター(ダミー)などにできることではありません。……あなた自身の、血の通った『質感』がなせる業です」
「黒岩さん……」
「あなたの過去の生活実態、そして現在の事業への繋がり。……確かに、この目で【証明】を見届けました」
黒岩の言葉。
それはつまり、俺が「底辺おじさん本人」であると認められ、株式会社インフィニティ・ワンの帳簿が、正当なものとして受理されたことを意味していた。
勝った。
俺は、俺のプライドと黒歴史を全て売り払うことで、税務調査という国家権力の疑念を、完全に晴らしたのだ。
『ルシフェル社長! 泣いている暇はありませんよ!』
イヤホンから、結愛の興奮した声が響く。
『現在の同接、二十五万人! 総スパチャ額、すでにシミュレーションの三百五十万を突破し、五百万円に届く勢いです!』
「ご、ごひゃくまん!?」
『はい! これにより、今期の当社の売上はさらに上方修正されます! 経費を差し引いても、来年の法人税と消費税の納税額が、恐ろしい額に跳ね上がりますよ!!』
「だぁぁぁぁぁ!! 結局また税金が増えるのかよォォォ!!」
俺の絶叫が、帯広の四畳半に空しく響き渡る。
二十万人の前で公開処刑され、尊厳を失い、税務調査を乗り切ったと思ったら、その結果としてさらに莫大な税金地獄が待っている。
これこそが、株式会社インフィニティ・ワン代表取締役・秋谷雪の終わらない日常。
資本主義のデスゲームは、俺が生きている限り、永遠に続くのだ。
「誰か助けてくれえええ! もう俺、経費でみそラーメン食うしかねえよおおお!!」
画面の中の『リアル秋谷モード』のアバターが、限界みそラーメンを抱きしめながら、一緒に号泣していた。
コメント
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いやもう、冒頭から最後まで笑いと共感が止まらなかったです……! 「四十歳高齢無職オタクの質感」ってタイトルだけでお腹抱えたのに、読み上げられるポエムの生々しさがエグすぎる。でも、公開処刑の恥ずかしさがそのまま二十万人の応援に変わっていく流れ、めちゃくちゃ胸熱でした。黒岩さんが「血の通った質感」って認めたシーン、グッときましたね。結局また税金地獄に突入するオチも、この作品らしい絶妙なバランスで最高です。次回も楽しみにしてます!