僕は腕の中にいるリモに向かって言った。
「いったいなんなんだこの山」
「天狐が降りた神聖な山らしいですからねぇ。妖怪変化を引き寄せちゃうんですよ!」
神聖なのに妖怪や幽霊を引き寄せるとかどういうことだよ?
おかしくないか?
「昔からそうなのか?」
「昔の事は知りませんが、ここは磁石みたいなものですよ。強い力に妖怪や幽霊たちが引き寄せられてしまうんです」
迷惑な話だな。
山に伝わる天狐伝説。
内容なんて知らないが、なんでこんなところに降りてきたんだ?
あのお婆さんなら何か知っているだろうか?
僕は社の戸をあけてほうきで掃いているお婆さんに近づき声をかけた。
「あの、ひとつ聞いていいですか?」
「あぁ、なんだい?」
お婆さんは手を止め笑って答えてくれた。
「この社って何が祀られているんですか?」
するとお婆さんは驚いた顔をした。
「今は学校で習わないのかい? 昔は学校でもこの山の由来を教わったと聞くけれども」
そんなの教わるか?
思い返してみるが記憶にはない。
「水不足で苦しんでいた時、神の使いであるお狐様がこの山に降りて来て奇跡を起こしたって話よ。それで村人はお狐様に感謝して、この山に社をつくり祀ったと」
お婆さんの話はよくある話と言えばよくある話だろう。
数ある昔話のひとつだ。とくに変わった話には見えない。
「でもねえ、この話には続きがあるんだよ」
「続き?」
お婆さんは遠い目をして空を見上げる。
「あぁ、お狐様は人と恋に落ちたって話さ」
……え?
神の使いである狐が人と恋に落ちる?
そんなことあっていいんだろうか。
でもなくはないのか。昔話では人とあやかしが結婚するってあるもんな。
「それで、そのお狐様はどうなったんですか?」
僕が問うとお婆さんは首を振り、肩をすくめた。
「昔話はそこまで教えてはくれないねえ。ただ、人と恋に落ちました、めでたしめでたしだよ」
昔話は確かにめでたしめでたし、で終わる。
幸せになりました、で終わる話はたしかに多い。
でも浦島太郎やかぐや姫、雪女みたいな悲しい結末もあるしな……
ならここに祀られた天狐はどうなったんだろうか?
そして今回のいろんな異変にその天狐が関係あるのか?
いやでも、天狐は人と結ばれたんだよな……
わかんねえな……
異変が起きているのは確かだから、俺たちはまたこの山に来ないといけねえのかなあ……
「ヒトウバンとか気になるよねえ、紫音?」
笑いながら臨が言ってくる。
こいつ、絶対今夜ここに来るつもりだ。
僕がいても何の役にも立たないってのに。
「お前、夜またここに来たいとか思ってねえか?」
僕が問うと臨はにこり、と笑う。
「例の化け物の手がかりになるかもしれないじゃない? なにか知ってるかもしれないし」
それはヒトウバンから話を聞こうとしてるのか?
……妖怪って会話できるのか?
……リモとはなぜか喋れてるけれど。
僕はリモを見下ろす。
「お前、なんで俺たちと話せるんだろうな?」
「うーん……たぶんおふたりがもつ力と関係あるんじゃないかと……あの、喫茶店のマスターとは話ができませんし。だから日和ちゃん、人間になって会いに行ったんですもん。恩返ししたいからって」
「へえ」
狐や狸は、昔から人や物に化けるっていうもんな。
ぶんぶく茶釜と……あとなんだっけ?
でも、恩返しって言うと鶴だよな。
「……て、恩返し?」
僕が言うと、リモは口を両手で塞ぎ、目を大きく見開く。
「お、あ、え……」
「恩返しって何」
問いかけると、リモはだらだらと汗を流しながら首をふるふると横に振る。
これは言えない、ってことなんだろうな。
ああ、よくあるよな、正体がばれたら二度とその人間の目の前には現れないってやつ。
リモの友達……日和ちゃんという狐は今回の件に何か関係があるんだろうか?
その時風が吹いた。
枯葉が舞い上がり、僕はリモを抱きしめたまま目を閉じた。
「おお、すごい風」
風は僕の周りで渦巻き、僕の髪や服を吹き上げる。
風がやみ、僕は目を開けて辺りを見た。
「紫音、今の……」
言いながら臨が歩み寄ってくる。 臨は神妙な顔をして俺を見た。
「今の風、まるで紫音だけを狙っているようだったけど」
「なんだそれ。そんなことあるわけ……」
と言い、僕は辺りを見回す。
僕から少し離れた所にある葉は動いた気配はないけれど、僕の周りだけ葉が無くなっている。きっとさっきの風で舞い上がったからだろう。
……ってなんでだ?
何かいるんだろうか。
辺りを見回すけど、何もいない。
「リモは何か感じたか?」
「今の風は確かに妖気を感じましたけど……この辺りにはけっこう妖怪がいるのでよ
くわからないですね」
妖怪の仕業なのは間違いなさそうだけど、その理由はわからないってことか。
この山には確実に何かある。
そして、姿を消したというリモの友達である日和ちゃんはいったいどこに行ったんだろうか。
山を後にした俺たちは、いったん臨の家に帰ることにした。
ちょうどお昼の時間で、どこか食べに行く案があったけどリモがいるので外食は却下になった。
「じゃあ、何か作るよ。パスタでいい?」
「あぁ、うん」
臨はマンションにつくなり手を洗い、エプロンをしてキッチンへと消えて行った。
「臨さん、強くて家事もできてすごいですねえ」
ソファーに腰かけた僕の膝に乗るリモが、しっぽをぱたぱたと振りながら言う。
「あぁ、そうだな」
「日和ちゃん、お嫁さんになりたいって言ってたんですよねー。人間と結婚したら、あんな風にご飯作ったりするんですかねえ」
「べつに、今時奥さんが家事やるとは限んねえし。相手によるんじゃねえの?」
「おぉ! 言われてみればそうですね! それにしてもなんで日和ちゃんはいなくなったんですかねぇ……」
と言い、リモは首を傾げる。
「その日和ちゃんて、あの喫茶店のマスターに会いに行ってたんだろ?」
「そ、そ、そうですけど……」
と言い、リモはそっぽを向いてしまう。
「その日和ちゃんて、狐なんだよな?」
「そ、そ、そ、そうですけど……」
まさかとは思うけれど、この一連の事件にこいつの友達が関わったりしていないだろうか。
……でも確証はねえしな。
人間と結婚したがっている狐。
人間と結婚した天狐の物語。
関連がある……のかなあ。
「お前その日和ちゃんの居所、まじで心当たりねえのかよ?」
「ないんですよねえ……心当たりはすでに全部探しましたので。だからあのマスターが何か知っていると思ったんですけどねえ。どこにいったのか」
言いながらリモの耳が垂れる。姿を消すなにかがあのマスターとの間にあったんだろうか。もう一度会いに行ってみるか?
僕は哀しそうなリモの頭を撫で、
「一緒にその日和ちゃんを捜そうな」
と声をかける。
するとリモはばっと僕の方を見上げた後、大きく頷いた。
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