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「素敵……本当に素敵……!」
きらびやかな建物のなかで、一流のスタッフに接客され、素晴らしい指輪を見つめる。やわらかくて丸みを帯びた王冠のような爪が、ダイヤモンドをやさしく支えている。――ああ、素敵……!
店員さんは手袋を嵌めており、ちょっとした言葉遣いや仕草から、いかに商品を大切にしているかが伝わる。
早速、嵌めてみる。……きらきらとダイヤが輝いている。胸が、ときめく。
「こちらはセットの結婚指輪がございまして。結婚指輪とご一緒につけて頂くことも可能です」
「えっ……そうなんですか」
「それでは、こちらに」
婚約指輪の丸みが、結婚指輪の浅いVラインとぴったりフィットする。Vラインを彩る七粒のダイヤ……立て爪の婚約指輪の輝き……星の海のようだ。これを見た瞬間、わたしのこころは決まった。
「じゃあ、……これにしようか。莉子」
「え、でも……」
「おれもこれがいい。シンプルだけど味があって華やかで……きみにぴったりだと思う」
* * *
「考えることや決めることがいっぱいだけれど、すこしずつ……決めていこう」
いつかわたしが気持ちを暴露した、あの銀座の公園にて。缶コーヒーを持ってきた課長は、わたしの気持ちを思いやってくれている。
「ええ」とわたしは頷いた。「指輪……楽しみですね。ありがとうございました。……知らなかったです。結婚指輪って日付やイニシャルとか……入れるから、すぐには受け取れないんですね」
「そうだな。でもそのぶん、楽しみが増えると思っておこうぜ。……式は? 挙げる?」
「ドレスを着たいという思いはあります。……お写真だけでも撮りたいなぁ、と……」
「会社のみんなにも散々心配かけたからなあ。お披露目はしたいよなぁ。じゃあ、挙げる方向で行こうか。あとは……住む場所と。両家の会食会……。
二重生活もそろそろきつくなってきたよな。どこ住みたい?」
「あ……わたし、課長の住む環境、気に入ってます。あの辺にマンションとかありませんかね」
「じゃあ、早速帰りに見に行こうか。疲れてなければだけれど」
「いいですね。行きましょう」
* * *
モデルルームって本当に素敵。床の色や……家具や。いろんなものが変わればこんなにも変わりうる。小さくて大きな未来がここには広がっている。
バーの一角みたいな洒落たところもあったけど、そこはちょっと現実味に欠けるので却下。そして、ファミリー向けのマンションを見学し、そこの雰囲気に惹かれた。ショールームにキッズスペースがあったり。ベビーカーを押して入る見学者の姿も見られる。子連れにやさしい環境だ。
営業担当者のかたも感じがよい。エレガントで気さくで、こちらの状況を思いやってくれる。
「ご結婚が決まるといろいろなことを決めなければなりませんから大変ですよね。こちらも、三田様莉子様のために、出来るだけのことをさせて頂きたいと思います」
* * *
「……流石に、疲れたかな」
「んー」しんどくてベッドから起き上がれない。「ああ……こんなにも大変だなんて思いもしなかった。色々……あるんですね」
「マッサージしてあげようか」
「えー。でも、……課長だって疲れてるのに……」
「おれは、頑丈に出来てるから。こんくらいで疲れ切っちまう鍛え方なんかしていないよ。大丈夫。……いまはきみのほうが大事だから」
* * *
「……背中の筋肉が凝っている。……ごめんね、おれが隣にいながら……きみ、相当神経張ってたんだよね」
課長の、わたしの背中を揉む手つきはやさしい。――ああ、気持ちいいなあ……。意識がアメーバみたいに蕩けちゃいそう。からだの前面で味わう、高級ベッドの感触が心地よい。
「場所……あのマンションがいいです」とベッドに埋めていた顔を横に傾けるわたし。「でも課長。ご実家にもっと近いところじゃなくて大丈夫ですか」
「こないだ帰省したときに親に聞いたところ、好きにしろって。ま、実家からそんな遠くないし、なにかあったらタクシーか電車で駆け付けられる距離だから。
それにしてもあのマンション、いいよね。あったかい雰囲気があってさ。モデルルームも無駄に豪華じゃないってところに、好感を持ったよ。現場のかたも感じがいいし。
一生ものの買い物だから、そういうのって案外、大事だよねえ……」
「あとは結婚式の会場ですよね。ホテルとか……レストランとか。どこがいいですかね」
「風呂あがったら調べてみようか。でも、莉子……。仕事は続けるつもりだよね? おれ的には莉子が辞めても生活出来るくらいの経済力は持っているつもりだけれど」
「あ……なんだろ。そうか。そういう選択肢もあるんですね……。結婚した途端、仕事を辞めるという選択肢も。……でも、なんだろう。
わたし、外で仕事しているほうが合っている気がします。子どもが生まれたらまた考え方は変わるかもしれませんが。うちは、母がずっと仕事をしているので。それが当たり前の感覚で。だから……専業主婦なんて考えもしなかったんです。
それに。中野さんや、みんなと働けるのも幸せですから。必要ってされてる感じがして……すごく、生き甲斐になっているんです。仕事が……」
「まあ、辞めるのならいつでも出来るから。そこは、きみの判断に任せるよ」ゆっくりと、からだを支えられ上体を起こすと、課長が、「いざ子どもが生まれたら辞めたいってなるかもしれないけれど。それはそのときさ。……あ、共働きなんだったら、いまのうちにね。おれ、修行しなきゃだよな。料理とか……家事とか。一人暮らし歴長いからそこそこやれてはいるつもりだけど、莉子に比べたら料理の腕なんか、まだまだって感じがするから……」
わたしは彼の腕のなかで、「……課長が喜んでくれるから、つい、頑張っちゃうんです」
それから風呂あがりに結婚式場を調べ、会社の人間を呼ぶことも多いだろうから、主に品川近辺を、他には都内で交通の便のいい場所を探した。ネットで検索した限りでは、残念ながらこの連休中は予約がいっぱいだ。
「やっぱ……ホテルがいいかな?」とパソコンの前で課長は、「レストランウェディングもいいけれど。ほら、おれの両親とかたぶん馴染みがないと思う。演出とか手紙とか、いかにも、結婚式! って感じのを、うちの両親は好むと思うんだよな……。うちはまだまだ綾音が結婚考える年頃じゃないし、楽しみにはしてるとは思う。……莉子のご両親も同じだとは思うけれど。だよな。一人娘だもんな……晴れ姿は見たいだろうな、絶対。
あと、レストランウェディングは、経験者によると、自分の趣味とかお披露目するにはすげえいいんだけど。ほら動画とか自分で作るんだって。ああいうこだわりを見せるなら……会場に自分の趣味の飾りつけをしたいとか、そういう願望があるなら、レストランウェディングはお勧めらしいんだけど。おれも莉子も勤め人だから、時間なんかないじゃない? ……夫婦ともに働いているんだったら、ホテルウェディングのほうが、向こうが色々段取り決めてくれるから、楽らしいよ……」
「そっか。そうなんですね」確かに、過去何回か結婚式に出席した印象を思い返すとそうだったかも。レストランウェディングのほうが、受付や待合室に趣味の飾りつけをしたり……新郎新婦の写真がいっぱい飾られていたり、手間暇かけられている印象だった。
わたしと課長の共通の趣味? ……セックス。
まさか。そんなことを暴露するわけにはいかないし……。
「あ。なんか莉子。えっちなこと考えてる……」
「なんで分かるんですか」
「桃色のオーラが漂うんだよ」笑って課長はわたしの髪を撫で、「目に、炎みたいなのが燃えて、光が宿るんだ。……そう、えっちしているときと一緒でね」
それからホテルを何件か――念のためレストランウェディングを行っているところにも説明会の予約を入れ、その日は、早めに休んだ。
眠る前に、婚約指輪を嵌めてみた。改めて課長が、薔薇の花を手に、
「莉子。幸せになろうね」
眠るわたしの胸には、幸せな予感が満ちていた。
*