コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
企画会議が行われる大会議室には20人の重役幹部がズラリと並んだ。
100名のオーディエンス席も満席で賑わっている。
輝馬はパワーポイントが入ったUSBを進行役に渡すと、プレゼンター席に座り大きく息を吐いた。
この席に座るのは2回目だ。
1回目は入社してすぐ。上杉ごり押しの元、テレビゲームの企画を打ち出した。
その結果がさんざんだったため、上杉も輝馬も部長から大目玉をくらい、以来、部長のチェックを通さなければ企画会議にも出られなくなってしまった。
あれから何十回、何百作品という企画をボツにされてきた。
既存作品のネタかぶりを避けるよりも、自分の既出企画案を避けるのが大変だったほどだ。
しかしそれも今日で終わる。
吐いた息を今度は胸いっぱいに吸い込みそこで止める。
さあーー。
鬼が出るか、仏が出るか。
幹部席に座っている上杉が、なにやら難しい顔で配られた資料を見ている。
話しかけてこないのは、立場上仕方がないとして、目も合わないのは気のせいだろうか。
そのとき、
「なに待ちだ!」
向かって一番右側に座っていた企画部の部長が腹立たし気に顔を上げた。
「ええと今、飲み物を準備しておりまして」
進行役の若い女性が戸惑ったような声を出しながら、壁時計と腕時計に視線を往復させる。
「飲み物なんて後でもいいからさっさと始めろ!」
部長の声に、会議室がシンと静まり返った瞬間、前側の出入り口のドアが開いた。
「大変お待たせいたしました」
低い声と共に、盆を持った栗原が一礼しながら入ってきた。
輝馬はほかのプレゼンターたちと同じく彼女に視線を送った。
「……!!」
そして彼ら同様、いやそれ以上にギョッとした。
栗原は不自然なほど大きなマスクをかけていて、その左目の周りは青くはれ上がっていた。
「お見苦しくてすみません。昨日自宅の階段で転倒してしまいまして」
彼女は弱く笑いながら、重役幹部とプレゼンターの前に蓋が付いた湯呑を置いていった。
「…………」
輝馬が視線を上げると、彼女は瞼を引くつかせながら目を伏せ、カタカタと震える手で湯呑を置いた。
「――――」
見るに耐えかねて視線を上杉に移す。
彼は長テーブルに肘をつき、組んだ指に唇を当てながら、ぎょろりとした目でこちらを睨んでいた。
(こいつ……マジか……)
昨夜、彼は起きていた。
そして気づいていた。
寝たふりを続けながら、キッチンで愛する彼女が可愛がってきた後輩に抱かれるのを聞いていた。
自分がけして愛することのできない体を、後輩が貪りつくす時間を、ただ耐えていた。
そして後輩が逃げるように帰った瞬間、その怒りは、
裏切った彼女に向いた。
輝馬はその飛び出すような眼球から逃げることができず、ただ上杉と見つめあっていた。
◇◇◇◇
それからは生きた心地がしなかった。
プレゼンターがどんな発表をしようが、パフォーマンスやトークで笑いを誘おうが、上杉だけはクスリとも笑わなかった。
ただパワーポイントが照射されたスクリーンではなく、輝馬の方を睨み続けていた。
『じゃあ、続きまして企画部2課、市川輝馬さん。よろしくお願いします』
進行役の言葉に輝馬は立ち上がった。
原稿はできている。
大丈夫だ。読むだけだ。できる。
手元のリモコンでパワーポイントのページをめくりつつ、原稿を読むことに集中した。
『………というのが私の企画案です。疑問点などございましたら、遠慮なくお願い致します』
最後にそう言い終えたときには、のどが痛いほどカラカラに乾いていた。
しかし栗原が淹れてくれた茶を飲む気にはなれず、口中の唾液をかき集めてやっとのことで嚥下し、顔を上げた。
「ストーカーのゲームか」
部長が伸びをしながら言った。
「“逃げても逃げても追ってくる”」
キャッチフレーズを呟きながら、部長はふっと笑い、左側に座っていたキャラデザ部の部長と笑顔を交わした。
(やっぱりダメか……)
輝馬は視線を下げた。
この流れでは上杉の助言もとても期待できない。
いろんな意味で終わった。
明日からはパートタイムで庶務課のおばさんたちと仲良くファイル閉じに電球交換だ。
そう思いながら小さくため息をついたところで、
「面白い!」
部長の声が聞こえた。
慌てて視線を上げる。
「ヒトコワ系のゲームとしてはまあ定番といえば定番なんだけど、ただの脱出ゲームじゃなくて、そこにクラスメイトや家族、あとは可愛い彼女なんかの演出もあり、主人公だけ逃げればいいだけじゃなくて、大切なものも守らなきゃいけないっていうのがリアルでいいよ」
部長の言葉に隣に座っていた幹部たちも頷く。
「スマホゲームの枠を超えた恐怖がある。なんていうのかな。小説を読んでるみたいなんだけど、ちゃんとプレイ性もあってさ」
信じられない部長の声が続き、輝馬は背筋を伸ばした。
「ありがとうございます!」
「うん。悪くない」
部長はニヤニヤと笑った。
「それにこのアカリちゃん?普通のホラーゲームのお化けって、髪が長くて細いじゃん?なのに太ってて髪の毛も短くてやけにリアルだよね。なんかモデルとかいるのかな」
その言葉に会議室が笑いに包まれる。
輝馬は恐縮し会釈を繰り返しながら、
「ノーコメントで」と言い、さらに笑いを誘った。
「ーーこれだから、イケメンは」
笑いの中で刺すような嘲笑が響いた。
皆がそのとげのある言い方に振り返る。
視線の中心には、上杉が立っていた。
「ニ、三質問いいですか?」
上杉が言うと、進行役が慌ててマイクを彼に持って行った。
『ええと、第一に。こちらはスマホゲームなんですけど、これはプレイ時間は何時間と想定して作っていますか?大体で結構です』
「ええと……」
輝馬は慌ててマイクを持った。
『連続プレイ時間8時間を想定して考えています。ストーリー進行は毎日無料で2話まで。課金すれば1話40円で次の話を読むことができます。
それで内容は75話ですので、エピローグまで一気読みするとなると3000円の課金ということになります。
また、途中で課せられる選択肢によってストーリーが分岐し、それによってバッドエンド、ハッピーエンド、メリバエンドと3つのエンディングがあるので、それをすべてプレイしようとなれば、10時間はかかるかなと』
『ううん』
上杉はわざとらしく唸ると、肘をつきマイクを持ち替えた。
『長いんだよなぁ。スマホゲームにしては』
「…………」
『それに1話ずつのストーリーのバラ売りなら、まあホラーゲームというより乙女ゲーが近いのかなと思うんだけど、あれがどうして受けるか、市川君、わかる?』
市川君。
その呼び方に上杉の意図を感じる。
『ストーリーが楽しいのと、キャラに魅力があって……』
『そう。キャラに魅力があるからなんだよね。だからイケメンとの恋を進めたいし、なんなら性的に興奮したいし、そのスチルがゲットしたいと思う。だからどんどん話を進めたいし、課金していくわけなんだけど、このゲームのアカリちゃんだっけ?にそれがあるのかな』
『…………』
輝馬は思わず口を結んだ。
『あとはこういうシミュレーションゲームに不可欠な要素の一つに「共感」てのがあると思うんだけど。普通に生きてて女の子にストーカーされるってそこまで経験ないと思うんだよ。共感できないことにはあまり恐怖を感じないよね。ドラマとか映画ならまだしも、プレイするのが一般人なゲームでは、その恐怖の共感に限界があるのかなって』
上杉はマイクに唇がつくほど寄せた。
『ーー女の子にモテるだろう君なら別だけど』
さきほどまで会議室を包んでいた談笑が、失笑に変わる。
(こいつ……)
輝馬は上杉を睨んだ。
(こいつ、俺をつぶしに来やがった……!)
「なるほど。まあ、そうだな」
部長が口を曲げながらも、上杉の言葉にも同調しているのか小刻みに頷いている。
『ええと、他にご質問はないでしょうか』
進行役が凍り付いた空気を察して、明るい声で言う。
『なければ次は企画部1課、坂本良助さん。お願いします』
「……おい」
『坂本さん?』
「おい。貸せって……!」
呆然と言葉を失っているマイクを、隣の男がぶんどるようにして奪っていった。
◆◆◆◆
「結果は1週間後。社内回覧ソフトで連絡するから」
部長の短い言葉で企画会議は幕を閉じた。
輝馬は資料を持って立ち上がる他のプレゼンターの中で、一人座ったまま幹部席の上杉を見つめた。
彼もまた散らばった資料をしまいもせず、隣に座る他の重役たちに挨拶をすることもなく、輝馬を睨んでいる。
「ここの片づけは後でいいから、内定式の方に向かって!」
総務課の課長がいい、栗原を含めた総務の人間がバタバタと会議室を出ていく。
100人を超える社員が一斉にいなくなった会議室の中で2人は向かい合った。
「――俺に何か言うことは?」
口を開いたのは上杉だった。
「………」
なんと言っていいかわからず、輝馬は口を結んだ。
栗原を抱いてしまったことを謝ればいいのだろうか。
だって、誘ってきたのは彼女の方なのに?
共感できない企画を打ったことを謝罪すればいいのだろうか。
だって上杉が面白いからこっちで行こうって言ったのに?
謝りたくない。
だって、
掘り下げれば、自分は悪くない。
上杉は大きな鼻の孔で息を吸い込むと、それを口の端から吐き出した。
「俺から言いたいことは、たった一つだ」
上杉はそう言いながら立ち上がった。
「庶務課でも頑張れ」
彼はそう言い残すと、資料を脇に抱え会議室を出ていった。