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『第十話 私の帰る場所』
──翌朝。
昨夜は寝付けなかった。
ベッドで目を閉じても『昔の私』が思い出され、辛かった日々がフラッシュバックする。
目覚ましが鳴る。
学校行きたくない。
でも、それぐらいで休んじゃいけない。
無理やり、身体を起こす。
朝食もとらず、身体を引きずるようにして家を出た。
向かいのアパートを見上げる。
悠真は既に部屋を出たのだろう。
窓にカーテンが閉じられていた。
──学校。
深呼吸して教室へ入る。
すると、珍しく先に来ていた結衣がいつものように笑顔で手を振った。
「おはよう、千夏!」
「……おはよう」
なんとか笑顔は返した。
この後、昨日の事に触れられるかもしれない。
登校中、ずっと頭の中で受け答えを考えていた。
けれど、それだけだった。
──休み時間。
「あのさ、昨日、あれから大丈夫だった?」
来た。
先に帰った理由は……
『昔の同級生に会って緊張したから』
『急用を思い出したから』
『慣れないクレープでお腹痛くなった』
いくつもの言い訳を考えていたが。
「うん、大丈夫」
「そっか」
「…………」
短い返事しか出来なかった。
会話は続かない。
──昼休み。
「今日、一緒にお昼食べる?」
「ごめん、図書室行くから」
嘘だった。
図書室へ行く予定なんてない。
ただ今は誰とも一緒にいたくなかった。
──放課後。
「千夏、帰ろ!」
結衣が笑う。
「……ごめん、今日は用事あるから」
本当はない。
それでも断った。
「そっか」
結衣は少しだけ寂しそうに笑った。
「また明日ね!」
──
翌日も、その次の日も。
結衣は朝になると
「おはよう」
と声を掛けてくれた。
帰る時には、
「またね」
と手を振ってくれた。
無理に話しかけることはしない。
それでも距離を置こうとはしなかった。
千夏は思う、
どうして、放っといてくれないんだろう。
──七月下旬
気付けば終業式だった。
朝から小雨が降っていたが、今はすっかり青空が広がっている。
教室には、いつもより少しだけ浮き足立った空気が流れていた。
「夏休みだー!」
誰かが叫ぶ。
あちこちで歓声が上がる。
千夏は通知表を鞄へしまうと、小さくため息をついた。
長かった一学期が終わる。
だけど胸の中は、少しだけ重い。
何か、やり残している感じが重い。
結衣の姿はない。
きっと友達と先に帰ったのだろう。
それでいい。
そう思いながら教室を出る。
今日は誰にも会わないで帰ろう。
そうしたら夏休みの間は一人でいられる。
そう思って校門から出る。
「千夏!」
急に名前を呼ばれ、びくっと背すじが震える。
後ろから聞き慣れた声。
振り返ると、結衣が校門の脇で手を振っていた。
「あっ……」
一緒にクレープを食べた女子二人もいる。
そして──
あの日会った違う学校の男子たちも。
思わず後ずさる。
走って逃げようか。
そう思った時だった。
「待ってたよ」
結衣は少し緊張したような、かしこまった口調で言う。
「夏休み前に話したかったの」
沈黙。
次々と下校する生徒たちの喧騒だけが響く。
みんな神妙な面持ちだ。
その空気に千夏は戸惑った。
やがて、あの元同級生だったサッカー男子が前へ出た。
「亜土、この前は悪ぃ!」
体育系らしく思いっきり頭を下げる。
驚いた千夏は咄嗟に声が出ない。
「こいつ、あの後みんなで説教したからよ、話だけでもきいてやってくれよ」
結衣の元同級生が申し訳なさそうに言う。
「俺、昔話だけのつもりだった!空気読めてなかった!」
「…え、あの……気にしてないから」
小声になる。
自分の心に嘘をつくことになるから。
「でも、すげぇ辛そうな顔してた。だから……ごめんな」
千夏は何も言えない。
謝られるとは思っていなかった。
「俺さ」
謝った男子が続ける。
「亜土のこと、ちゃんと覚えてる」
雨上がりの風が吹き抜ける。
「中学の時さ、授業終わると、いつも先生のところ行って質問してたろ」
男子はまた失言しないように必死に言葉を選んで言う。
「正直……あいつ、すげぇなって思ってた」
千夏の目が揺れる。
「俺、勉強は無理だったけど、お前見て気合入れてサッカーやってみた」
千夏は黙って聞いた。
「毎日遅くまでボール追っかけてたら、みんなからサッカー馬鹿とか必死でダセェとか言われたけど……」
他の皆も黙って聞いている。
「だからこないだ、亜土が成績いいって聞いた時……やっぱ努力ってダサいことじゃないんだなって思った」
──その瞬間。
悠真の声が蘇る。
『みんな見えないところで失敗している』
『失敗しても終わりじゃない』
そうだった。
この人たちだって失敗するし、ちゃんと謝って前を向こうとしている。
それに私の失敗した所だけじゃなく、努力も見ていてくれたんだ。
「……ごめんなさい」
千夏はゆっくり顔を上げた。
「私も勝手に逃げちゃって」
結衣がほっと息をついた。
「よかったぁ……私さ」
結衣は目元を指で拭いながら笑う。
「千夏に嫌われたかと思ってた」
「違う!」
千夏は首を振る。
「嫌いじゃない。ただ……恥ずかしかっただけ」
その言葉だけで十分だった。
結衣は、それ以上何も聞かなかった。
ただ──
「そっか」
とだけ答えた。
そして千夏は小さく笑って言った。
「……また、クレープ一緒に行こう?」
結衣は満面の笑みになった。
「もちろん!」
「今度はタピオカもいこうよ!」
「それ、もう古くない?」
「やば!今のなし!」
女子二人も会話に加わり、皆で笑う。
「じゃあさ!夏休み、受験勉強の合間にみんなで一回くらい遊ぼ!」
「いいじゃん、海行きたい!」
「俺たちも一緒に行っていい?」
「男はだーめ!!」
話が勝手に盛り上がっていく。
その輪の中で千夏も少しだけ笑った。
ぎこちなく、それでも心から。
『友達』
その言葉が、ようやく自分のものになった気がした。
──夕方。
向かいのアパートの階段を上る。
見慣れた扉。
久しぶりにインターホンを押す。
「はいはい」
悠真の声がしてドアが開く。
「お、千夏ちゃん」
千夏は、はにかみながら笑った。
「……お邪魔します」
「最近来なかったな」
責める声ではない。
ほんの少し心配そうな声だった。
「少し……色々あって」
悠真は黙って聞いていた。
理由は聞かない。
事情も聞かない。
ただ、優しく笑う。
「元気そうで安心した」
その一言だけで、胸が少し熱くなった。
部屋へ入る。
見慣れたソファ。
窓辺ではピスカが丸くなっている。
「にゃあ」
千夏はしゃがみ込み、そっと撫でた。
「ただいま」
ピスカが目を細めて喉を鳴らす。
悠真が笑う。
「ここ、君ん家じゃないぞ」
「分かってます」
千夏も笑う。
「でも……」
少し間をあけ、照れながら続けた。
「帰ってきた気がしたんです」
悠真も少しだけ照れくさそうに頭をかいた。
「……おかえり」
小声でそっと呟き、誤魔化すようにキッチンへ向かった。
「アイス食べるか?」
「食べますっ」
即答だった。
「やっぱ元気だ」
「甘いものは別です!あ、そう言えば駅前のクレープ屋さんで……」
二人の会話と笑い声が部屋に響く。
窓の外では、蝉が鳴き始めていた。
高校生活最後の夏休みが始まる。
学校という世界に、小さな居場所ができた。
そして、
いつでも帰れる場所が、ここにあった。
──続く
鷹槻れん@コノカレコミカライズ

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猫塚ルイ
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宇津Q
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#シークレットベビー
コメント
3件
よかった……みんないい子すぎて凄い…😌 またクレープ食べに行ったりして、結衣さんたちと楽しく過ごして欲しいなと思います。
第十話、めっちゃよかった……!千夏ちゃんが逃げずにちゃんと向き合って、結衣たちも待っててくれて、最後の悠真くんの「おかえり」に完全にやられた😭💕「帰ってきた気がした」って台詞にもうエモすぎて涙腺崩壊したよ…!夏休み、いっぱい甘やかされてほしい…!次回も楽しみにしてます🌸✨