(輝夜乃の視点)
「天野、本当に完璧だよ。今回のシフト管理、一文字のミスもなかった。助かったよ」
「どういたしまして。当然のことをしただけだよ」
私は、生徒会の先輩からの賛辞に、いつもの穏やかな笑みで応じた。心の中で、ため息をつく。
(また、「完璧」って言われた。)
この学園に入学して以来、「天野輝夜乃」という名前は、『完璧であること』と同義になってしまった。
学業、委員会活動、立ち居振る舞い、すべてにおいて、私は一度も期待を裏切ったことがない。
それは、私がそうあろうと努力し、自分に課した完璧な軌道だ。
私は、姉の花千夢(かちゅ)とは真逆の存在として生きている。
感情の起伏は最小限に抑え、行動はすべて計算に基づいている。そうすることでしか、私はこの学園で私の居場所を確保できないことを知っているからだ。
学園祭の準備で、クラスメイトは私に『星見カフェの支配人』のような役割を求めてくる。皆は私の能力を信頼している。それは嬉しい。だが、それは私の『完璧さ』への信頼であって、私自身に向けられた感情ではないことを、私は知っていた。
姉の友人である月森 泉が、以前、姉に言っていたのを耳にしたことがある。
「輝夜乃の光は、太陽とは違って冷たい光を放っている」
まさにその通りだ。私は、熱ではなく、静かな秩序で周囲を照らす。熱は感情の爆発を招き、ミスを犯す。
私は、ミスを許されない。なぜなら、一度でもミスをすれば、私の周りに張られた『完璧のバリア』が崩壊し、皆の期待を裏切ってしまうからだ。
その日の夕方。私は誰もいなくなった教室で、学園祭の備品リストを最終チェックしていた。蛍光灯がチカチカと点滅する音だけが響く。
「うわぁぁっ!まだいたの、かぐや!こんなとこで何やってるの!?」
突然、大きな音と共に、花千夢がドアを乱暴に開けて入ってきた。
「もう帰ろうよー!今日のおやつはプリンだよ!」
彼女は大きな声でそう言い、私の机に駆け寄ると、手に持っていた飲みかけのジュースを危うくこぼしそうになった。
「花千夢。大声は出さないで。それに、私はまだ作業がある」
私は冷静に注意する。
「えー、ケチィ!いいじゃん!夜は二人でアイス食べようよ!陽太がさ、今日の会議で『超新星爆発』って言うのを噛んで
『チョウシンセンハクハツ』って言ったのが超面白かったの!あれかぐやにも見せたかったなー!」
花千夢は、他人の失敗を笑いに変えて、その場を明るくする天才だ。
そして、その時の花千夢の笑顔を見て、私は胸の奥で、鉛のような重い感情が渦巻くのを感じた。
(羨ましいな。)
心の中で、私はそう囁いた。誰にも聞かれないように、誰にも見つからないように、月の裏側で。
花千夢は、失敗をしても笑い飛ばされ、その失敗すらも「個性」として愛される。彼女の周囲には、いつも陽気で暖かい光があふれている。誰かと手を繋ぎ、誰かと大声で笑い、誰かに思い切り迷惑をかけている。
私はどうだろう。
私は、一度も失敗しない。一度も感情を爆発させない。一度も皆の中心で、自由に大笑いしたことがない。
あのとき、花千夢が私の作品に水をこぼした(第2話)。あの瞬間、私は本当は怒りたかった。悲鳴をあげて、泣き出したかった。でも、できなかった。私が怒れば、花千夢の周りの人々は、私を「冷たいお姫様」だとさらに確信する。
だから、私は優しく微笑むフリをして、静かに布を拭いた。そうすることで、私は自分の完璧さを保つことができた。
花千夢は、私のことを「お姫様」だと憧れている。私には、その憧れが、私を縛る鎖のように感じられた。お姫様は、鎖を自ら断ち切ってはいけない。
「花千夢。早く家に帰って、宿題を終わらせて。ジュースはこぼさないでね」
私は、自分でも驚くほど冷たい声で姉に言った。
「えー、やっぱりケチ!じゃあね、かぐや!あんまり遅くならないでよ!もー、一緒にアイス食べたかったのにー」
花千夢はそう言って、私に背を向け、バタバタと大きな足音を立てて教室を出て行った。
その去り際の、自由で予測不能な彗星のような輝きを、私は机の下で握りしめた拳の中で、静かに、そして熱心に観測していた。
(私も、貴女みたいに生きてみたかったよ、花千夢。)
私の完璧な微笑みの下で、私は自分の孤独を噛み締めるしかなかった。






