※ほんの一瞬だけ、セクシャリティな内容と表現があります。
こんなことなら好きにならなきゃよかった。
会おうと思えば会えるけど、お互いなかなか自分たちのことで忙しく会うことを後回しにしていた。
だからこそ、いざ会えるとなった時に期待すればするほど結局会えなかった時の落胆は計り知れない。
段々と俺じゃなくてもいいんじゃ?なんて、そう考える自分が嫌になる。
例え知らない匂いや他人の気配を感じていたとしてもそれを口にも態度にも出すのが怖い。
言ってしまうと取り返しのつかないことになるのではないかと考えてしまうから。
じゃあいいよ、なんて他人行儀に冷めた声で言われることが恐ろしい。
冷ややかな目で見られたらと思うと怖い。
そうして今日も届く通知。
─ごめん、今日も行けれんくなった
簡素な文章。
感情の乗っていない文面。
それに対して俺も簡素的に返信する。
─大丈夫です
また、会える時…、と文を打ちかけてぴたりと指が止まる。
これを送ったところで返信はない。
いい加減学んだ。
打ちかけの文を消してスマホを閉じる。
「なんで付き合ってんだろ」
俺である必要があったのか。
そこそこ仲の良い友人くらいのポジションのままでよかったのに。
「惚れた腫れたは当座の内、ってやつだな」
好きになったのも告白したのも俺。
隠し切ることができず、半ば吐き出すように想いを伝えた。
どうにかなるつもりは微塵もなかった。
だから、吐き出したそれに対して木っ端微塵に振ってほしかった。
なのにらっだぁさんはいいよ、と一言返答した。
俺も好き、とかそういう言葉は一切ない。
ただ一言そう言った。
俺自身振られて気持ち悪がられて距離を取られると思っていたから、まさかの言葉にその場に座り込んだ。
だけどこれからよろしく、と頭を撫でたらっだぁさんはいつもより少し柔らかく笑っていたような気がする。
好かれてはいたんだな、とホッとしたのも覚えてる。
「…付き合うって言っても、一緒にご飯食べたりゲームしたり…普段と変わんなかったもんな」
それらしい接触はしなかった。
するつもりは全くなかったし、向こうも必要性を感じていなかったのだろうなと思う。
手を握るとか、軽い抱擁くらいはしたけど。
それだって友達同士でもする人はする。
「…ダメだ、ちょっと外の空気吸おう」
季節は冬に移り変わろうとしている。
寒さが肌を刺すくらいになっているから少し厚着をしたほうがよさそうだ。
上着を羽織って防寒し外に出る。
「日も落ちるの早いから暗いな…」
お店の電灯や街灯で明るく照らされる道を歩く。
すれ違う人たちも寒そうに身を縮めていた。
「はぁ…」
外に出たところで沈んだ気持ちが浮き上がるわけもなく。
「(らっだぁさんと最後に会ったのいつだっけ)」
スマホを取り出してカレンダーを確認する。
「……1ヶ月前、か?」
そんなにも会ってないのか、と当たり前になりつつある感覚に苦笑いする。
あっちは別に何も思ってないだろうけど。
スマホをポケットにしまって歩き出したところで人とぶつかった。
「っあ、すみませ…」
顔を上げると、ぶつかった人は驚きに目を見開いていた。
俺だって驚いている。
「……ごめんなさい、お怪我はないですか?」
だって、ここにいるはずのない人物と知らないけど知ってる人間がいるのだから。
「あ、えっと…」
戸惑っているらっだぁさんに対して他人のふりをすることを選んだ俺は、首を傾げた。
「そちらの方も大丈夫ですか…?」
「私は大丈夫です。こちらこそごめんなさい」
アルト気味の声。
とても聞き取りやすく、しにがみさんを彷彿とさせるような声だった。
「いえ、お怪我がないなら何よりです。…では失礼しますね?」
にこりと笑って2人の横を通り過ぎようとして腕を掴まれた。
「……あの、なんでしょうか」
隣に立つ女性が困った顔してる。
そりゃ、自分の知人(恋人?)がぶつかっただけの知らない人間の腕を急に掴んでいるのだから、どうしたんだと思ってるのだろう。
「と…」
俺の名前を呼びかけたらっだぁさんを女性には分からないように睨みつける。
ややこしいことになるからやめろと。
「……いや、こちらこそすみませんでした」
我に返ったように掴む手から力が抜けた。
腕を離したらっだぁさんの手が降りていく。
「……失礼します」
早足にその場から逃げ出した。
溢れそうになるはずの涙は、とっくの前に枯れてるから結局出ることはなかった。
寒い部屋の中1人戻ってきた。
心身が冷え切っている。
「風呂でも入るか…」
風呂場に行って熱めのお湯を溜めていく。
ゆらゆら揺れる水面に映る無表情の顔。
「はは、なんて顔してんだ」
初めて見た。
あんなあからさまなのは。
「……」
あの時、言わなければよかった。
言うんじゃなかった、好きになるんじゃなかった。
考えれば考えるだけ後悔しかない。
「…やめやめ。考えても無駄だ」
さっさと別れましょうと言えばいい。
付き合っていると言えるかも怪しいけど。
「何勝手に勘違いしてんの、とかあの人平気で言いそうだもんな」
言ってくれたほうが後腐れなく元の関係に戻れそうなのに。
揺れる水面を見つめていると荒立った心が落ち着く。
このままずっと落ち着いたままでいたい。
「……」
ふるりと、寒気がして暖かくしたリビングに一旦戻る。
と、そこにはまたしてもいるはずのない人物がいた。
全然気付かなかった。
そのくらい、俺は考えに耽っていたようだ。
「……らっだぁさん?」
少し荒い息をするらっだぁさんは顔を上げた。
複雑そうな顔。
「どうしたんです?それにさっきの女性はよかったんですか?」
何しに来たのか。
弁明のつもりなら別に今更する必要はない。
「…まぁいいです。お茶でも出しますから座ってください」
来られると思ってなかったから何もない。
お茶飲んでもらったら帰ってもらお。
「トラ」
座るように促したけどらっだぁさんは頑なに座ろうとしない。
長居する気はないようだ。
じゃあお茶も出さんくてもいいのか。
「用がないなら帰ってください。俺も忙しいので」
出したマグカップ。
無意識に手に取っていたそれはらっだぁさんが持ち込んだ唯一の私物。
使ってもいないのに毎日ちゃんと洗っていたから汚れ一つないそれ。
「……」
近くにあった小ぶりの紙袋に割れないよう適当に新聞で包んで入れる。
「らっだぁさん、これ持って帰ってください」
紙袋を渡すとらっだぁさんはそれを見て、俺の顔を見た。
「これ…?」
「あなたが置いてたマグカップです。ここにあっても俺が困りますし。…別にらっだぁさんが必要ないなら俺が処分しときますけど…どうしますか」
紙袋を持ったまま宙に浮く手をじっと見る。
「……置かせといてよ」
「ここに来ないのに?物は使ってこそ価値があるんですよ。使われないならそのマグカップも可哀想でしょ」
「使うよ、…」
「俺のとこに置いてても意味ないじゃないですか。使うなら持って帰ってください」
煮え切らない態度に溜息をつく。
「そもそも何をしに来たんですか。来れなかったはずでは?」
「来る気は、確かになかった……でも、今ここに来なかったら一生後悔するって」
「今後の関係値が気まずくなりますもんね」
元には戻れない。
後腐れなく戻れるなんて言うのは自分が傷付きたくないだけの虚言だ。
「俺は、別に気にしませんよ。演技は得意なほうですし」
「そうじゃない…っ!」
紙袋から手を離したことでフローリングに落ちたマグカップ。
ごとりと鈍い音がした。
割れて壊れたかもしれない。
この人と俺のように。
「お気に入りのマグカップだったんでしょ?…あー、でも置きっぱなしにしてたから、もうそうじゃないか」
「トラ…!!」
掴まれそうになった腕は振り払う。
「あなたが何をしてるのか真意は分かりません。けど、俺のことはもう放っておいてください。…らっだぁさんのことが、わかりません…」
枯れたと思った涙がぽろりと落ちる。
「俺は、らっだぁさんの、なんなんですか」
「恋人だよ」
はっきりとした声で言い返された。
そう言われると思ってなかったからたじろぐ。
「…全ての恋人が、こうだと決まってるわけじゃない。でも、あなたと俺はその関係に値してますか?引き止める人間を間違えてますよらっだぁさん」
「今更遅いかもしれないけど聞いて。俺の話ちゃんと聞いてよ、トラ」
「俺のことは実は気まぐれで、本命ができましたってことですか?なら、そんなの遅くもなんともない。全部知ってます。あの女性でしょう?綺麗な人でしたね」
感じていた他人の気配、彼女だった。
すらりとした女性にしては背は高いがらっだぁさんと横並びになった時にとてもサマになっていた。
「あれは…っ」
「もういいですか?忙しいと言ったじゃないですか。出て行ってください。そして、二度とここには来ないでください」
合鍵の回収は難しそうだから鍵穴を変えなければ。
あと暗証番号も変えておこう。
フローリングに落ちる紙袋を拾い上げる。
ガシャ、と音がしたのでやはり割れてしまったようだ。
「これ俺が片付けときます。…じゃあお帰りください」
「あいつは女じゃなくて男だ!」
「…………は?」
「いや、正確に言えば女の人なんだけど……あぁ!もう!!」
何を勝手に1人でキレ散らかしてるんだこの人は。
「………もしかして、そういう?」
言いたいことを察して言葉を濁すように言う。
「…そう」
今のご時世になって、そういう人も当たり前にいる。
昔はそれで苦しんできた人たちもたくさんいただろうから、今は多少息のしやすい世界になってきたのではないだろうか。
ただ未だに、いろいろな場面で苦しむ人たちがいるのも事実だ。
「……仮に、彼……いえ、彼女がそうであって、俺となんの関係が?別にらっだぁさんのこともあの人のことも責める気はないですし、お幸せにですけど…俺を挟む理由はなんですか」
「……相談」
「相談?」
ぽつりと出た単語に首を傾げる。
「俺、男で好きになったのトラが初めてだったから相談に乗ってもらってたんだ」
「…はぁ、なるほど」
「アドバイスとかもらって、いざってなった時にお前に見られて…」
「モデルみたいな人だと思いましたけど、…なるほどね」
でも綺麗な人だと思ったのはホントだ。
内面の美しさが外見に反映されてるのだと思う。
「俺に言ってくれてもよかったんじゃ…」
「カッコつけたいじゃんか。好きな子にはさ」
「っ…!」
振り払った腕を掴まれる。
今度は振り払えなかった。
「好きなんだよ、トラのことがホントに。…言葉足らずだったのは俺が悪い。ごめん…」
「らっだぁ、さん…」
「トラにカッコ悪いとか見せたくなかったから」
途端に自分1人が勝手に暴走していたことが恥ずかしくなる。
「……勘違いしてた俺のほうがめちゃくちゃカッコ悪いですけど…」
「ぺいんととかにはちゃんと説明したほうがいいって言われてたのにせんかった俺が悪い」
眉を下げるらっだぁさんに、またぽろっと涙が落ちた。
落ちる涙を拭われて、こつりと額同士がぶつかる。
「トラをいっぱい傷付けた。…こんな俺とはもう嫌かもしんない。後悔してるかもしれない。…けど、俺と一緒にいてほしい」
「らっだぁさん…」
「マグカップもお揃いの買いに行こうぜ?これからそういうのを俺としていって欲しい」
俺を見る青色は、風呂場の水面のようにゆらゆら揺れていた。
「…相談するなら、これからは俺だけにしてください。それに本人に聞いたほうが解決も手っ取り早いでしょ」
「うん、そうする。…なぁ」
「?、はい?」
「キスしていい?」
顔が離れて、真面目な顔をするらっだぁさんに苦笑した。
「最初の相談がそれって…」
「好きな子とキスしたいのは当たり前だろ」
「ふふっ、……いいですよ」
らっだぁさんは目を細めて嬉しそうにした。
次いで緊張した表情になり近付く端整な顔。
俺も俺で緊張してきて、ぎゅっと目を閉じた。
吐息がかかりあと少しというところで聞き慣れたメロディーとお風呂が沸きました、という音声。
「あ!お風呂溜めてたんだった!」
ぱっとらっだぁさんから離れる。
「忘れてた。……ん?らっだぁさん…?」
離れたことでらっだぁさんがむっとした表情になる。
微々たる不穏な空気が流れてるような。
気のせいだろうか。
「ちょうどよかった。俺、走ってきたから体冷えててさ。……そこで相談なんだけどトラも一緒に入ろうよ」
「別にいいですけど。…え、でも2人は狭いんじゃ…」
「入れるよ。てか、入れる体勢になればいいんだから」
掴まれた腕を引っ張られて風呂場に向かう。
「(入れる体勢?…どう考えても無理な気がするけど…)」
疑問符を浮かべながららっだぁさんの言われた通りのことをしていた。
………はい、入れました。
というか…はい、られ、た…?
確かにあの体勢なら2人でも1人分の浴槽に入れるけど、俺だけが恥ずかしいだけじゃんかと内心キレていた。
水を差した俺が悪いんだけども。
自分にだけ相談してと言ったことを既に後悔し始める俺がいた。
いや、寧ろあのタイミングで鳴るなんて誰も分からんて。
なんて行き場のない複雑な思いはお湯張りのタイミングを間違えた俺が悪かったと後悔するしかなかった。
コメント
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見るの遅れました! うちの知らない間にたくさん…:( ;˙꒳˙;): どれも最っ高でした!!✨️ (この話の)rdさん後悔すると思って来たんですねさすがです 運命の糸ってやつですね(?)