pyromane
「今、この業界に興味津々なグル君に良い経験話をしてあげようか」
「経験話?」
彼が訊き返すと、ある一枚の写真が姿を現した。軍服を着たままドローンを操作している男達が明確に写されている。
「髭の生えたオッサンはローレンツって名前で、最近あった紛争に出向いてたらしい。でも、敵国の女と交際していてよく連絡を取り合っていたらしいね。そんなのどうでもいいけど……この数分後、コイツは死ぬ」
天使が通ったような静けさに、吉木が急いで言葉を付け加えた。
「殺したのは僕じゃない。僕に命令した政府だろう!」
「けど殺してる!」
胸倉を掴んで押し倒すように彼が叫ぶ。それを眺めながら、笑い声を垂れ流す女の声が聞こえたのは言うまでもない。それに合わせて、ドッと笑いが起きた。パローマは涙をサラリと流した後、咳払いする。
「軍の機密情報が漏洩する前に始末するのは当然だ。そもそも、それを隠してる仲間も頭がイカれてる。だから爆弾を乗せたドローンがすぐに戻って来るようにしてそのまま爆破した。それだけ」
「俺をこのクソみたいな豚小屋に突っ込んで無理矢理働かせようとしたのか? 腐ってやがる、刑務所のほうが楽だ」
黙って、吉木が彼の手を掴み退けた。一発だけ腹を蹴られる。唇がほんの少し開き、唾を吐いている。彼は口を拭うと、上を向いてごめんとだけ謝った。もう一発殴られはしないだろうかと心配したが、それ以上は何もしない。
その時、電話の音が鳴り響いた。画面を覗いてみるとそこには適当な数字が置かれていて、名前は見えないようになっている。数分もせず、その電話はプツリと切れる。パローマが深刻そうな表情で溜息をついた。
「ウチの部下が殺し屋に寝返ったらしいよ。始末しにいけって。しかもイタリアまで行かないといけないとか」
髪を乱して天を仰いでいた。思ったより最悪の事態らしい。これにより、この組織の情報は流されてしまう。 もし、そうなれば──
「じゃあここは僕に任せてよ」
吉木が胸を張って言い出す。彼はそれを疑うように眼を細めると、信用できるのかと首を傾けた。
「大丈夫だろ。コイツ、頭おかしいけど仕事で失敗なんて稀だし、安全性はある。だから頼んだ」
パローマはそう軽く笑って、その場から立ち去る。二人だけが席に残された。彼はぼんやりと酒瓶を眺めながら、複雑そうな表情を浮かべる。その隣で、吉木は笑いもせずに、ただ黙り込んでいた。
「そうだ、もし僕が死んだらどうする?」
「は?」
「言葉のままさ」
ニコリ、としてまた無表情になる。眼をギラリと鋭くして、真剣な顔つきでこちらを凝視している。睨んでいるという表現が近いのかもしれない。その場にヒヤリとした空気が流れると、忽ち胸の奥底に重りが乗ったように苦しくなった。
「……お前は多分、一人で死ぬような男じゃない。俺のことを無理矢理にでも巻き込んで、殺すはずだ。その方がお前らしい」
「ってことは?」
「……」
「初めての任務、頑張ろうね。グル君」
──やられた。
こんなの罠じゃないか。そう思いながら彼は髪を掻き上げる。個室からパローマが姿を見せると、いくつか服などが入ったバッグを持たされた。中には作業着のようなものと、防弾チョッキがある。その中には様々な大きさの銃や、爆弾が入っている。恐らく、バッグごと投げるのだろう。
「どれくらいで終わる?」
「十秒だ」吉木が軽々と言う。
「嘘だろ……?」
「いいや。別に五秒でも遅いくらいだよ。〇.〇一秒で撃ったとして逃走するまでに車に乗る速さも含んでる」
吉木は拳銃に弾を詰めると、パローマに向けて撃った。バン、という耳を劈くような音が響き渡る。その余韻は、暫くの間彼の耳から離れることはなかった。ゆっくり眼を開けると、パローマが弾を避けてその場に立っている。吉木は嬉々として頬を赤らめていた。
「もう少しで殺せた! 進歩だよグル君」
「喜べない。何でパローマをそんなに虐めるんだよ」
顔を赤黒く染め上げて、口をへの字にする。不愉快という三文字が眼に浮かんでいるようにも見えた。パローマは深く溜息をついて、ケラっと笑う。
「訓練だろ」
******
イタリア・ミラノ。
圧倒されるほどに美しい白のような建物……ドゥオーモの前で彼が腕時計を何度も見る。針は二時丁度を示していた。
──何時間待っても浦が帰ってこない。
到頭、苛立ちは限界を迎えた。右ポケットからスマホを取り出して、代わりに手を突っ込んだまま吉木にメールを送信する。一度画面を閉じると、ピロンと甲高い音がした。
『パンツェロッティ食ってる。グル君のやつは無いよ』
嘲笑うかのような文面に腹を立てて、その場で舌打ちする。仕方なく、ドゥオーモの中へと足を運ぶことにした。大聖堂に入り右手側には、金色に輝く十字架があった。その下には石棺があり、説明の書かれた札が張り付けられている。北側にある聖母マリアの礼拝堂には、天使と思われる男が左右に居て、その真ん中には聖母マリアが立っていた。そこから暫くあるくと、聖ジョヴァンニ・ボーノの礼拝堂がある。金の杖を握り、手を差し向けている男がいる。両脇に居る天使は、守護天使と聖ミカエルだ。その像に見惚れていたが、上へと視線を移すとステンドグラスから色鮮やかな光が降りており、圧倒された。天井まで続く像に、一つ一つ繊細に描かれた絵。ゆるりと歩けば、キリストが空へ浮かぶ場面をステンドグラスで表したものや、旧約聖書などの物語を一枚一枚に描いている。全てを見終わって外へ出る。ぐんと背伸びをして一日で見たものを思い出していると、近くに居た男が紙を一枚落とした。すぐに拾うと、その男に声を掛ける。
「落としましたよ」
「……」
男が振り向き、じろりと睨む。彫りの深い顔で、相手は歳が変わらないと見た。その男は無視して、人混みに紛れてその場から消える。彼は不思議に思いながら紙を見た。
Spaccare un capello in due.
──髪の毛を二つにする?
その場で悩んだように周囲を見渡す。咄嗟に持っていたスマホで写真を撮り、パローマに送りつけた。一、二分もすれば返事が来る。
『重箱のすみをつつく、みたいなものよ』
彼はその返事に感謝を伝えた後、左ポケットにスマホを入れる。そして紙を指で擦った。ヌメ革のような触り心地と高級感。そして、不自然なほどに分厚い。暫く擦っていると、紙が剥がれて、折られた違う紙が出てきた。そこには英語でこう書かれている。
Statue of Mary in the Duomo.
Chapel of St Giovanni Bono.
Stained glass.
これまでに見てきたものの名前だ。その端には、鉛筆で笑顔のマークが描かれている。彼は吉木の影を見つけ、すぐに追いかけた。
「お前、浦だよな?」
「……ん? 見て分からない?」
帽子を脱いで顔を向けた。右眼の下にあるホクロと、下ろされた髪は全く変わっていない。それでも、何故か疑いの眼差しを向けていた。
「分からないだろ。あんな変装道具が大量にあるんだから、誰が誰かなんて」
そう言うと、彼は吉木にぐっと近づいた。右ポケットに手を突っ込んだまま、紙を二枚見せる。吉木は不機嫌そうな顔をすると、両腕を上げた。
「僕が本当に吉木浦なのか、確かめたいなら二人だけの秘密とか訊けばいいじゃない。……そんな、拳銃なんて向けて」
彼の忍ばせていた小型の拳銃があるであろう右ポケットを睥睨する。彼は深く考え込むと、服をずらして胸を見せた。シミのようになった火傷の痕がハッキリと残っている。
「いつ、誰が、なぜこの傷跡を残した?」
「僕が中学生の時、大喧嘩をして君に火をつけてしまった。すぐ冷静になって水を掛けたけど、かなり酷く爛れていたね」
「……うん」
ポケットから手を出すと、申し訳なさそうに眼を伏せる。茜色に染まった夕日の光が、鋭く周囲を赤く染め上げていた。吉木は黙って彼の紙を奪うと裏道へ手を引く。光の届かない暗闇の中で、サッと近くの車へ乗り込んだ。
高級感の溢れる、広いホテルの前に車を停める。スーツを着た男たちがその中へ吸い込まれてゆくのを見守りながら、彼は唇を硬く結ぶ。吉木が耳元で囁いた。
「あと三時間はここに居たほうが良い。話でもしないか」
「……何の話?」
「僕が君に隠してたこと」
「?」
疑問符を浮かべたまま、彼は怪訝な顔をした。
「僕ね、君に火傷の痕をつけたとき怒ってなかったんだ。ただ、君が反省するかなという興味でやった」
はぁ、と彼が不愉快そうな顔を向ける。返事をする前に車が激しく動き始めた。キィィという音と共に景色が見えないほどの速さで何処かへ向かっている。吉木は顔をくしゃくしゃにして笑った。
「マリアの像が燃やされるのは、クリスチャンの君にとって最悪だろ。未然に防いでやろうぜ」
彼はハッとした。メモに書いてあったことを思い出したのだ。 Statue of Mary in the Duomo……。一体、殺し屋達は何がしたいのだろうかと考えながら、窓の外を見つめる。中世ヨーロッパを感じる街並みは、相変わらず独特な美しさを纏っていた。溢れる暖色の光に照らされる道路を通りながら、やっとの思いでドゥオーモに到着した。しかし、もう閉館している。彼がどうするのかと吉木に眼を向けると、下には防弾チョッキを着け、黒い防具を着ていた。手には手袋をしており、マスクをしている。彼は不法侵入をするのかと冷や汗を流した。
「連絡は事前にしてる。不法じゃないよ」
「流石……」彼が感嘆の声を漏らす。
「ふふ、でもアイツらは違う。歴とした不法侵入だ」
防具を彼に着せながら、周囲の様子をチラチラと窺う。そのとき、ピロンとスマホの通知が鳴った。吉木のものだ。
「ああっ、友人からだ。来年の二月からアメリカに行かなきゃいけない。暫くは一人になってしまうよ」
眉を顰めて、悲しげに笑う。一体どんなお友達なのだろうか、と彼がスマホを覗くと匿名からメールが送られていた。しかし、中国語で読めない……。
「一个叫黑麒麟的人是我的下属。假以时日,我会把他调到美国总部」
「…イー、グェ……ジャオ……??」
彼が首を傾げる。吉木は、ただ何も言わずにニヤニヤとした。防具を完全に着せられた彼は、吉木と共にそのままドゥオーモの中へと足を急がせる。
コメント
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初心者なのでハート101にしか出来ずすいません