深い山奥に入っていくと、突然車を止めた。
助手席で冷や汗を流しているグルの手を吉木が握る。
「はい。拳銃、早く済ませてね」
耳元でそう言うと、グルは拳銃を隠しながら男の眉間に向ける。出来るだけ声を出したくないのだ。男は「ここは……」と言うだけで何も気がついていない。そして、男が吉木に真っすぐ視線を向けた。
──今だ。
バンと男を撃ち抜くと、吉木が包丁をグルに投げる。
「これをどうしろと?!」
「頸静脈を包丁で切って確実に仕留める。ロクは座席の下にやってね。よく頑張った」
よしよしとグルの頭を撫で回す。無論、心底喜べるような心境ではない。ただ、吉木と働けているということを考えながら頸静脈を深く、素早く切った。
ロクを座席の下に隠すと、また助手席に戻りぐったりと全身の力を抜いた。
「飴……あるか?」
「ん? あるよ。舐める?」
「くれ、気が狂いそうなんだ。あんまり自覚ないけど」
人を殺したという感覚は強く残った。吉木がポケットから出した飴はブドウ味でそれを舐めながら気をそらす。山奥から立ち去り道路まで来ると、しきりにバレないかヒヤヒヤしていた。
「グル君、もうすぐ着くから我慢して。仕事終わっただけでも合格だから」
絞り出したような声で安心させると、車のスピードを上げて焦るように本部に戻った。
「大丈夫? 泣いていいよ。前まで僕もそうだったし」
吉木は地下駐車場のようなところで背をさすりながら気にかけていた。グルは何も言わずに下唇を噛むだけだ。
「……部屋に戻ろう? 寝ようよ、疲れたでしょ」
人を平気で殺すような男とは思えない声を上げて背をさする。グルは全身の力が抜けて死体のようになっていた。
「……動けない」
「連れて行ってあげるよ」
そう優しく声を掛ける。
「……別に一人で歩けるし、俺は仕事をしたことよりお前がバレていないかが怖いんだ」
一番はそれだった。別に取り柄もない人生の中自分はどうでもいいが、吉木が捕まるのではと不安に明け暮れていたのだ。
「嬉しいよグル君。君は本当に優しいなぁー! でも大丈夫だよ。そこまで弱くない」
その言葉には、どこか自信があった。犯罪者の自信なんて信用ならないが、グルからしたら親友の自信である。分かったとでも言うように グルは頷くと、車のドアを開けて片足を出した。
「俺は眠いから部屋に戻らせてくれ。仮眠をとるだけだ」
眠そうに目をこすり車から出ると、吉木は笑みを消して愛想笑いした。
「いいよ、ハードだったもんね。僕は後で向かうから先に寝てて」
パタンと扉が閉まる。途端に、車は違う方向へ進んでいった。行き先は分からない。不審に思ったグルは後をつけようとしたが何故か倒れるほどに眠たい。それに耐えられなかったのか一人で部屋まで走って戻った。
しばらく足を引きずりながら部屋へ向かい、ベッドで横になると麻酔でも効いたかのようにコクリと寝てしまう。
数時間ほど経ち、布団やらも放ったらかしにして寝たからか寒さで目が覚めた。
(浦……?)
外もすっかり日が暮れて夕日だけが窓から入る。明かりでよく見えないがボロボロになった男が立ちすくんでいることだけは分かった。そして、それが吉木だということは言うまでもない。
(足から血が出ている……けど何故立っているんだ)
気になったグルがむくりと起き上がろうとする。しかし、吉木が静かにこちらへ向かい目を覆い隠してきたため起き上がれなくなった。
「なぁ、怪我してるだろ。手を退けろ」
横になったままグルが口を開いた。冷たい手が首元に当たる。
「…………あ、起きてたの? どちらにしろ醜い姿してるから見せられない。君はこんなことしないでね」
首元の手を退けた瞬間、冷たいものは血液だと気がついた。手の皮が少し剥げて血が出ている。
切迫した状況だったからだろう。グルは吉木の腹に一撃蹴りを入れて傷を見ようと壁に追いやった。
「暴力じゃん。怪我人にすること?」
壁にピッタリと背中を密着させて、吉木は身を縮めている。グルは目線を合わせようと屈んだ。
「お前こそ、飴に睡眠薬を盛ったな? 傷口を見せてみろ」
勢いよく吉木のコートを取り上げて傷を確認する。それは酷いものだった。全身が痣だらけで撃ち抜かれた形跡もある。
「ごめん……寒……毛布とか欲しいな……」
ははは、と苦く笑う。心底グルは耐えきれなかった。脚が深く切られていてダラダラと血液が流れている。コートは血に濡れて鉄のような匂いがした。
救急箱の中身である程度処置をした後、傷を縫合して包帯を巻く。ガーゼなんかで挟んだり応急処置を施しておいた。
「さっき、何処で何してた?」
消毒液を床に叩きつけながらグルが言う。機嫌が悪いのは見ての通りで吉木は言い難そうにしていた。やがて、言わないのは悪いと思ったのか口を開く。
「さっきの男さぁ、弟が居るんだよ。そいつの家族を鏖殺ってとこかな」
「は?」
グルは息を呑むことになった。「鏖殺」と聞いたら誰でもそうなるだろう。
「その動画を撮ってそ〜いうサイトに上げる。周一の仕事なんだ。グル君は真似しないでほしい。世界情報機関とか色々関与してて……」
「待て、何故俺に言わなかった? 言われてたら行ってたぞ」
声を上げたが、吉木は何か苦しそうな表情を見せて首を横に振った。夕日の光が痛い。部屋が赤くなる中で吉木はグルの手をしっかり握る。
「君の言いたいことはわかるよ。…… けど、これも商売だ」
という言葉には孤独感がある。グルは一種の絶望を感じた。
「なら何で俺をアササンにした?」
「……グル君さ、弟が絞殺されたらどう思う?」
「は?」
突然の質問にぽかんとした。頭が真っ白になる。
「そーいうとこだよ。家族が安全だと思われちゃ困るね。僕は優しいから手を出してないけど? まぁ普通なら終わってるんじゃない?」
ニヤニヤと笑いながらグルの頬を触る。その間、コートに滲んでいるソレが返り血であることに気がついた。
「な……おい、本当に手出してないよな?」
グルが胸ぐらを掴んで自分の方に寄せた。そうされても吉木はヘラヘラと笑っている。
「さぁて、どうでしょう? 少なくとも僕の性格を考えたら分かると思うけどなー♪」
軽々と言い放つ。その姿はどこか楽しんでいて、狂気に満ちていた。太陽が沈むと部屋が黒くなる。そんなことなら赤いほうがマシだ。
グルは唾を飲んだ。
「俺に何を求める? 気に触れるようなことしてないだろう。お前のほうが失礼なことしかしてないじゃないか」
震える声の割には、冷静な言葉遣いをしている。吉木は少し淋しい表情を見せた。
「別にぃー。こっちの世界に染まっただけだよ。グル君は暗殺の術ってやつを身につければいい。何をされても冷静でいられる心を持ってね」
吉木は息を吐くと、こう続けた。
「僕を信じるな。そして家族も信じたら駄目だ。常に試されてると思え……瞬きさえも油断になることを忘れちゃ駄目だよ」
グルは言い返せないまま俯いた。ここに来てほんの僅かな数日。物騒なことしか起きない日々だったが甘くないことなんて予想はついていた。
そんな中でも吉木が明るい雰囲気にしていたのだろうなと予想がつく。あくまで予想だ。
「……すまないが返事は出来ないな。ベッドで寝たらどうだ。寒いんだろう」
腹を押さえて痛そうにする吉木を見下げながら冷淡に言うと、グルは部屋を出た。
「あ、グル。どうしたのー?」
丁度、札束を数えながら歩いているパローマとぶつかった。グルが沈んだ表現をしているからか、心配そうに顔を覗き込む。
よく見えなかったからか、サングラスを外してグリーンの瞳を覗かせた。
「別に。なんでもない」
頭の裏側に吉木の顔を思い浮かべては眉間にシワを寄せて口をヘの字にする。思わずパローマがこぼれんばかりの笑顔でグルの肩をぶっ叩いた。
「あははは!! 面白いねー……アンタら二人は相性最高だと思うわ。夕飯はイワシのマリネだから吉木のこと叩き起こしてくんなーい?」
「怪我人だぞ」
「やさしー。けどね〜、業界的に慣れてるから大丈夫ー。さっさと叩いてきて? 」
問答無用に部屋にいけと札束で頭を叩かれる。
(この女……絶対男に嫌われてるな)
心の中でも一番深いところで、雷雲に隠れる龍神のごとくそう思う。足取りが重いなぁと部屋に戻ると驚くべきことに鉢合わせてしまった。
「どうしたの? 怖くなって逃げようとしてた?」
杖をつきながら吉木がムッとした。今、迎えに行こうとしていたのに何かを疑われている。まるで耳にでも絡みついてくる蛇のようだったからか、グルのなかで何かが爆発した。
「何だと?! お前を迎えに行こうとしていただけだ。クソ。逃げるなんて……そんな!」
ブチギレていたというのが正しい。これを突っ立って聞いていた吉木でさえも、怖かったのかだろうか。目には涙が浮かんでいた。「ごめん」と独り言のように言ったがグルの耳には届いていない。
むせび泣くグルのことにも、吉木は気づいていなかった。
コメント
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うーん好きっ!()
そうだよな……。吉木からしたら何千、何万といるただの人だけど被害者(?)からしたらたった1人の大切な家族なんだもんな。弟がいるグルもそりゃ言い返せなくもなるわ