テラーノベル
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春の風は、いつもより少しだけ優しかった。
放課後の教室。窓から入る風がカーテンを揺らして、誰もいないはずの空間に、かすかな気配を残していく。
「また、ここにいたんだ」
振り返ると、そこには君がいた。
名前を呼ばなくても分かるくらい、見慣れた顔。だけど、なぜか今日は少しだけ違って見えた。
「別に、ただ…なんとなく」
そう答えると、君は笑った。いつも通りの、ちょっとからかうみたいな笑い方。
「なんとなく、で毎日残るやついる?」
図星だった。言い返せなくて、目を逸らす。
本当は分かってた。
ここに残る理由なんて、一つしかないって。
君と、こうして話す時間が好きだから。
でも、それを口にしたら、全部変わってしまいそうで怖かった。
沈黙が少しだけ続く。
窓の外では、部活の声が遠くに聞こえていた。
「さ」
君が突然、机に座りながら言った。
「今日さ、帰り道ちょっと遠回りしない?」
「え?」
「いいじゃん、たまには」
何でもないことみたいに言うけど、なぜか心臓が少しだけ速くなる。
断る理由なんて、どこにもなかった。
「…いいよ」
そう答えると、君はまた笑った。今度は、少しだけ嬉しそうに。
帰り道。
いつもは通らない細い道を、二人で歩く。
沈黙はあるのに、不思議と気まずくない。
むしろ、この静けさが心地よかった。
「さっきさ」
君がぽつりと言った。
「なんで毎日残ってるの?」
またその話。ごまかそうとしたけど、今日はなぜか逃げたくなかった。
少しだけ、勇気を出す。
「…君がいるから」
言った瞬間、時間が止まったみたいだった。
風の音も、足音も、全部遠くなる。
君は立ち止まって、こっちを見た。
その表情は、驚いてるようで、でもどこか安心したようでもあった。
「そっか」
短い一言。でも、その声はいつもより柔らかかった。
「じゃあさ」
君が一歩近づく。
「これからも、残ってよ」
「え?」
「俺も、いるから」
その距離が、少しだけ近くなる。
触れそうで触れない、そんな距離。
でも、それだけで十分だった。
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
春の風がまた吹いて、今度は少しだけ強く、でもやっぱり優しかった。
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