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みら

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1件
第30話、読み終わりました。 「戻る場所」が、怖いだけの場所じゃなくなっていく感じがじんわり来ましたね。目黒が「帰ったあとの俺たちを撮ってもらえばいいじゃん」って言うのが、すごく優しいなと思って。あの写真集を抱える阿部の、寂しさと少しの希望が混ざった表情が浮かんできました。 それに、記憶がなくてもまた同じ場所に行きたいと思ったって気づくところ、胸にきましたよ。「同じじゃなくていい」って言える関係、いいなあ。戻った先に待ってる人たちの顔が浮かぶラスト、温かかったです。
30
本屋を出たあと。
阿部は、康二にもらった写真集を胸に抱えていた。
目黒が隣を歩きながら、その様子を見る。
「そんなに気に入った?」
「うん」
「よかったね」
「ただ」
阿部は写真集へ目を落とした。
「持って帰れないんだよね」
目黒は黙った。
「多分ね」
「そっか」
さっきは。
覚えて帰ればいい。
そう言えた。
本当にそう思った。
けれど。
こうして手の中にあるものを見ると。
やっぱり寂しさが残る。
阿部は表紙を指で撫でる。
「この写真も」
「そうだね」
「夢の国の写真も」
「うん」
「カフェで働いてた俺も」
全部。
ここにしかない。
目黒は考えてから口を開いた。
「じゃあ」
「何?」
「帰ったら、康二にまた撮ってもらえばいいじゃん」
阿部は目黒を見る。
「同じ写真は撮れないよ」
「同じじゃなくていいよ」
「え?」
目黒は前を向いたまま続ける。
「次の写真を撮ればいい」
阿部は黙った。
「夢の中で撮った写真は、夢の中の写真」
「そうだね」
「帰ったら」
目黒は穏やかに笑う。
「帰ったあとの俺たちを撮ってもらえばいいじゃん」
その言葉が。
胸の中に静かに残った。
次の写真。
阿部は写真集をもう一度見る。
ここに写っているのは。
記憶を失った自分。
普通に暮らして。
働いて。
みんなと出会って。
目黒を好きになって。
九人で笑っていた自分。
これと同じものは。
もう撮れない。
なら。
違う写真を撮ればいい。
戻った先で過ごす自分たちの。
その先を。
「……次か」
阿部が呟く。
「うん」
「同じじゃなくていいんだ」
「同じじゃなくていいよ」
目黒はそう言って。
阿部の手を取った。
「また増やせばいい」
その言葉に。
阿部は笑った。
「それ、康二も似たようなこと言ってた」
「何て?」
「残ってないなら、これから残せばいいって」
「ああ」
目黒も笑う。
「康二らしいね」
「そうだね」
しばらく。
二人で歩いた。
阿部は写真集を抱えたまま。
頭の中で。
まだ見たことのない写真を想像していた。
戻った先で。
また九人で集まって。
康二がカメラを構えて。
佐久間が騒いで。
ラウールが背が高すぎると言われて。
翔太が面倒くさそうにして。
館さんが穏やかに笑って。
ふっかと照が隣にいて。
めめが。
自分の隣にいる。
そんな写真。
「……撮れるかな」
「何が?」
「九人の写真」
「撮れるよ」
「簡単に言うね」
「康二いるし」
「そういう意味じゃなくて」
「分かってる」
目黒は握った手に力を込めた。
「簡単じゃなくても、撮ればいいよ」
阿部は。
その言葉に頷いた。
家へ帰って。
夕飯を食べたあと。
阿部はソファに座りながら。
康二の写真集をもう一度開いていた。
目黒は隣で飲み物を飲んでいる。
「めめ」
「俺たち、やりたいこと書いたよね」
阿部の頭の中に。
紙が浮かぶ。
二人で並んで。
ペンを持って。
好き勝手に書いた。
『これから二人でやりたいこと』
「どこまで叶えた?」
目黒は笑った。
「結構残ってる」
阿部は。
少しずつ思い出していく。
最初に。
『ずっと一緒にいたい』
それから。
料理。
花見。
一人で抱え込まない。
休みを合わせる。
旅行。
温泉。
海外。
一年に一回写真を撮る。
家具を一緒に選ぶ。
休みの日に朝寝坊する。
九人で旅行する。
九人でずっとステージに立つ。
喧嘩しても話す。
怖い時は言う。
寂しい時は我慢しない。
好きと言う回数を減らさない。
そして。
阿部は。
一つ思い出して。
目黒を見る。
「……夢の国」
「そうだね」
「書いた」
「書いたね」
『二人で手を繋いで夢の国に行く』
阿部は驚いた顔になる。
「俺」
「うん」
「何も覚えてない時に、同じこと言ったんだ」
目黒が笑う。
「そうだね」
「デートどこ行きたいって聞かれて」
「夢の国って答えた」
「言った」
阿部は。
しばらく黙る。
記憶がなくても。
昔の自分が書いたことなんて知らなくても。
また。
同じ場所へ行きたいと思った。
「……怖い」
「何が?」
「俺、何も覚えてなかったのに同じことしたかったんだ」
目黒は。
嬉しそうに笑う。
「俺は嬉しかったよ」
「知ってたんでしょ?」
「もちろん」
「言ってくれればよかったのに」
「言えないでしょ」
「まあ、そうだけど」
夢の中の阿部には。
過去を思い出させないようにしていた。
昔二人で書いたことだと。
言えるはずがない。
阿部は。
少し笑う。
「他にも残ってる?」
「いっぱい」
「何?」
「旅行」
「行きたい」
「温泉」
「それも」
「海外」
「九人で旅行」
「絶対行きたい」
目黒が笑う。
「ほら」
「何?」
「まだいっぱいある」
阿部は。
そこで黙った。
まだいっぱいある。
叶えていないことが。
戻った先に。
残っている。
「あと」
目黒が言う。
「毎年写真撮る」
阿部は康二の写真集を見る。
「……それも」
「そう」
「帰ったら」
自然に言った。
言ってから。
口を閉じる。
目黒は。
何も言わなかった。
阿部も。
そのまま続けた。
「康二に撮ってもらえばいいね」
「うん」
「九人でも」
「うん」
「めめと二人でも」
「撮ろう」
「毎年?」
「毎年」
阿部は笑う。
「年取っても?」
「ずっと」
「おじいちゃんとおばあちゃんみたいになっても?」
「それはそれでいいじゃん」
「俺、元男だけど」
「今さらそこ?」
二人で笑う。
笑いながら。
阿部は思った。
この夢には。
今の幸せがある。
一方で。
戻った先には。
まだ叶えていない未来がある。
それは。
これまでとは違う感覚だった。
夜。
ベッドへ入ってからも。
阿部はなかなか眠れなかった。
目黒は隣にいる。
電気を消した部屋に。
静かな時間が流れている。
「めめ」
「うん」
「起きてる?」
「起きてる」
「聞いていい?」
「いいよ」
阿部は天井を見たまま。
迷いながら口を開いた。
「戻った先の俺」
目黒の呼吸が。
わずかに変わった。
「まだ」
言葉を選ぶ。
「待ってるのかな」
「……待ってる?」
「うん」
阿部は自分の胸元へ手を置く。
「俺の身体」
「今も病院にあるんでしょ」
「そうだね」
「眠ったまま」
「うん」
「どれくらい経ってるんだろ」
目黒は考えた。
「分からない」
「こっちと同じ時間?」
「たぶん違うと思う」
「そうだよね」
夢の中では。
何日も。
何週間も。
生活してきた。
けれど。
戻った先では。
どれくらいの時間が流れているのか。
誰にも分からない。
「俺」
阿部が小さく言う。
「病院にいるんだよね」
「うん」
「めめも、みんなも、あっちでは眠ってるの?」
「たぶん」
「そっか」
しばらく。
沈黙が続いた。
阿部は目を閉じる。
白い病室。
ベッド。
眠っている自分。
その周りに。
みんながいる。
自分が戻るのを。
待っている。
これまで。
戻った先といえば。
あの女優。
週刊誌。
仕事。
苦しかった記憶。
そればかりだった。
けれど。
今は違うものも浮かぶ。
病室で。
自分を待っている人たち。
戻れば。
そこに。
みんながいる。
「……変な感じ」
「何が?」
「戻るって」
阿部は言う。
「怖いところへ行くことだと思ってた」
目黒は黙って聞いている。
「だけど」
阿部は目黒の方を向く。
「待ってる場所へ戻るってことでもあるんだね」
目黒の目が。
わずかに揺れた。
「あべちゃん」
「まだ戻るって決めたわけじゃないよ」
阿部はすぐに言う。
「分かってる」
「怖いし」
「うん」
「まだここにいたい気持ちもある」
「分かってる」
目黒は。
それ以上。
何も言わなかった。
帰ってきて。
とも。
帰ろう。
とも。
言わない。
ただ。
隣にいる。
阿部は。
目黒の手を探して。
指を絡めた。
「だけど」
「うん」
「前よりは」
阿部は笑った。
「戻ったあとのこと、考えられるようになったかも」
目黒は。
握った手に力を込めた。
「そっか」
それだけ。
けれど。
声には喜びが滲んでいた。
阿部は気づいたけれど。
何も言わなかった。
戻れば。
怖いことがある。
苦しいことも。
きっと待っている。
それでも。
その先には。
まだ撮っていない写真がある。
まだ行っていない旅行がある。
まだ叶えていない。
二人のやりたいことがある。
そして。
自分を待っている人たちがいる。
阿部は目を閉じた。
まだ。
答えは出ない。
けれど。
戻った先はもう。
怖いことだけが待っている場所ではなくなっていた。