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31
その夜。
目黒がお風呂に入っている間。
阿部は一人、リビングのソファに座っていた。
膝の上には。
二冊のノート。
一冊は。
昔の自分が書いていた日記。
破ったページも。
今はすべて元に戻っている。
もう一冊は。
記憶をなくしてから書き始めた、新しいノート。
阿部は古い日記を開く。
ページをめくれば。
目黒とのこと。
メンバーとのこと。
仕事のこと。
嬉しかったこと。
苦しかったこと。
全部。
今はもう。
自分の記憶として分かる。
そして。
最後の方。
文字が少しずつ乱れていく。
『めめを信じてる。』
『でも、今は一緒にいたくない。』
『もうアイドルなんてやりたくない。』
『全部忘れたい。』
『しばらく一人で生きたい。』
阿部は。
その文字を指でなぞった。
「……俺が書いたんだよな」
全部。
思い出した。
あの時。
本当にそう思っていた。
一人になりたかった。
誰にも会いたくなかった。
目黒のことさえ。
しばらく見たくなかった。
何もかも忘れて。
誰にも知られていない人になりたかった。
それくらい。
疲れていた。
阿部は静かに日記を閉じる。
今度は。
新しいノートを開こうとした。
その時。
ガチャ。
リビングのドアが開いた。
「あ、めめ――」
振り返る。
そして。
止まった。
「……」
真っ白な服。
白い羽。
見覚えしかない顔。
相手は。
何でもないことのように手を上げた。
「こんばんは」
「……」
阿部は数秒。
黙った。
それから。
ゆっくり眉間に皺を寄せる。
「久しぶり」
「天使」
「そう」
「あの天使」
「どの天使?」
「俺を異世界に飛ばして賢者にしたり魔王にしたりした天使!」
「ああ、そこまで思い出したんだ」
天使は嬉しそうに笑う。
「よかったね」
「よくないよ!」
阿部は思わず立ち上がった。
天使は。
相変わらずだった。
阿部は頭を押さえる。
「……なんか」
「何?」
「思い出したら腹立ってきた」
「元気になった証拠じゃない?」
「君のせいだよ」
「私のおかげ?」
「違う」
即答した。
天使は気にする様子もなく。
勝手にソファへ座った。
「で?」
「で、じゃないよ」
阿部も座り直す。
そこで。
ふと。
さっき目黒と話したことを思い出した。
「あ」
「何?」
「ちょうどよかった」
阿部は天使を見る。
「聞きたいことある」
「何?」
「現実」
天使の顔をまっすぐ見る。
「俺たちの身体、大丈夫なの?」
天使は。
「ああ」
と軽く答えた。
「それ気になってたんだ」
「当たり前でしょ」
阿部は少し身を乗り出す。
「こっちでは結構経ってるじゃん」
「そうだね」
「何週間?」
「そのくらい?」
「なのに向こうでも同じだけ時間経ってたら大変でしょ」
「大丈夫、大丈夫」
「だから、その大丈夫が信用できないんだって」
「ひどいな」
「今までの自分の言動思い出して」
天使は少し考える。
「まあ、三分ぐらいは進んでるんじゃない?」
「……」
阿部が止まる。
「俺たちこっちで何週間いたと思ってるの?」
「夢だし」
「三分!?」
「四分かも」
「増えた!」
「誤差だよ」
「適当すぎない!?」
阿部は頭を抱えた。
でも。
同時に。
大きく息を吐く。
三分。
多少適当だったとしても。
少なくとも。
現実で何週間も過ぎているわけではないらしい。
「……じゃあ」
「うん?」
「めめも、みんなも」
「大丈夫だよ」
「身体は?」
「寝てるだけ」
「俺は?」
天使は。
いつもの軽い調子で言った。
「ちゃんと待ってるよ」
「……何が?」
「あべちゃんの身体」
阿部は黙る。
病院のベッド。
眠っている自分。
そこへ。
帰ることができる身体。
まだ。
ちゃんとある。
「そっか」
阿部は小さく呟いた。
天使は。
テーブルの上にある二冊のノートへ視線を落とした。
「全部思い出したんだね」
「うん」
「どうだった?」
「どうって……」
阿部は困る。
「最悪なこと聞くね」
「そう?」
天使が言う。
「今は覚えてるんでしょ」
「……うん」
阿部は古い日記を見る。
『全部忘れたい。』
あの時の自分が。
確かに願った言葉。
天使も。
同じ場所を見る。
そして。
唐突に聞いた。
「ねえ、あべちゃん」
「何?」
「最初にここへ来たあべちゃんと」
天使は今度は。
新しいノートを見る。
「今のあべちゃん」
阿部が顔を上げる。
「同じ願い?」
「……」
すぐには。
意味が分からなかった。
でも。
少しずつ。
分かってくる。
最初の自分。
全部忘れたい。
アイドルをやめたい。
誰にも会いたくない。
一人で生きたい。
目黒も自分も。
普通の人だったらよかった。
だから。
この世界ができた。
そして。
今の自分。
阿部は。
新しいノートを開く。
『一人より、みんなといる方が好き。』
『佐久間のおすすめの本が面白かった。』
『康二に写真を撮ってもらった。』
『初めて全員そろった。』
『一番好きな写真ができた。』
『九人で夢の国に行った。』
『夢なのに、ちゃんと思い出になった。』
そして。
今日。
自分でも意識しないまま書いた。
『帰ったあとも、九人でどこかに行きたい。』
「……」
阿部は。
何も言えなかった。
同じ願い?
分からない。
いや。
多分。
同じではない。
でも。
だからといって。
すぐに帰りたいとも。
まだ言えない。
「……分かんない」
ようやく。
それだけ答えた。
天使は。
「そっか」
とだけ言った。
「聞いたくせに」
「答え出てないならしょうがないじゃん」
「……帰れとか言わないの?」
「なんで?」
阿部が天使を見る。
「だって」
「うん」
「そのための夢なんじゃないの?」
「何が?」
「俺が元気になって」
言葉を探す。
「現実に戻るための」
天使は。
少し首を傾げた。
「まあ、それもあるけど」
「あるんじゃん」
「でも」
天使は阿部を見る。
いつもの。
どこか適当な顔。
「心に傷を負ったの、あべちゃんだけじゃないよ」
阿部の表情が止まった。
「……え?」
「みんな」
天使は何でもないことのように答える。
「結構ボロボロ」
「……」
阿部の頭に。
バーでの光景が浮かんだ。
佐久間。
康二。
ラウール。
翔太。
ふっか。
みんな。
泣いていた。
館さんも。
照も。
辛そうな顔をしていた。
そして。
目黒。
一番。
苦しそうだった。
「あべちゃんが刺された時」
天使は言う。
「そのあとも」
「……」
「みんな傷ついたんだから」
阿部は。
古い日記を見つめる。
自分のことしか。
考えていなかった。
あの時の自分には。
誰かのことまで考える余裕なんてなかった。
でも。
あの日。
傷ついたのは。
自分だけではなかった。
自分が。
食べられなくなって。
一人になりたいと言って。
そして。
刺されて。
目を覚まさなくなった。
それを見ていた。
八人も。
「みんなも」
阿部が小さく聞く。
「この夢で、治してるの?」
天使は肩を竦める。
「さあ?」
「さあって」
「私は別にそこまで細かく決めてないし」
「お前ほんとに天使?」
「天使だよ」
「仕事雑すぎない?」
「でも」
天使が阿部を見る。
「楽しそうでしょ?」
阿部は。
言葉を止めた。
夢の国。
館さんは。
翔太と二人で行きたいと言った。
ふっかも。
照と行きたいと言った。
康二は。
写真集の発売を楽しみにしていた。
佐久間は。
アニメのイベントへ行きたがっている。
ラウールは。
体型を気にせずたくさん食べたいと言った。
目黒は。
普通の会社員として暮らして。
阿部と。
誰にも隠れず手を繋いだ。
みんな。
この夢を。
楽しんでいる。
「……うん」
阿部は。
小さく笑った。
「楽しそう」
「でしょ?」
天使も笑う。
そして。
本当にどうでもいいことを提案するみたいな口調で言った。
「じゃあさ」
「何?」
「過去のこと」
少し考えて。
「全員で笑い話にできるくらいまでは、ここにいたら?」
「……」
阿部は。
天使を見る。
「そんな簡単に言う?」
「簡単じゃない?」
「簡単じゃないよ」
「じゃあ難しく考えれば?」
「適当だな!」
「でも」
天使は笑っている。
「あべちゃんだけ元気になって帰っても」
「……」
「みんな泣いたままじゃ、つまんないじゃん」
その言葉に。
阿部は黙った。
「それに」
「何?」
「せっかく時間、ほとんど進まないんだし」
「三分?」
「多分」
「また多分」
「五分くらいになってるかも」
「さっき四分だったよ!」
天使は。
楽しそうに笑った。
阿部は。
二冊のノートを見る。
過去。
今。
どちらも。
自分。
でも。
この夢は。
いつの間にか。
自分一人のためのものではなくなっていた。
目黒も。
みんなも。
ここで。
少しずつ。
自分たちなりの時間を過ごしている。
「……笑い話にできるまで、か」
阿部が呟く。
天使が頷く。
「うん」
「あのことを?」
「いつかね」
「無理じゃない?」
「今すぐじゃなくていいじゃん」
天使は立ち上がった。
「あべちゃんたち、時間あるし」
「現実は三分しか進んでないんでしょ?」
「多分ね」
「そこはちゃんとしてよ」
「大丈夫」
「信用できない」
天使は気にせず。
リビングのドアへ向かう。
阿部は。
その背中を見る。
「ねえ」
天使が振り返る。
「何?」
「俺」
少し迷ってから聞く。
「ここにいていいの?」
天使は。
きょとんとした顔をした。
「いたいなら別にいいんじゃない?」
「……適当」
「だって決めるのあべちゃんだし」
天使は手を振る。
「じゃあ、楽しんで」
「待って」
「何?」
「また来る?」
「気が向いたら」
「ほんと適当!」
天使は笑って。
ドアの向こうへ消えた。
阿部は慌てて立ち上がり。
ドアを開ける。
でも。
廊下には。
誰もいなかった。
「……なんなんだよ」
呟きながら。
リビングへ戻る。
テーブルには。
二冊のノート。
阿部は。
新しいノートを開いた。
そして。
少し考えて。
新しい一行を書いた。
『俺だけじゃなくて、みんなもこの夢で休んでいるのかもしれない。』
その文字を。
しばらく見つめる。
今すぐ。
帰らなくてもいいのかもしれない。
逃げるためではなく。
みんなで。
もう少し笑えるようになるために。
阿部は。
静かにノートを閉じた。
#BL
コメント
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おはようございます☀ 一気に読みました。 相変わらず適当だな天使… だから良いのかもしれない。 そうだよね😞 💚支えるために 皆んなが手を差し伸べてくれたんだよね。 事件になれば皆んなが🖤が1番慌てる 心の奥の闇が綺麗に無くなってから やりたい事やり切ってから戻るのも良いのかな🙆 続き待ってます♪
うわっ、天使きた!😂「久しぶり」で始まる阿部のツッコミが爆発してて草。でも「心に傷を負ったのはあべちゃんだけじゃないよ」ってセリフでグッと来た……みんなそれぞれに傷を抱えてこの夢で癒されてるんだなって。阿部が「みんなもこの夢で休んでるのかも」ってノートに書くラスト、優しすぎて泣きそうになった。