またまたもっくん可哀想です!オーバードーズしてます!病んでます!!またまた涼ちゃん出てきません涙
そして、長く、重たいです。
【インフェルノ】
1:波紋の始まり
呼び出されたのは、レコーディングが終わった翌日の午後だった。
湿度の高い控室。汗ばんだシャツの襟を引っ張るようにして、元貴はマネージャーの前に座った。
「なあ、元貴。滉人と……何かあったか?」
その一言に、心臓がひときわ強く打った気がした。
慌てて口元に笑みを浮かべたつもりだったが、うまく形にならなかった。
「……え?別に、何も。変なこと言うね、急に」
マネージャーは短く息を吐いた。あきらかに、疑っている。
「今、余計なスキャンダルは困るよ」
その言葉には、明確な含みがあった。
声は穏やかだったが、視線は厳しい。プロとしての冷静さと、微かな憐れみが混じった表情に、元貴は何も言い返せなかった。
もちろん分かっている。
Mrs. GREEN APPLEは今、飛ぶ鳥を落とす勢いだった。新曲は毎週のように音楽番組に取り上げられ、CM、ドラマ、映画のタイアップも引く手数多。
そんな中、バンドの中心にいるボーカルとギター、しかも男同士が交際しているとバレれば、影響は計り知れない。
それは、ファンへの裏切りと言われかねない。
関係者は顔を曇らせ、メディアは騒ぎ立て、何より、滉人自身も巻き込まれてしまう。
そして、自分たちの音楽を信じて支えてくれている全ての人たちを裏切ることになるかもしれない。
だから、元貴は選んだ。
滉人のために、守るべきもののために、自分だけが傷つけばいいと。
曲を書けなくなったのは、その選択をした時からだった。
滉人からの食事の誘い、リハ後の一杯、いつものように笑い合う時間。
「今日はちょっと疲れてて」「ごめん、別の用事があって」
断る理由はいつも曖昧で、滉人は最初こそ気にしていないように笑っていたが、次第にその笑みの奥に、薄い不安を宿すようになっていた。
元貴は、それにも気づいていた。
だから、終わりを告げた。
ある雨の日の夜。
スタジオの帰り道、人気の少ない駐車場で、滉人に向かって言った。
「もう、飽きたんだよ。お前のこと」
吐き出すように。
ほんの一瞬、滉人の顔が硬直し、その後に浮かんだのは怒りだった。
「……は?」
「だから、もう終わり」
「…お前がそんな事言う奴だって、今初めて知ったよ」
ひどい言葉だった。けれど滉人の声は震えていた。
立ち去る彼の背中を、追うこともできなかった。
胸が痛くて、涙が出そうで、でも絶対に泣くわけにはいかなかった。
⸻
音楽が、ただの作業になった。
楽しいと思えなくなった。
誰かの心を動かすことなんて考えられなかった。
自分の心が、もう動かなくなっていたから。
でも、何もなかったふりをしていた。
誰にも悟られないように、いつものように、笑って歌って、作って、振る舞った。
滉人とは必要最低限の会話だけ。
音合わせでは息が合う。それだけが唯一の救いだった。
まるで、心だけを殺して生きているような日々が続いた。
2:冷たい夜に
冬の終わり、スタジオの空気は重たかった。
新しい楽曲の打ち合わせ後、レコード会社の担当と、スポンサー企業の上層部が控室に顔を出した。
彼らはいつも、当たり障りのない褒め言葉の裏に、数字と期待を詰めている。
「次のCMソング、インパクト強めでお願いしたいんですよね」
「今の時代に合った“刺さる”感じで」
「でも、Mrs.らしさは失わないで」
そんな曖昧な注文を並べながら、時折、元貴をちらりと見る。
その日も変わらなかった。
ただ一つ、いつもと違っていたのは――スポンサーのひとりが口を開いた時だった。
「最近の曲、似たようなのが多くない?なんか……ねえ」
静かな言葉だった。だがそれは、ナイフのように鋭かった。
「ねえ」と笑いながら言ったその人の目は、本気でそれを疑問に思っていた。
マネージャーがすかさずフォローに入る。「すみません、ちょっと制作が立て込んでいまして……」
「そう。まあでも、うちの商品を宣伝する立場だからさ、ちゃんと考えてもらわないとね」
その瞬間、元貴は俯いたまま、喉の奥で何かが詰まった。
謝るしかなかった。
「……すみません」
その声は、誰の耳にも届かないほど小さくて、かすれていた。
控室の端にいた滉人は、その背中をじっと見ていた。
背中が丸く、肩が小刻みに揺れていた。
あれは昔見たことがある。
まだメジャーデビュー前、不安定で自信を失っていた頃の元貴と、同じだった。
ただ違うのは、今の元貴は、何も言わず、誰にもすがらない。
音楽で支えていた心が、音楽によって崩れていることに、誰も気づかないふりをしている。
滉人は拳を握りしめた。
言いたいことは山ほどある。
けれど、それを言った瞬間、また彼が離れていくような気がして、何もできなかった。
⸻
夜。
マンションの一室。
照明を落とした部屋の片隅で、元貴は膝を抱えていた。
音もない。テレビもつけていない。
ただ、心の中だけが喧しくて、滉人の顔が何度も浮かんで消えた。
「……バカだな、俺」
自分に向かって呟く。
携帯には滉人からの未読のメッセージがいくつか残っている。
「体調、どう?」
「リハ、ちょっと合わせたいんだけど」
「……大丈夫か?」
大丈夫じゃない。
本当は、あの腕に抱きしめられたい。
泣いて、全部ぶちまけて、こんな世界捨ててしまいたい。
でも、それをしてしまったら、また傷つくのは滉人だ。
スタッフも、ファンも、仲間も、全員が巻き込まれてしまう。
だから今日も、精神安定剤をこっそり飲んで、ベッドに潜り込む。
眠れない夜が、またひとつ、終わっていく。
3:壊れていく声
その日、レコーディングスタジオには、普段とは違う緊張感が漂っていた。
タイアップ先の企業の重役が数人、見学に訪れることになっていたからだ。
元貴は、いつも通りの無表情でマイク前に立った。
「よろしくお願いします」と口にした声は、かすれていた。
エンジニアが小さく首を傾げる。
「……体調、悪い?」
マネージャーが答える。「大丈夫です。ちょっと喉が疲れてるだけなんで」
誰も、元貴が昨夜も一睡もしていないことを知らなかった。
ベッドに横になっても、滉人のことが頭から離れなかった。
“飽きた”なんて、あんな嘘、どうして平気で言えたのか。
自分でも、わからない。
それでも、今日も“Mrs. GREEN APPLEの大森元貴”でいなければならなかった。
録音が始まる。
前奏が流れ、元貴が歌い出す。けれど、その声には、いつもの伸びも、熱もなかった。
「……ストップで」
エンジニアがためらいがちに止めた。
「ちょっとピッチ、ぶれてます。もう一回いきましょうか」
元貴は無言で頷いた。再びイントロが流れる。
何度も、同じパートを繰り返す。声が出ない。息が続かない。
その様子を見ていたスポンサーの男が、小さな声で言った。
「……大丈夫?なんか青白くない?」
「声に張りがないねえ。あれで完成させるつもり?」
「うちの商品のこと、もっと考えてもらわないと」
嫌な空気が、ふっとスタジオに満ちた。
そして――
「……うるせーな」
誰かがつぶやいた。いや、つぶやきにしては、あまりに明確だった。
空気が凍りつく。
男が眉をひそめた。「今、なんて言った?」
元貴は、マイクの前に立ったまま、顔を上げなかった。
その代わり、肩が震えていた。
そして、再び――
「だから、うるせーんだよ!どいつもこいつも……!」
怒鳴り声が、ガラス越しのコントロールルームに突き刺さる。
張りつめていた糸が切れたように、元貴の声が爆発する。
「曲が似てる?だったら自分で作れよ!」
「CMのことしか考えてねえやつらが、何様のつもりだよ!」
マネージャーが慌ててブースに駆け込んだ。
「元貴、やめろ!」
滉人も立ち上がった。けれど動けなかった。
目の前で叫ぶ元貴の姿が、別人のように思えたからだ。
叫び終えた元貴は、肩で息をしていた。
誰とも目を合わせず、マネージャーに腕を引かれるまま、控室へと連れて行かれた。
スタジオには、言葉を失ったスタッフとスポンサーたち。
滉人は、凍りついたままその場に立ち尽くしていた。
彼の中で何かが、ゆっくりと崩れていく音がした。
4:微笑みの仮面
レコーディングブースで怒号を上げた直後、
控室に戻された元貴は、マネージャーと二人きりになった。
空調の低い音が、どこか遠くで鳴っていた。
誰も口を開かなかった。沈黙が満ちていた。
やがて、マネージャーが、ゆっくりと口を開く。
「……どうした、元貴。最近、お前、おかしいぞ」
その声は、責めるようでもあり、心配するようでもあった。
元貴は、その言葉に顔を上げることもせず、ぼんやりと床を見ていた。
「何があった?」と重ねられる声に、ようやく彼は唇を動かした。
「……何もないよ」
そして顔を上げる。
その表情には、泣きそうな様子も怒りもなかった。
代わりにそこにあったのは、壊れたような、空っぽの笑み。
その微笑みは、美しかった。
美しいが故に、どこまでも痛々しく、哀しかった。
まるで、深い闇に包まれた水面のように。
マネージャーは、息を飲んだ。
「全部なくなったんだ。それだけ」
その言葉は、ひどく静かだった。
叫ぶよりも深く、人の胸に突き刺さる静けさだった。
「……あのおっさんに謝ればいいんでしょ」
椅子から立ち上がると、元貴は軽い足取りで控室の扉を開けた。
笑っているようで、どこにも楽しさはなかった。
ただ、歩く人形のように。
マネージャーは、何も言えず、その背中をただ見つめていた。
5:崩れた確信
スタジオに戻った元貴は、深く頭を下げた。
「さっきは、失礼しました」
スポンサーの重役たちは、明らかに警戒した目を向けていた。
一人が、鼻を鳴らして言う。
「謝るなら、最初からあんな真似するもんじゃない」
皮肉たっぷりな言葉にも、元貴は一言も反論せず、頭を下げ続けた。
「すみません」
ゆっくりと顔を上げた時――
彼の表情は、さきほど控室でマネージャーに見せたものと同じだった。
微笑みが、唇の端にゆるやかに宿る。
けれどその目には光がなかった。
その微笑みに、スポンサーたちは思わず息を飲んだ。
そして、彼は囁くように言った。
「……すぐに、やり直します」
「……あ、ああ、わかってくれればいいんだよ。ねえ」
スポンサーの一人が、動揺を隠すように言った。
元貴は、さらに一歩踏み込んで、もう一度、深く頭を下げた。
「次は、満足してもらえるように」
その声に、ひとつの狂気が混ざっていた。
スタジオにいたスタッフ、メンバー、誰もが言葉を失った。
滉人もまた、その微笑みに背筋を凍らせていた。
あんな笑い方、する人じゃなかった。
あの頃の彼は、もっと無邪気に、時には子どもみたいに笑っていた。
ふざけて、からかって、笑って、そして音楽を楽しんでいた。
今、目の前にいるのは誰だ?
感情を切り離した笑顔で、痛みも怒りも全て閉じ込めたまま、音楽を作ろうとする人間。
なにか、おかしい。絶対に――なにか、あった。
そう確信した滉人は、レコーディング後、マネージャーを控室に呼び出した。
「……話してくれ。何があったんだ。元貴に、何が」
マネージャーはしばらく口をつぐんでいたが、ついに観念したように、深く息を吐いた。
「……もしかして──スキャンダルは困るって、この前元貴に…それで、」
滉人は眉を顰める。「やっぱり、か」
「……アイツ、お前のこと、きっと今も好きなんだな。…別れたくなんてなかった…俺のせいかも、な」
マネージャーの言葉が、心臓に杭のように突き刺さった。
「やっぱり、お前ら…本当だったんだな」
滉人は、何も言えなかった。
自分があの日、どんな言葉を投げたかを思い出した。
『お前がそんなこと言う奴だって、今初めて知ったよ』
あの時、泣きそうな顔で嘘をついた元貴に。
どれだけ傷つけたかなんて、何も考えなかった。
「……っ……」
口を開こうとしても、声が出なかった。
代わりに、後悔だけが胸を満たしていった。
6:眠れぬ夜、届かぬ声
夜――。
都心のマンションの一室。
灯りは最小限。間接照明だけが、部屋の隅をぼんやりと照らしている。
リビングの片隅に、ひとつの姿があった。
ソファに浅く腰をかけ、ノートPCを膝に乗せ、元貴はじっと画面を見つめていた。
画面には、音楽制作ソフト。幾つものトラックが並び、無数のノートが音を刻んでいる。
それを指先で少しずつ、確かめるように整えては、またやり直す。
何時間、そうしていただろうか。
時計はすでに午前3時を回っていた。
床には転がったままの、空になった薬のシート。安定剤。
無造作に置かれたペットボトルの水。
カップ麺の容器が、一口も食べられずに冷えている。
新しい薬のシートを手に取り、元貴はそのまま何錠かを口に放り込む。
もう何錠目なのか、自分でも分からない。
数えることも、気にすることすら、やめていた。
薬を飲み込むと、少し間を置いて笑う。
「……ばっかみたい」
その言葉には、自分自身への嫌悪と諦めが滲んでいた。
命を削ってまで、音楽を作っていることがバカバカしかった。
曲を書きたいと願った自分が、今はそれすら義務のようになっている。
眠れない夜に、薬を飲んで無理やり眠って、朝になればまた曲を書く。
そんな繰り返しに、生きている意味など感じられなかった。
それでも、PCに向かう。
何かを生み出せる自分だけが、自分を証明できる気がして。
どんなに嘘でも、それが現実よりずっとマシだった。
ふと、手が止まる。
ふわりと、浮かんできた旋律があった。
昔、滉人とふたりで夜中にふざけながら作った曲に、どこか似ているメロディ。
胸の奥が、ぎゅっと痛んだ。
ノートPCの画面が、にじんで見えない。
目を閉じて、深く息を吐いた。
気付けば、涙が頬を伝っていた。
それなのに、彼は――笑った。
「なんで……泣いてんだ、俺」
かすれた声。
笑っていた。
涙を流しながら、笑っていた。
誰もいない部屋の中。
彼のその姿を知る者は、誰もいなかった。
自分がどれだけ壊れているのか、もう感覚がなかった。
誰にも言えなかった。
滉人にすがることもできなかった。
嘘をついたのは、自分だ。
彼を突き放したのも、捨てたのも、自分の手だ。
「……滉人……」
名前を呼んだその声は、かすれて、ほとんど聞き取れない。
彼の名を呼べば呼ぶほど、その距離の遠さが胸を裂いた。
あの時、素直に「怖い」と言えばよかった。
「好きだ」と伝えれば、違う未来があったかもしれない。
でも、もう遅かった。
戻れない。
床に落ちたままの薬のシートを見つめながら、彼は小さく嗤う。
「……もう、いいや」
もう、何も怖くなかった。
何も望まなければ、失わずに済むと信じていた。
けれど、実際は――何もかも、失っていた。
音楽の楽しさも、滉人の優しさも、未来の希望も。
今、自分の中に残っているのは、
「作らなければ」という義務と、
「壊れていく」という感覚だけ。
そしてそれを、止める術をもう彼は持っていなかった。
7:静寂の中のサイレン
その夜も、同じだった。
眠れないまま、元貴は部屋の灯りを最小限にし、PCに向かって曲を打ち込み続けていた。
けれど思考はもつれ、音は歪み、彼の指先は何度も同じ場所を彷徨った。
「……ちがう、これじゃない」
つぶやきながら、またひとつ薬の錠剤を取り出す。
そして、もうひとつ。
さらに、もうひとつ。
最初は眠るための薬だった。
そのうち、不安を鎮める薬に手を伸ばすようになった。
いつしか、自分を感じなくするために――薬を飲むようになった。
床に散らばる錠剤。転がった水のペットボトル。
吐き気が喉をせり上がっても、それを押し込めて、なお元貴はキーボードを叩き続ける。
目の焦点が合わない。
耳が遠くなった気がした。
吐息は熱く、心臓の鼓動は不規則に打ち、胃の奥で何かが焼けるように痛い。
ふと、滉人の声が、耳の奥に響いた気がした。
「……元貴、無理すんなよ」
その幻聴に、彼はひとつ、笑った。
ゆっくりと、身を横たえる。
「……やだな、また、幻聴か」
それでも。
その声を、優しさを、忘れたくなかった。
目を閉じた瞬間、視界が暗転した。
次に感じたのは、冷たい床の感触。
そして、自分の胸を叩くような音。
遠ざかっていく意識の中、唯一はっきりと見えたのは、滉人の顔だった。
――滉人、ごめん。
それは、言葉にはならなかった。
静寂の中、元貴は床に倒れた。
8:無音の白い部屋
病院の天井。
消毒の匂いと、機械の音。
何かが肺に管を通っているような、重く不快な感覚。
「……っ」
微かに身をよじると、誰かの声が聞こえた。
「元貴!?先生!反応ありました!」
マネージャーの焦った声が聞こえた。
慌ただしく人が動く音。
医師の声。看護師の足音。
けれど元貴には何も聞こえていないようだった。
まるで、どこか深い水の底から音を聞いているような、遠く曖昧な世界。
体は鉛のように重く、動かせなかった。
喉が痛い。
意識が戻りかけるたび、吐き気と眩暈が襲った。
点滴。心電図。
腕には無数の針の痕が残され、皮膚は青白く、唇はひび割れていた。
薬の副作用。
過剰摂取による一時的な記憶混濁。
肝臓と腎臓にわずかなダメージ。
一歩間違えば、戻ってこられなかった。
「よく、助かったな……」
医師の誰かが、そう呟いていた。
9:彼の名を呼べない
病室は静かだった。
白いカーテンが風に揺れ、小さな音を立てている。
窓の外では、朝がゆっくりと始まっていた。
ベッドの上、元貴は薄く目を開けていた。
まだ意識はぼんやりしていたが、自分が生きていることはわかった。
それが、良かったのか悪かったのかは分からない。
彼は何も言わなかった。
声を出す気力もなかった。
ただ天井を見つめ、静かに息をしていた。
滉人の姿は、なかった。
でも、彼のことだけは、頭から離れなかった。
あの時、突き放した言葉。
「……飽きたから」
心にもない嘘を、押し込めた夜。
会いたいと思った。
声が聞きたかった。
でも――会わせる顔がなかった。
あの人をここに呼ぶ理由なんて、今の自分にはない。
ただの壊れかけのボーカルに、価値なんてもう残ってない。
「……滉人」
小さく呟いた。
涙は、流れなかった。
涙すら、枯れていた。
自分のせいで全部壊れた。
自分が勝手に突き放して、傷つけて、
それで、救いを求めるなんて。
「ずるいよ、俺……」
その呟きは、誰にも聞こえなかった。
それでも。
彼の胸の奥で、滉人の声が何度もリフレインしていた。
「元貴、無理すんなよ」
「元貴、お前が笑ってる方がいいに決まってんだろ」
俺が壊れるのは構わない。でも、あいつには……
そう思った。
それなのに、心は彼に縋ってしまう。
音楽も、自分も、滉人も――全部、守りたかった。
でもそれは、願うにはあまりにも遠すぎて。
10:崩れた声、叫び、再会
深夜0時を少し回った頃だった。
滉人のスマートフォンが、遠慮がちな震え方で通知を告げた。画面に浮かんだのは、マネージャーの名。いやな予感が、背筋を冷たく撫でていく。通話ボタンを押すのに、ほんの一秒、躊躇があった。
「……滉人。元貴が、倒れた。救急搬送された。今、××総合病院にいる」
その一言で、世界が反転したような感覚に襲われた。喉が閉じ、心臓が殴られたように脈打つ。
「なんで……なんで、倒れるまで気づけなかった……!」
誰にともなく呟きながら、部屋を飛び出し、車を走らせた。信号の色さえ視界に入っていなかった。
⸻
病院の救急外来のフロアは、深夜にもかかわらず慌ただしかった。機械の音、看護師たちの声、微かに漂う消毒の匂い。そのすべてが、滉人の胸を締め付ける。
案内された病室の前に立ったとき、扉の向こうから叫び声が聞こえた。
「薬が……!ないと……無いと死ぬってば……っ!」
聞いたことのない声だった。いや、それは確かに元貴の声だった。けれど、音程もリズムもない、感情だけがむき出しになった、壊れた人間の叫び。
「助けてって言ってるだろ!たすけて……っ……!」
看護師が複数人がかりで押さえ込んでいる。暴れているというよりも、縋りつくように、苦しみに抗っているように見えた。
「だめだよ、それ以上は……吐き気もあるでしょ?薬が逆流してる、今は落ち着いて――」
「やだ……!もう、やだ……!」
その姿に、滉人は一歩踏み出せずにいた。胸が痛い。喉元まで何かがせりあがって、呼吸さえ苦しかった。
病室の外から見えた元貴は、点滴の管に絡まるように床で身をよじらせ、涙と汗に濡れていた。唇は青白く、頬はこけ、あの鮮やかだった眼差しには光がなかった。
「……モトキ……」
小さな声が漏れた瞬間、元貴の視線が、ふいにこちらを向いた。焦点が合ったかは分からない。でも、その瞬間、滉人は扉を開けていた。
「若井…?」
驚いたような、安堵したような、でもどこか怯えたような声。
「来るな……っ、見るなよ、俺を……見んなっ!」
その叫びに、滉人の足が止まる。
「なんで……なんで来たんだよ……?俺、酷いこと言ったのに……!お前にもう、関係ないだろ……!」
身体を押さえられながら、元貴は泣いていた。声を震わせ、汗に濡れながら、何度も「ごめん」と繰り返していた。
「おれ、ほんとは……ほんとは……若井のこと、……」
そこまで元貴が言ったところで、看護師が静かに滉人の肩を叩いた。
「今は処置中です。精神的にも身体的にも、極度の不安定な状態です。申し訳ありませんが……」
滉人は、黙って頷いた。
視線はずっと元貴の方を見ていた。壊れてしまいそうなその姿を。いや、もうすでに壊れてしまっていたのかもしれない。
「元貴……」
その名前を、震える声で呼ぶことしか、今の滉人にはできなかった。
11:静けさの中の再会
朝が来た。
けれど、窓の外には陽がなかった。
厚い雲が空を覆い、病室の中も、どこか色を失っていた。
機械の小さな音がリズムのように鳴る。その音だけが、世界と繋がっている証のようだった。
ベッドの上。元貴は、静かに目を開けた。
まだぼんやりとした視界の中、天井の白さが目に刺さる。重い身体を少しだけ動かすと、点滴の管が揺れた。
口の中が苦い。喉が渇いている。でも、声を出す気力もなかった。
(また……生きてる)
心の奥で、誰かが呟いた。
それは安堵でも、喜びでもなかった。
ただ、諦めのような、静かな重さだけが胸に積もっていた。
ゆっくりと視線を動かすと、病室の隅に座っている男の姿が目に入った。
滉人だった。
黒いジャケットを着たまま、眠っているようだった。椅子の背にもたれ、腕を組んで、深く呼吸している。けれどその表情は、ひどく疲れて見えた。
元貴は、何も言わずにただ見つめた。
ここにいるはずのない人だった。
来ないでほしかった人だった。
でも、会いたくて仕方がなかった人だった。
「……滉人」
声は、驚くほどかすれていた。
滉人のまぶたがゆっくりと開く。数秒、夢と現実の狭間を彷徨うように、視線が宙を泳いだ。
そして、ベッドの元貴に目が合った瞬間、空気が凍りついた。
「……目、覚めたか」
滉人の声は、ひどく優しかった。怒っても、呆れても、突き放してもいなかった。
「……来なくて、よかったのに」
ようやく口にした言葉は、やはり、強がりだった。元貴は視線を逸らす。
「来るに決まってるだろ、あんな連絡もらって……。俺のこと、誰だと思ってんだよ」
「元カレ」
乾いた冗談のように呟いた元貴の唇が、ひび割れていた。
「そうだな。でも、いまここにいるのは、“元”じゃねえ。お前を……愛してる人間だよ」
その言葉に、元貴の喉が震えた。
(やめろよ)
(そんなふうに言うなよ)
(そう言われると、また……)
「……なんで、来たの」
「お前が、俺の知らないところで壊れてくの、もう耐えられなかったから」
そう言って、滉人は立ち上がる。ベッドの側に、ゆっくりと歩み寄る。
「お前、薬で自分ごまかして、笑ってるふりして……そんなの、音楽じゃねえ。お前が作る曲、そんなもんじゃなかった」
元貴の喉から、小さな嗚咽が漏れる。
「……もう、曲なんか、作りたくない」
「それでも、やってたじゃん。ずっと。それだけは、絶対手放さなかったじゃん」
その言葉に、胸の奥が痛んだ。
自分の存在を証明できる唯一の場所だった。
でも、今は、あまりに遠い。
「俺が……全部壊した」
「違う」
滉人の声が強くなった。
「元貴、お前ひとりで背負いすぎたんだよ。俺にも言ってくれりゃよかったじゃん。俺だって、大事な仲間で、大事な……恋人だっただろ?」
「……怖かったんだよ。若井までいなくなるのが。俺が弱いせいで、お前まで巻き込んで……嫌われるのが、怖かった」
震える声で元貴が言った。
そして――
「もう、俺のことなんか、好きじゃないでしょ」
弱く、儚い問い。
滉人は、何も言わなかった。
代わりに、そっと元貴の手を握った。冷えた指先を包み込むように、温かさだけで応えた。
「……バカが」
それだけだった。
でも、その言葉に、元貴は涙をこぼした。こらえきれず、声を出して泣いた。
12:隠された嘘、言えない真実
退院してからの数日、元貴の部屋はずっと静まり返っていた。
カーテンは閉ざされ、差し込むはずの朝の光は、部屋の中を照らすことすら許されていない。
空気は湿り気を帯び、無音に近い。
その中でただひとつ、ノートパソコンのモニターが淡い光を放っていた。
元貴は、その前にずっと座り込んでいた。
長い髪が頬にかかり、目の下には深い影が刻まれていた。
彼の足元には、何枚もの薬の空シートが転がっている。
それらをかき集めることもせず、元貴はただモニターに向かって音を組み立てていた。
フレーズを入れては消し、入れてはまた消し、いつの間にか呼吸の音すら失われていた。
…がさり。
何かが動く気配。
ゆっくりと、玄関のドアが開く音がした。
「……元貴」
低い声。滉人だった。
その瞬間、元貴の背中がぴくりと揺れる。
だが振り向かない。顔を見せられる状態じゃないと、自分でもわかっていた。
「また……これか」
滉人の足音が、薬のシートを踏む音を立てて近づいてくる。
「何やってんだよ、お前」
元貴の指先がかすかに震える。
それでも彼は静かに言った。
「……曲、作ってただけだよ」
「見りゃわかる。だけど、その前に何やったかも……見ればもっとわかる」
滉人はため息をつき、元貴の手元にあった未開封の薬をひったくるように奪い取った。
そして、それをゴミ箱へと投げ捨てた。
「最後の一個だったのに」
元貴はぽつりと呟いた。
その声は感情を失っていた。
滉人はもう一度、深く息を吐くと、正面から元貴の肩を掴んだ。
「お前に足りないのは薬じゃねえ。俺が病院で言ったこと、忘れたのか?」
「……忘れてない」
「じゃあなんで、こうなってる。何度も言っただろ、薬に逃げんなって。……それとも、俺の言葉なんか、もうどうでもいいのか?」
「違う」
元貴はそう言った。
震える声だった。かすかに笑ってすらいた。
「違うよ。……怖いんだ。もう、全部。歌うのも、作るのも、人を信じるのも、全部……」
「俺はお前を信じてる」
滉人は言葉を重ねた。力強く。
「どんなお前でも。逃げたって、倒れたって、何度でも戻ってこいよって。……愛してるって、言ったろ」
元貴は、ぐっと唇を噛んだ。
一瞬、目を逸らしそうになって、それでも滉人の目を見返した。
「……僕も、だよ。愛してるよ。滉人」
その言葉は、嘘じゃなかった。
元貴の奥底から滲み出る、本物の感情だった。
だが――その胸ポケットに、まだ一つだけ隠してある薬の存在を、滉人は知らなかった。
「マネージャーには話をつけてきた。今は無理に復帰しなくていい。音楽から距離を置くこともできる。だから……」
滉人の言葉が続く中で、元貴は目を伏せた。
心の底で、声にならない悲鳴が響いていた。
(ありがとう。ほんとうに……ありがとう)
(でも、僕はまだ……ここから出られない)
滉人の腕の中で、そっと微笑んだその表情の裏で、元貴は小さな錠剤の感触を指先に確かめていた。
「……ごめん、滉人」
口に出した言葉は、それだけだった。
12: 安堵と毒
夜は静かだった。
滉人の寝息が隣から、規則正しく聞こえる。
元貴はその音に耳を澄ませながら、ベッドの縁で膝を抱えていた。
部屋はぬくもりに満ちていた。滉人の腕に抱かれて眠りについたばかりの時間は、確かに幸せだった。
「愛してるよ」
滉人のその言葉が、心に今も残っている。
そして、自分も「僕もだよ」と答えた。
嘘じゃない。心からそう思っていた。滉人を、こんなにも愛している。誰よりも。
なのに。
元貴は枕元の引き出しから、小さな銀色のケースを取り出した。
指の腹が震える。蓋を開けると、薄いブルーの錠剤が静かに並んでいた。
ひとつだけ残しておいた。
“お守り”だと自分に言い訳していた。
だが、本当は知っている。これは逃げ場だ。愛してくれる滉人を裏切るための、最もたちの悪い裏切り。
「……ごめん」
誰にともなく呟いた。
滉人の寝顔を見て、胸が痛んだ。優しい顔。信じてくれている顔。
その横で、自分は薬を飲もうとしている。
錠剤を口に放り込む。
乾いた喉が、ごくりとそれを受け入れる。
心が静まっていく。
濁った水のような思考が、ゆっくりと澄んでいくような錯覚。
安堵。
この安堵が、すべてをだめにしていた。
彼に抱かれ、愛を囁かれたあとですら、それでもまだ不安なのだ。
自分が壊れていないか確かめるために、薬を必要としている。
涙が頬を伝う。
滉人を、こんなにも愛しているのに。
――それなのに、どうして僕は、この毒にしか癒やされないんだ。
自分の心が、どこまで壊れてしまったのかが、もう分からなかった。
「……生きてるの、しんどいな」
そう呟いたその声も、すぐに薬のもたらす眠気に溶けていった。
⸻
翌朝、滉人は元貴の寝顔を見つめながら、そっと髪を撫でた。
こんなにも穏やかで、安心しきった顔は久しぶりだった。
「元貴……やっと、ちゃんと眠れてるんだな」
滉人は静かに笑った。
元貴は眠っているふりをしたまま、目を閉じ続けていた。
本当は目を開けて、彼に「ありがとう」と言いたかった。
でも言えなかった。
心の奥に隠している薬の存在が、重くのしかかっていた。
彼を愛している。
でも、同じだけ、彼を裏切っている。
その矛盾が、元貴を少しずつ、確実に蝕んでいた。
13: 愛と毒と
朝。
カーテンの隙間から、淡い陽射しが差し込む。
「……ん、元貴?」
寝返りを打った滉人が、隣に誰もいないことに気づいた。
すぐに起き上がると、廊下の奥から聞こえてくる音に眉をひそめた。
水の音。えずく声。
そして、流れるトイレの水。
「……またかよ」
滉人がドアをノックしようとした時、ちょうどトイレの扉が開いた。
そこに立っていた元貴は、血の気が引いたような顔で、唇の端には吐いたものの痕が残っていた。
「……ごめん、起こした?」
その声も、かすれていた。
細く、乾いて、震えていた。
手が、ぶるぶると震えている。
「どうした?体調……いや、わかってるよ、でも……」
滉人は言いかけて、言葉を飲み込んだ。
元貴の手が、空気を掴むように宙に浮かび、軽く震えている。
それがどれだけ長い間、続いている症状なのかを思うと、怖くて口にできなかった。
「……大丈夫だよ。ちょっと吐き気がしただけ」
それはもう何度も聞いた言い訳だった。
滉人はふっと息を吐き、無言で濡れタオルを用意して、元貴の顔を拭いてやる。
その時、元貴はほんの一瞬だけ、子どものように滉人にしがみついた。
「ごめん……ね」
そう囁く声は、掠れていて、けれども確かに心の奥から発されていた。
滉人は何も言わず、そっと彼の背中を撫でた。
それだけで、元貴の目からまた、涙が零れた。
⸻
薬の量は、確実に増えていた。
最初は1錠。それが2錠になり、今では飲んだ数すら覚えていない日もある。
飲まなければ震えが止まらない。
飲んだ後は、頭がぼんやりして、身体は鉛のように重たくなる。
でも、その重さが、唯一「何も考えなくていい」感覚を与えてくれた。
心が穏やかになったと錯覚できる、ほんのひととき。
その間に、滉人の顔が浮かぶ。
あの人の笑顔。あの人の声。
優しくて、真っ直ぐで、まるで自分なんかには眩しすぎるほど。
――こんな僕を、どうして、滉人はまだ愛してくれるの?
愛されるたびに、元貴は自分を責めた。
この身体の中には、もう自分の意志なんかない。
滉人に微笑みながら、心の裏側では、次の薬のタイミングを計っている自分がいる。
愛しているのに。
心の底から愛しているのに。
生きているのが、もう、しんどい。
⸻
夜。
滉人の腕の中で、元貴は黙って目を閉じていた。
「……大丈夫か?」
滉人の囁きに、うん、と頷く。
「寒くない?」
「平気」
「また、明日、一緒に散歩でも行くか」
「……うん」
どれも、ちゃんと返事をしたつもりだった。
でも、心のどこかでは、別のことを考えていた。
――明日、生きていたいと思えるだろうか?
滉人の体温が心地よかった。
そのぬくもりの中で、薬を飲まなくても安らげた時間も、確かにあった。
でも、それはほんの数時間。
心の底の不安や、自分への嫌悪感が、またじわじわと這い寄ってくる。
彼に抱かれながら、自分が汚れているように感じる。
こんな自分に、どうして滉人は触れられるんだろう?
どうして、まだそばにいてくれるんだろう?
――ごめんね。
――もう少しだけ、こんな僕でいさせて。
薬のケースを、枕の下からそっと取り出して口に含む。
乾いた喉で、ごくんと飲み下す。
安堵。
だけど同時に、ひどく気分が悪い。
吐き気が込み上げる。
頭の中がしんと静まって、そして、暗闇だけが残った。
目を閉じながら、元貴はひとり思った。
「幸せなのに、生きるのが、つらい」
そんな矛盾が、自分という存在を、確実に少しずつ壊していく音がした。
*えっと。長くなり過ぎて終わりが見えません(笑)どうやって終わらせようかも迷子です(笑)続き、読みたい人いるかな。いたら書こうかと思います!書き逃げすみません汗
コメント
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初コメ失礼します…!!主様の書き方、表現が滅茶苦茶大好きで!!!😭💕︎︎良ければ続き見たいです、、!!🙇🏻♀️✨