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鷹槻れん/鷹槻うなの

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#極道
鷹槻れん/鷹槻うなの

19,895
#白い結婚
夕凪ゆな
373
うめぼっち

1,598
博正は、台の上の豆大福を一つ、手に取った。
紙は開かない。食べもしない。手の中で、重さを量るように持って、ことはを見る。
人の輪が、黙っている。麗華が、博正の後ろに立って、黙っていた。
「父が、好んだ味だ」
博正は、低い声で言った。
「――それだけだ」
豆大福を台に戻して、背を向けた。入口のほうへ、歩いて行く。麗華が、一拍遅れてついて行った。ついて行く前に、ことはを見た。顔の色が、変わっていた。白く。それから、赤く。
人の輪が、動き出した。
「社長さん、何て言った?」
「好んだ味だって。会長さんが」
「一つ、ください」
ことはは、餅を千切った。手は、動いた。頭の中では、博正の声が繰り返していた。父が、好んだ味だ。宗一郎。遺影の中で笑っていた人。父の病室で、父が言った。氷川の会長は、昔うちによく来た。
◇
午後二時。
豆大福は、残り八十を切っていた。六百を持ってきた。源さんの手は休まず、ことはの手も休まなかった。鈴の根付の女は、昼過ぎにもう一度来て、「孫に持たせたら取り合いになった」と言って、さらに十買った。
三時前。
ヒールの音が、戻ってきた。
麗華が、一人で、台の前に来た。黒いスーツ。催事部の課長の顔。人の輪は、まだあった。五、六人。
「柊屋さん。順調みたいね」
「おかげさまで」
「本店の催事場で、お客様の前で、素手で餅を包むのね」
「手は、洗っています。催事部の衛生の規則も、読みました」
麗華は、台の上を見た。それから、源さんを見た。
源さんは、餡を切っていた。大きな手。六十六歳の、節の太い手。
「その方」
麗華が、声を少し高くした。輪の中の客に、届く高さで。
「ずいぶん、お年みたいだけど。まだ、雇ってるの?」
源さんの手が、止まった。
「人件費の、無駄じゃない? 失礼だけど、職人さんの手って、年を取ると落ちるでしょう。看板の店が、そういう格で」
ことはは、餅を置く。
手を水につけて、拭く。
源さんが踏まれた。自分が踏まれたときは、拾うだけだった。拾って、お代をお返しして、それで済ませた。
今は、済まさない。
ことはは、源さんが今切った餡を、一つ取った。餅を千切った。包んだ。白い餅が、指の間で丸くなる。豆の黒が透ける。餡が、消える。
藍色の紙にのせて、麗華の前に、差し出した。
「課長。お味見を」
麗華の目が、紙を見た。
「源さんが、今、切った餡です。わたしが、今、包みました」
「……わたしは、試食は」
「試食は、お客様への提供が禁止でした。課長は、お客様じゃありません。催事部の、責任者です」
輪の後ろから、鈴の音がした。
「本店の課長さんなのに、食べもしないで言ってるの?」
鈴の根付の女だった。昼過ぎの十個を抱えたまま、帰らずに輪の後ろにいたらしい。前に出てきて、腕を組んで、麗華を見た。
「わたしは今日、二十個買ったわよ。あなたは、何個食べたの」
輪の中の、ほかの客が、麗華を見た。
麗華の指が、紙の端をつまんだ。
動かなくなった。
それから、麗華は豆大福を口に運んだ。一口。噛んだ。飲んだ。
「お口に、合いましたか」
ことはは、聞いた。
麗華は、何も言わなかった。
「うちの看板は、この手です」
ことはは、源さんの手を、見ずに言った。言って、頭を下げた。
麗華は、残りの豆大福を紙に包み直して、台の端に置いた。置いて、背を向けた。ヒールの音が、通路を戻って行く。来たときより、速かった。
輪の中で、鈴の根付の女が、鈴を鳴らして笑った。
「あの子、二口目は食べなかったわね。悔しくて」
源さんは、何も言わずに、餡を切り始めた。手は、止まっていなかった。
◇
三時半、売り切れた。
六百。台の上には、藍色の紙だけが残っていた。源さんが木箱を重ね、ことはは布を畳んだ。
一つだけ、残してあった。
木箱の底に、藍色の紙に包んで。誰のためか、自分でも分からなかった。父に、と思って残した。父は病院で、今日は行けない。
五時。
催事場は、閉店の支度に入っていた。ことはが布を畳み終えたとき、空の台の前に、黒いコートが止まった。
遼だった。
空の台。藍色の紙。木箱。
「売り切れました」
ことはは、言った。
「六百、全部」
「一つ」
「……え」
「一つ、残っているだろう」
ことはは、木箱の底を見た。見られていない。見られていないはずの、箱の底。
紙に包んだ一つを、出した。
遼は、コートのポケットから硬貨を出して、台の上に置いた。百円が二枚。十円が三枚。
二百三十円。釣りが出ないように。
ことはは、硬貨を見た。
見て、第七条の字が浮かんだ。聞けば、分かる。あなたですか、と聞けば。聞けば、それは店のことではなくなる。宇野に、なぜ知りたいのかと聞かれて、答えられなかった。
聞かなかった。豆大福を、遼の手に渡した。
遼は、その場で、紙を開いた。
立ったまま、食べた。一口。二口。黙って。源さんと同じ黙り方で、父と同じ黙り方で。
食べ終えて、紙を畳んだ。
きれいに、まっすぐに。書斎の引き出しと同じ畳み方で。畳んだ紙を、コートのポケットに入れた。
「明日も作れ」
それだけ言って、背を向けた。
ことはは、台の上の硬貨を見ていた。百円が二枚。十円が三枚。母の言葉が、頭の中で鳴っていた。二百三十円、お釣りが出ないようにぴったり置いて、一つだけ持って行くの。
顔を上げたとき、遼はもう、通路の向こうにいなかった。
「柊屋さん」
麗華が、ことはの横に立っていた。催事場の閉店の支度の中、客のいない通路で。
麗華は、台の上の硬貨を見ていた。
「よかったわね、今日は」
「……おかげさまで」
「でも、一つ教えてあげる」
麗華は、硬貨から、ことはの手に目を移した。
「一年、なんでしょう?」
ことはは、動けなかった。
「期限が来たら、あなたは元の和菓子屋。遼さんは、元の遼さん。――せいぜい、楽しみなさい」
麗華は、ヒールの音を立てて、行った。
ことはは、台の前に立っていた。二百三十円が、台の上にあった。一年。契約書の、一年。氷川の家の外では、母のほかに誰も知らないはずの、一年。
誰が、麗華に教えたのか。
コメント
1件
ああ、第12話……読み終わって、じんわり胸の奥が温かくなりました。 特に、麗華さんに源さんのことを言われたときのことはさんの「うちの看板は、この手です」という言葉、すごくかっこよかった……。自分が踏まれたときは拾うだけで済ませたのに、源さんのためにはお味見を差し出して、静かにでも真っ直ぐに言い返す。あの強さに泣きそうになりました。 それから遼さんが「明日も作れ」って言って、二百三十円をぴったり置いて行くところ。あの硬貨の並びに、母の記憶と遼さんの謎が重なって、まだ何も明かされていないのに、物語の奥行きがぐっと広がった感じがしました。 一年という期限がちらつくのが切ないけれど、今日のことはさんの背中は本当にひと味違いました。