空が、裂けた。
結界の奥。
ルシアスが張ったはずの隠匿が、
外側から――
力で、こじ開けられていく。
「……来たか」
ルシアス・ヴァルディオスは、
静かに息を吐いた。
(やはり、魔王)
次の瞬間。
重力が、反転する。
床が軋み、
空気が、跪いた。
「――出てこい」
声だけで、世界が震える。
姿は、まだ見えない。
だが、そこにいる。
「俺の、娘だ」
ルシアスは、一歩前に出た。
檻の前に。
「……久しいな、魔王」
闇が、形を持つ。
漆黒の玉座が、
空間を歪めて現れ――
そこに座るのは、
神話のような男。
美しく、冷酷で、
圧倒的。
「貴様が――」
魔王の赤い瞳が、
檻の中を捉えた。
「娘に、触れたか」
「いいや」
ルシアスは、即答した。
「指一本」
「……触れていない」
魔王の殺気が、
一瞬、揺らぐ。
だが、すぐに戻る。
「誘拐したのは事実だ」
「許されると、思うか」
「思わない」
その言葉に、
魔王の眉が、僅かに動いた。
「だが――」
ルシアスは、はっきり言う。
「返さない」
空間が、悲鳴を上げた。
「……理由を、言え」
魔王の声は、低く、
怒りの底だった。
ルシアスは、視線を逸らさない。
「愛している」
一瞬。
すべてが、止まった。
次の瞬間。
魔力が、爆発する。
「――ふざけるな」
床が砕け、
壁が消し飛ぶ。
「俺の娘だ。」
「5歳だぞ。」
魔王は、玉座から立ち上がった。
「貴様に、触れる資格はない」
「……承知している」
それでも、ルシアスは退かない。
「それでも、俺は…」
(……彼女を、欲した)
* * *
――檻の中。
「……?」
セラフィナは、目を覚ました。
空気が、こわい。
音が、大きい。
(……なに)
見上げると。
黒い、怖い人。
でも。
(……ぱぱなの?)
「……ぱぱ?」
小さな声。
その瞬間。
魔王の魔力が、止まった。
「……セラフィナ」
声が、震えた。
「だいじょぶ?」
檻に、ひびが入る。
ルシアスは、即座に前に出た。
「下がれ!」
魔王の視線が、
初めてルシアスから外れる。
娘だけを見る。
「……怖かったか」
「……うん」
それは、小さな、正直な声。
「こわかった」
「……っ」
魔王の拳が、震える。
「誰が」
「誰が、泣かせた」
ルシアスは、
ゆっくりと、膝をついた。
檻の前で。
「……俺だ」
「俺が、連れてきた」
「だが」
「傷つけてはいない」
「守った」
魔王は、初めて迷った。
「……なぜ」
ルシアスは、答えた。
「失うのが、怖かった」
「美しすぎる」
「世界は、君を放っておかない」
その言葉に。
セラフィナの目から、
涙が、ぽろっと落ちた。
「……いや」
「けんか、いや」
小さな手が、
檻を握る。
「……こわい」
「……ひとり、やだ」
その声は。
戦争より、
強かった。
魔王は、
ゆっくりと檻に近づく。
鍵が、
音もなく外れる。
「……ごめんな」
セラフィナを、抱き上げる。
小さな体が、
ぎゅっと、しがみついた。
「……ぱぱ」
泣きながら。
ルシアスは、
その光景を、黙って見ていた。
(……負けたな)
剣も、力も、理屈も。
すべて。
「……だが」
魔王が、振り返る。
「貴様を、殺しはしない」
ルシアスは、目を伏せた。
「理由は?」
「娘が」
魔王は、静かに言う。
「泣いたからだ」
* * *
セラフィナは、
父の腕の中で、
声を上げて泣いた。
世界は。
壊れかけて。
それでも――
この小さな涙に、
ひとまず、止められた。
だが。
ルシアス・ヴァルディオスは、
まだ、目を逸らさなかった。
(……終わらない)
恋は。
まだ、始まったばかりだった。






