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崩れた空間の中。
魔王は、セラフィナを腕に抱いたまま、動かなかった。
小さな体は、まだ震えている。
涙で濡れた頬を、胸に押しつけるように。
「……もう、大丈夫だ」
低く、静かな声。
セラフィナは、ぎゅっと指を握りしめた。
「……ほんと?」
「あぁ」
「もう、ひとりじゃない」
その言葉に、ようやく呼吸が落ち着いていく。
少し離れた場所で。
ルシアス・ヴァルディオスは、膝をついたまま、顔を上げなかった。
「……行け」
魔王が、言った。
「今すぐ、娘を城へ戻す」
だが――
「待て」
ルシアスは、はっきりと声を出した。
魔王の視線が、再び彼を射抜く。
「……命は、助けると言った」
「だが、罪は消えない」
「承知の上だ」
それでも、ルシアスは言葉を続けた。
「だが、条件がある」
空気が、凍りつく。
「……ほう」
魔王は、冷たく笑った。
「交渉のつもりか」
「取引だ」
ルシアスは、真っ直ぐに言う。
「俺は、二度と彼女に近づかない」
「誘拐も、接触も、干渉もしない」
「だが」
一拍置いて。
「――見守る権利を、くれ」
その言葉に。
魔王の魔力が、わずかに揺れた。
「……見守る、だと」
「遠くからでいい」
「名も、立場も、明かさない」
「彼女が望まない限り、近づかない」
「ただ……」
ルシアスは、歯を食いしばる。
「彼女が無事に生きていることを、知ることだけは」
沈黙。
長い、長い沈黙。
腕の中で、セラフィナが小さく動いた。
「……ぱぱ」
魔王の胸元を、きゅっと掴む。
「かえる?」
「あぁ」
「おうち、かえる」
「うん……」
安心したのか、瞼がとろりと落ちる。
その姿を見て。
魔王は、深く息を吐いた。
「……いいだろう」
ルシアスの目が、わずかに見開かれる。
「ただし」
魔王は、はっきりと言った。
「一線でも越えた瞬間」
「次は、ない」
「命も、魂も、残らん」
「……理解している」
ルシアスは、深く頭を下げた。
「感謝する」
魔王は、答えなかった。
ただ、踵を返す。
「……セラフィナ」
腕の中の娘が、うっすら目を開ける。
「なあに」
「……もう、終わった」
「こわい人、いない」
「……るしあすは?」
その名が出た瞬間、空気が張りつめる。
魔王は、一瞬だけ黙り――
「……遠くに、行く」
「そっか」
セラフィナは、少し考えてから、小さく手を振った。
「ばいばい」
その一言が。
ルシアスの胸を、深く、抉った。
「……あぁ」
声が、掠れる。
「さようなら、セラフィナ」
次の瞬間。
闇が、二人を包む。
空間が、閉じた。
* * *
魔界城。
不安と怒りと焦燥が渦巻く中。
空間が歪み、
魔王が、娘を抱いて現れた。
「……セラフィナ様!!」
最初に駆け寄ったのは、リリアだった。
泣きそうな顔で、膝をつく。
「ご無事で……本当に……」
「りりあ」
セラフィナは、弱々しく笑った。
「ただいま」
その瞬間。
張りつめていた空気が、崩れる。
遅れて、クロウ・フェルゼンが駆け込んできた。
「……姫君」
剣を握る手が、震えている。
「……申し訳、ありません」
「まもれ、ませんでした」
セラフィナは、魔王の腕から身を乗り出し、
小さな手を伸ばした。
「……くろう」
「まもって、くれてた」
「しってるよ」
その一言で。
クロウの喉が、詰まった。
「……っ」
魔王は、静かに告げる。
「この件は、終わりではない」
「だが、娘は帰ってきた」
「それでいい」
セラフィナは、城の明かりを見上げる。
(……おうちだ)
(あったかい)
安心したように、目を閉じた。
だが。
遠く。
誰にも知られない場所で。
ルシアス・ヴァルディオスは、
ひとり、空を見上げていた。
(……約束だ)
(俺は、近づかない)
(だが――)
その胸の奥で。
消えることのない想いが、
静かに、燃え続けていた。
――こうして。
姫は、帰還した。
だが。
物語は、まだ半分も、終わっていない。