テラーノベル
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5
次の日。
仕事を終えて。
阿部が家に帰る。
玄関の鍵を開けようとした時。
隣のドアが開いた。
「あべちゃん」
振り返る。
目黒が立っていた。
手には。
見覚えのある保存容器。
「……まさか」
阿部が見ると。
目黒が笑う。
「作りすぎた」
「絶対嘘」
「なんで?」
「昨日、明日にでも作りすぎるって言ってたじゃん」
「結果的に作りすぎただけ」
「俺の分まで作ったでしょ」
目黒は。
少しだけ黙った。
「……まあ」
「やっぱり」
阿部は笑った。
「今日は何?」
「肉じゃが」
「やった」
目黒から保存容器を受け取る。
まだ温かい。
「ありがとう」
「うん」
目黒が部屋へ戻ろうとする。
阿部は。
一度自分の部屋のドアを開けて。
それから。
目黒を見る。
「めめ」
「ん?」
「もうご飯食べた?」
「まだ」
「じゃあ」
少しだけ迷う。
でも。
言ってしまう。
「一緒に食べる?」
目黒が目を瞬く。
「……いいの?」
「肉じゃがもらって一人で食べるのもなんか変だし」
「今まで一人で食べてたじゃん」
「今日は一緒に食べたい」
言ってから。
阿部は少し恥ずかしくなった。
目黒は。
嬉しそうに笑った。
「じゃあ、お邪魔します」
目黒が。
初めて阿部の部屋に入る。
「あ」
阿部が慌てて言う。
「まだちょっと散らかってるけど」
「全然」
目黒は部屋を見回した。
最初に会った頃より。
段ボールはかなり減っている。
本は棚に並び。
食器も戸棚に入っている。
「ちゃんと片付いてる」
「毎日ちょっとずつやったから」
「えらい」
「子ども扱いしないで」
「してないよ」
阿部は炊飯器からご飯をよそう。
目黒は。
勝手にキッチンへ入ろうとはせず。
テーブルの近くに立っていた。
「めめ、座ってていいよ」
「手伝わなくていい?」
「肉じゃが作ってきた人に手伝わせない」
「じゃあ甘える」
二人分。
ご飯。
肉じゃが。
冷蔵庫にあった漬物。
簡単な夕飯。
「いただきます」
向かい合って食べる。
阿部は。
肉じゃがを一口食べた。
「……おいしい」
「よかった」
「めめ、料理上手いよね」
「普通だよ」
「普通の人こんなに何回も作りすぎないけど」
「それと料理の腕は関係ないでしょ」
「ふふっ」
目黒も笑う。
一人で食べる時より。
ゆっくり食べている気がした。
「仕事どう?」
目黒が聞く。
「楽しいよ」
「もう慣れた?」
「結構」
「早いね」
「翔太がいないから慣れるしかない」
「今日もいなかった?」
「午後から来た」
「来たんだ」
「来て、コーヒー飲んで、館さんのプリン食べて帰った」
目黒が笑う。
「働いてないじゃん」
「そうなの」
「でも仲いいよね」
「うん」
阿部は。
自然に答えていた。
「翔太も。館さんも。ふっかも照も。康二も」
そこで。
少し止まる。
「……変なんだよね」
「何が?」
「まだ知り合ってそんなに経ってないのに」
阿部は箸を置く。
「昔から知ってるみたいに楽」
目黒は。
静かに阿部を見る。
「いいことじゃない?」
「うん」
阿部も笑う。
「俺もそう思う」
食べ終わったあと。
目黒が食器を持つ。
「洗うよ」
「いいって」
「ご飯作ってないから」
「肉じゃが作ってるじゃん」
「それは俺の家でやったことだから」
「どういう理屈?」
結局。
二人で並んで洗うことになった。
阿部が洗って。
目黒が拭く。
「なんか」
阿部が言う。
「うん?」
「こういうのいいね」
「こういうの?」
「誰かとご飯食べて。片付けして」
水を止める。
「普通のことなんだろうけど」
自分には。
その普通が分からない。
前の自分が。
誰かと暮らしていたのか。
毎日一人だったのか。
何も覚えていない。
「俺、前もこういうことしてたのかな」
目黒の手が。
ほんの少し止まった。
でも。
すぐにまた皿を拭く。
「してたかもしれないし」
「うん」
「してなかったかもしれない」
「何それ」
「分からないこと考えてもしょうがないから」
阿部は目黒を見る。
「めめはほんと過去気にしないね」
「今が大事だから」
迷わず答える。
阿部は。
少しだけ笑った。
「じゃあ」
「ん?」
「今の俺は?」
目黒が阿部を見る。
「ちゃんと生活できてる」
「それだけ?」
「仕事も始めた」
「うん」
「友達も増えた」
「うん」
「毎日笑ってる」
目黒は少し考えて。
「結構いい感じなんじゃない?」
阿部は笑った。
「そっか」
「うん」
それなら。
今は。
それでいいのかもしれない。
次の日。
ランチ営業中。
「ありがとうございました」
阿部は会計を終える。
客から受け取ったお金。
レジを見るより先に。
「1000円お預かりなので、お返し420円です」
自然に口から出た。
小銭を取る。
渡す。
「ありがとうございました」
客が帰る。
少し離れたところから。
渡辺が見ていた。
「……あべちゃん」
「何?」
「今レジ見た?」
「見たよ」
「計算する前にお釣り言ってなかった?」
「そう?」
「言ってた」
阿部は首を傾げる。
「暗算しただけ」
「早」
「これくらい普通じゃない?」
「俺はレジに出してもらう」
「翔太は考える気がないだけでしょ」
「それもある」
「認めるんだ」
渡辺が笑う。
そこへ。
宮舘が料理を持ってくる。
「阿部、五番お願い」
「はい」
皿を受け取る。
今日は。
鶏肉のトマト煮。
阿部が席へ運ぼうとした時。
入口のベルが鳴った。
カラン。
「いらっしゃいませ」
入ってきたのは。
観光客らしい二人組。
店内を見回しながら。
英語で何か話している。
渡辺が一瞬固まった。
阿部は。
二人を見る。
そして。
考えるより先に。
声をかけていた。
「Hello. How many people?」
(こんにちは。何名様ですか?)
二人が笑って。
「Two, please.」
(二人です)
と答える。
阿部は。
窓際の席を指した。
「Right this way, please.」
(こちらへどうぞ)
二人を席へ案内する。
メニューを渡しながら。
「Today’s lunch is chicken in tomato sauce, served with rice and a small salad.」
(本日のランチは、鶏肉のトマト煮で、ライスと小さなサラダがついています)
「We also have coffee, tea, and orange juice.」
(コーヒー、紅茶、オレンジジュースもございます)
二人はメニューを見ながら。
楽しそうに頷いた。
「Is the chicken spicy?」
(この鶏肉は辛いですか?)
阿部は。
少し考える。
けれど。
答えは自然に出てきた。
「No, it’s not spicy. It has a mild and slightly sweet flavor.」
(いいえ、辛くありません。まろやかで、少し甘みのある味です)
「That sounds good. We’ll have two lunch sets, please.」
(おいしそうですね。ランチセットを二つお願いします)
「Of course. Would you like something to drink?」
(かしこまりました。お飲み物はいかがなさいますか?)
「Coffee, please. One hot and one iced.」
(コーヒーをお願いします。ホットを一つと、アイスを一つ)
阿部は。
注文を確認する。
「One hot coffee and one iced coffee. Is that correct?」
(ホットコーヒーを一つ、アイスコーヒーを一つでよろしいですか?)
「Yes, that’s right.」
(はい、それでお願いします)
「Thank you. Your order will be ready shortly.」
(ありがとうございます。まもなくお持ちします)
阿部は。
二人に笑顔を向けて。
厨房へ戻った。
その間。
渡辺は。
ずっと固まったままだった。
「……何?」
阿部が聞く。
「英語喋れてるじゃん」
阿部が止まる。
「……あ」
今。
何も考えなかった。
言葉が。
勝手に出ていた。
「俺……喋れるみたい」
「みたいって何」
渡辺が笑う。
宮舘も。
厨房から阿部を見る。
「知らなかったの?」
「うん」
阿部は。
少し戸惑った。
英語を勉強した記憶なんて。
一つもない。
どこで覚えたのか。
誰に教わったのか。
全く分からない。
でも。
身体の中には。
残っている。
「変なの」
阿部は呟く。
「自分のことなのに知らなかった」
渡辺が。
少し笑う。
「じゃあ、また一個分かったじゃん」
「何が?」
「あべちゃん、英語喋れる」
「……そっか」
「あと計算早い」
宮舘も続ける。
「真面目」
「それ翔太が勝手に言ってるだけ」
「もうみんな思ってるよ」
「館さんまで?」
三人で笑う。
けれど。
阿部は少しだけ。
嬉しかった。
何もないと思っていた。
自分の中に。
まだ。
知らない自分が残っている。
その日の午後。
ランチが落ち着いて。
阿部はレジ横でメモを書いていた。
今日気づいたこと。
英語が話せる。
暗算が得意。
文字にすると。
少し変だった。
「何書いてんの?」
渡辺が横から覗く。
「自分のこと」
「日記?」
「みたいなもの」
「へえ」
阿部は。
少し考えてから。
その下に書き足した。
『仕事は楽しい。』
渡辺が読む。
「あべちゃん、ここ好き?」
「うん」
迷わず答える。
「好き」
宮舘の料理があって。
翔太が気まぐれにいて。
いない日もあって。
夜になれば。
照とふっかがいる。
康二も来る。
帰れば。
隣に目黒がいる。
以前の日記には。
一人で生きたいと書いてあった。
だから。
新しいノートには。
今の自分のことを書いておこうと思った。
過去の自分が残したものではなく。
今の自分が。
これから残すもの。
阿部はもう一つ。
書き足す。
『一人より、みんなといる方が好き。』
それを見て。
少しだけ笑った。
コメント
1件
第5話、読み終わりました! 阿部くんが目黒さんと一緒に夕飯を食べるようになって、自分の部屋に招くシーン、すごく自然で温かかったです。「作りすぎた」で始まった距離が、こんなに縮まるんだなあって。それに、英語が自然に出てきた場面はゾッとしましたね。記憶はなくても身体が覚えてる——喪失と発見が同時に訪れる感覚、すごく丁寧に描かれてて。 それと「一人より、みんないる方が好き」って自分で書けるようになったのが、なんか胸にきました。最初の頃は「一人で生きたい」って書いてたのに、ちゃんと変わってる。その成長が嬉しいです。みらさんの描く日常の積み重ね、好きだなあ。
#❤️💙
みら

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