テラーノベル
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新装開店、ようこそ。
目黒は心身ともに疲れ、打ちひしがれ、やけっぱちになって夜の街を徘徊していた。
夢と希望を抱いて入った会社では、書類入力と雑務だけが割り振られた仕事で。面接時に熱く語った経営戦略や営業努力とは掠りもしない、出勤から退勤までデスクに釘付けられる毎日。
新人なのだから当然なんだ、と自分に再三言い聞かせるも、三ヶ月を過ぎても一向に業務内容に変化なしと来ると焦りに苛立ちに不安にと、負の感情が心を苛むようになって来た。
伴い増える酒の量。近頃は心療内科にも通い出し、答えが貰えない相談という名の愚痴を吐き、気休めの処方薬を飲んで眠る。酒に薬に浸り、溺れ、底なし沼から抜け出せない日々。
もう、限界だった。
いっそ楽になってしまいたい。そればかりが頭を支配し、宛もなく知らない街を彷徨っていたのが冒頭。
だけど、せめて楽になる前に。
美味しい酒を飲もう…。
ちょうど斜め前方に、飲食店らしき明かりが見える。何故、店構えが飲み屋ではないのに惹かれたのか。自分でも分からないまま、誘蛾灯に吸い寄せられる蛾のように、目黒は心ここにあらずで木製の扉を開いた。
「お帰りなさいませ。ようこそいらっしゃいました」
真正面で出迎えたのは、着物と腰エプロンを身に纏った美貌の人。頭の天辺にフリルのカチューシャを着けているからてっきり女性だと思ったが、上背は180半ばの目黒と10センチ差あるかないか。
「失礼いたします。…お召し物に浮き草が付いておりますよ」
肩先に触れながら言うその声は、男性特有の低さで。けれど、向けてくる微笑みは女性と見紛うほど柔らかく、愛らしい。アンバランスな魅力を前に圧倒され、目黒は黙って立ち尽くす。
いや、男性とか女性とか、どうでもいい。
好きだ。
猪突猛進ではあったが、そう思った。
生きてきて初めて自分の単純さに呆れ、そして意外に情熱家なんだと知った。しかし悲しいかな、目黒にとっては初恋。スマートな口説き文句なんて出てくる筈もなく、給仕に従うままに席へ座る。
「当店はコース料理のみとなっております。前菜をお持ちいたしますので、少々お待ちください」
「あ、はい……」
コース…のみ?もしかしなくも高いんだろうな……ま、いいか。最後のご飯なんだし、幾ら掛かっても構いはしない。
一応コソコソ財布の中身を確認する。…渋沢さんが二人。うん、多分、大丈夫。安堵した目黒は、テーブルに置かれた水を一気に半分飲み干した。
…あれ。この水、いつから合った?座った時にはなかったよう…な。
首を傾げて不思議がっている間に、前菜の皿がやって来る。なんの変哲もない、シンプルなサラダ。「~の~でございます」とかいうありがちな説明を待ったが、目の前に佇む可憐な笑顔の人は意想外な事をのたまった。
「今だけは、日常を忘れてくださいな」
驚きで固まった目黒を置いて、さっと去って行く。その後ろ姿が見えなくなるまで眺めてから、フォークを手に取り一口頬張る。
鳩が豆鉄砲を食らったようだった顔が、一瞬で輝く。サラダでこんなに感動した事が嘗てあっただろうか、……絶対にない。
完食までものの数分。満足気な目黒の元へ新しい皿が置かれる。湯気と香気が立ち昇る、お次はスープ。空の皿を両手にした姿勢正しき人へ、鼻に指を当てて考え考え感想を紡ぐ。
「あ、の…もの凄く美味しかったです。凄ぇ、美味くて…~すみません、俺語彙力なくて。美味い以外に出て来ない」
目を丸くしてからふにゃあ…と微笑む姿は、まるで大輪の花みたいで。
「ありがとう、ございます」
耳触りのいいアルトに乗せて思い出しながら舐めるスープも、これまた絶品格別。これ、何の味なんだろう…知りたいのか、ただ話し掛けたいだけのか、曖昧な調子で魚料理を運んで来た麗しい人に問いてみる。
「スープも美味かったです。けど…ベースは何なんですか?」
「貴方様の心が欲しているものがベースになっております」
「俺の……心が?」
「はい。こちら…嫌なものがあったら残していいですよ。子供のように」
「…子供?」
「では、ごゆっくり」
勇気を出した語らいは、疑問だけ残して終わってしまった。でも、まだ次がある。今度はありったけの勇気を出そう。決心を固め美味なる魚を食す。ちょっと苦手かも、と思った付け合わせまで全てを。
やって来つつある皿の肉料理は、どうやらレア。食べたいと思っていた焼き具合に目黒の胸は踊り、勢い付いて軽くなった口を回す。
「魚もとっても美味しかった。お肉レアなのって、俺を見て、貴方が選んでくれた…とか?」
「えっ…はい、こちらで選ばせていただきました」
「…そんなに俺を見てくれたんだ。嬉しいな」
「恐れ…入ります。…付け合わせも召し上がられたんですね」
「うん。貴方が運んでくれてるもの、残したくなかったから」
「え、えっと…~無理はしないでくださいね、絶対ですよっ」
走って行く前にチラ見した顔は、確かに赤かった。あんな面もあるんだな…可愛いじゃん。ますます好きになっていく。
肉の塊にナイフとフォークを突き立てて貪り食らう、その顔は喜びと生気に満ち溢れ、目黒は当初訪れた理由を綺麗さっぱり忘れ去っていた。
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コメント
5件
目を丸くするって表現が💚ぴったりでさいこうです😍

うわ、めっちゃいい雰囲気の作品じゃん!第1話から引き込まれたわ。疲れ切った目黒がふらっと入った店で、美しい給仕人に出会って一目惚れするところ、めちゃくちゃ胸にくる。それに料理の描写がすごく丁寧で、食べてるうちに生き返っていく感じが伝わってきた。特に「日常を忘れてくださいな」ってセリフが刺さるなあ。続きが気になる!