テラーノベル
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朝、目を覚ますと、いつも隣にいるはずの君がいなかった。代わりに寝室まで漂う何かが焦げたような匂いとそこに混じる甘ったるい匂い。何となく予想できてしまうこの後の展開に頭を痛くしながら、ベッドから身を起こし、身体にまとわりつく重力を引きずって寝室のドアを開ける。リビングと隣合った間取りなので、その奥のキッチンまですぐに見通せる。君は俺の姿を認めると、花が咲き誇るみたいにぱぁっと笑顔を浮かべてみせる。
「おはよう!」
これだけならいつも通りの朝だ。このリビングいっぱいに漂う異臭を除けば、ね。
「おはよう、涼ちゃん。ねぇ?これ何のにおい?」
満開の笑顔にちょっときまり悪そうな影がさす。
「あー、えーっとね、今日元貴お休みでしょ?だから朝食ゆっくり食べれるなって思って、おしゃれですごいの用意しちゃおーって思って」
「それで?」
「……フレンチトースト、焦がしちゃった」
なるほどね、と合点が行く。それでこの甘ったるい匂い、か。それにしても「おしゃれですごいの」がフレンチトーストなあたり、涼ちゃんらしいというか、まぁそういうところがかわいらしいというか。
「……まず換気扇まわそっか」
焦げくささとこびりつくような甘いにおいに頭が痛くなりそうだ。ごめん、まわしわすれてた!と君は頭を抱えてから、慌てて換気扇のスイッチを入れる。その拍子に何かが当たって床に落ちたらしい。ガシャン、と金属音がした。たぶんボウルだね。わぁっ、と悲鳴をあげた君がこれ以上散らかさないようにするのは俺の役目なのだ。
「うん、でも意外と悪くないよ。おいしい」
焦げたフレンチトーストは見た目よりもひどくなくて、炭となった部分を何とか取り除けば見た目は悪いがちゃんとフレンチトーストだった。まぁあのフライパンはもう使い物にならないかもしれないけれど。
ちょっと苦いけどね、と付け加えると、君は恥ずかしそうに下を向いて笑った。
「本当はもっとおいしいんだよ。……それに、不格好だよ。もっと、こう……きれいにかっこよく盛り付けとかもがんばるつもりだったんだ」
胃の中に入れば一緒だよ、と言いかけてやめた。これはきっとフォローにはならない。そういう話ではないのだということも分かっている。
「じゃあ次楽しみにしてるね」
おそらくこれが正解。君は嬉しそうに微笑んで大きく頷いた。
「はちみつかけたら苦いのちょっとはマシになるかも。あっそうだ、盛り付けに使おうと思ってた冷凍フルーツあったんだ。いる?」
「はちみつはいいかな、充分甘いし。フルーツもらお、何あるの?」
「えーとね……」
ぱたぱたとキッチンの冷蔵庫を確認しに行く君。随分用意周到だな。一昨日冷凍庫からアイスを取り出した時はその類のものは入ってなかったから、昨日買い出しにでも行ったのだろう。
「ブルーベリーといちご!」
ヨーグルトにいれたら美味しいだろう。それを伝えると君は
「それだ〜天才!そうしよっ」
なんて嬉々として謎にピースサインを作ってみせる。ヨーグルトの用意をしてくれているその背中に
「そういえばさ、なんでフレンチトースト?」
と声をかける。
「……へ?なんでって……」
ちょっと戸惑ったように、君は一瞬手を止めてからまた目の前のヨーグルトとフルーツにその意識の大方を戻した。
「いや、特に意味は無いんだけどさ。涼ちゃん朝に甘いものって珍しいじゃない。だから、朝、おしゃれな朝食って考えたらサンドイッチとか、もっとしっかりしたものかなって思ったの」
あぁ、と納得したように君は小さく何度か頷く。
「うん、なんでだろう……なんでかなぁ、なんとなく、なんかすごくて、おしゃれだなってイメージだったの」
ふぅん、と俺は相槌を打ってから
「なんだ、もしかしたら実家だとフレンチトーストがそういう地位にあったのかなって思ってた」
日曜とか特別な休みの日の朝ごはん的な?と茶化すように笑うと、ヨーグルトを運んできてくれた君も同じように笑う。
「まさか!家でフレンチトーストなんて出たことないよ」
なぁんだ、そうなの、って俺は何気ない風を装いながら、少し苦いフレンチトーストをもうひと切れ口に運ぶ。「本当はもっとおいしい」フレンチトーストは誰が作ったものだったのか。誰が君の世界に、フレンチトーストを「おしゃれですごい朝食」たる地位を付与し、足跡を残していったのか。僕には知る由もない。
「……やっぱり次は俺が作ろうかな」
きょとん、と不思議そうに君は首を傾げる。その仕草はひどく愛らしくて、30過ぎの男に対して愛らしいだなんて我ながらやばいなぁなんて思うけれど、それでも君を好きなのだから仕方ない。きっと、君の記憶の中にあるフレンチトーストはとてもおいしくて、素晴らしい、唯一無二のものなのだろう。だって、思い出は美化されるものだから、永遠に。それでもいい。別にそんな思い出に勝とうとしているわけじゃない。勝ち負けでいうならその「素晴らしいもの」を俺に振舞ってくれようとした時点で俺はとっくに勝っているはずなのだ。
それでも、俺の作ったフレンチトーストを食べる時に少しだけ、君の世界の足跡をくっきりと浮かび上がらせるような誰かがいるみたいに。今後、君がフレンチトーストを食べる度にそいつだけじゃなくて俺も君の世界に存在できるようにしたい。そいつになんて独り占めさせてやらない、なんなら俺の存在でお前の影なんか薄めてやるさ。
本当は、君の世界に残る誰かさんの影なんて全部消してしまいたい。ふとした習慣、言葉、態度……そういうものに表れる足跡に俺はどうしようもなく嫉妬する。できることなら、全部全部消して、俺との思い出だけで君を再構成できたらなんて思ったりする。でも、上書きなんてできるはずないんだ、記録と違って記憶は消せないものだから。でも、削除はできなくても付加はいくらだってできる。
「とびきり美味しいの、作ってあげる。その次は涼ちゃんの番ね」
何度だって「おしゃれですごい」朝食をしよう。そのうち特別が日常になって、また別の特別が生まれて、そんな風に俺は君の世界における存在領域を広げていこう。
※※※
久々のオムニバス更新でしたが、フレンチトーストはスイーツというジャンルでいいのか?という疑問がありつつ……まぁ甘ければスイーツだよね!!
態度にはあまり出さずとも内心重ため元貴さんがなんだかんだ好きです
コメント
10件
過去の誰かとの記憶がかいまみえたときのもやもや感や嫉妬、それを表象するテーマスイーツがフレンチトーストなのがまたいいなぁ~ いろはさんのかく重めなもっくん大好物です!!
更新ありがとうございました💕 💛ちゃんの過去にまで嫉妬しちゃう ❤️君、重ためなの大好きです✨
頑張ってフレンチトースト作ってるのに失敗しちゃうのりょつらしくて可愛い🫶🫶愛重めな大森さんも激カワです🫶