大学の図書館は、
冬の午後の光に包まれていた。
西日が大きな窓から差し込み、
静かな空気を金色に染めている。
ページをめくる音や、
ペン先が紙をなぞる音すら、
どこか遠くで鳴っているような、
そんな静寂の中。
ケビンは窓際の席に座っていた。
左手には譜面、
右手にはシャーペン。
譜面の上を指がなぞるたびに、
彼の眉間にしわが寄る。
ショパンのノクターン。
手は覚えているのに、
心が追いついてこない。
音が、空っぽだった。
そのとき、
不意に斜め向かいの椅子が引かれる音がした。
ケビンは目を上げる。
そこにいたのは、タンクトップに
ウィンドブレーカーを羽織った、背の高い男。
汗のにじんだ髪、
首元にかけたタオル、
手にしたスポーツドリンク。
「ここ、空いてる?」
ケビンは驚きつつも、小さく頷いた。
男はにっこりと笑い、
ドカッと椅子に腰を下ろす。
彼の気配が、
あまりに生活感に満ちていて、
図書館の静けさと
不思議なコントラストを作っていた。
「バスケ部の史記。君、音楽学部?」
ケビンは少し戸惑って、
静かに「うん」とだけ答えた。
「さっき、音楽棟の前通ったら、
ピアノの音が聞こえてさ。
……なんか、止まったとき、
ちょっとさびしかった」
その言葉に、ケビンの手がピクリと動いた。
誰にも気づかれたことのない、
練習中の「空白」。
それに気づいた人間がいたことに、
驚きと、少しだけ、胸がふるえた。
「……君の音だったら、また聴いてみたいな」
史記は、あっけらかんとした調子で言った。
だけど、そこにはまっすぐな熱があった。
ケビンは返事をしなかった。
ただ譜面を閉じて、窓の外に目をやった。
銀杏の葉が風に舞っていた。
冷たい冬の光のなかで、どこか切なく、
でも静かに輝いていた。
心の中に、かすかな何かが落ちた。
音ではなく、余韻のようなものだった。
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