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「ほげぇえ……疲れた、リュシオル……水ぅうう……」
「はいはい……てか、貴方せっかく言葉遣いも作法もマナーも学んだのに台無しじゃない」
私は、屋敷の私室のベッドの上でぐったりとしていた。指一本、動かす力はない。
グランツとわかれた後、リュシオルや聖女殿の執事長に頼んで家庭教師を付けて貰うことにしたのだ。
確かに、システムによってある程度は見栄えのする動きやら作法マナーやらは出来るのだが、やはり自分の身に付けてこそなので、私は必死に貴族の文化を学ぶことにしたのだ。一般教養から、歴史まで。
初めは、真っ直ぐ歩く練習やら肉を切り分ける練習やらしたがこれがもう苦痛だった。
よく見る本を頭の上にのせて歩くなんて何度本を落としたことか。元から猫背だったために姿勢を伸ばして歩くのはそれはもう難しかった。
刺繍などにも教えて貰ったが何度も針で指を指し、糸を途中できり……初めのうちは見るに堪えないものだった。しかし、コツを掴めばこちらは簡単にできるようになった。細かい作業が好きだったこともあり、隙間時間を見つけては刺繍をしたものだ。
礼儀作法は、とにかく覚えることがたくさんあり、まずテーブルマナーから始まり、ダンス、立ち振る舞い、話し方などなど……そして、貴族同士の挨拶の仕方や言葉遣い。これは、慣れるしかなかった。だって、前世でもやったことがないのだから。
けれど、必ず身につけなければならなかった。何故なら――――
「今日も沢山手紙が届いてますよ~エトワール様」
「馬鹿にしてるでしょ、リュシオル」
最近やたらと送られてくる手紙。それはいつしか山となり部屋の机の上にこんもりと積まれていた。
聖女のお披露目会だったか何だったかのあの夜来ていた貴族達が、私を是非家に招待したのだとかなんとかで手紙を送ってくるのだ。貴族のご令嬢とのお茶会……それはそれで楽しそうなのだが、今の状態ではいきたくてもいけない。
もう少し、色々学ぶ必要があったのだ。
「……お茶会とか、面白そうだけど面倒くさい!だって、私人見知り!」
私はベッドの上で両手両足をばたつかせた。
前世からそうだったけど、私は極度の人見知りである。人を前にすると舌が回らなくなり、上手く話せなくなる。
そのため、友達と呼べる人は殆どいなかった。リュシオルをのぞいて。
まあ、私がわざと避けていたというのもあるけれど、やっぱり人と話すのは苦手だ。
そんな私が、いきなり貴族の集まりに行けるわけがない。なので、社交の場に出るにはもっと学ばなければならない。
それに、私も聖女という地位がある。
ただでさえ、伝説の聖女と特徴が違うだの、聖人らしい寛大な心がないだの言われたい放題なのに、これ以上評価を下げるわけにはいかない。
そう、気をはっていると毎日が辛かった。
「グランツに会いたい……」
「会いに行けばいいじゃない」
「でも、約束したもん」
ぽつりと自分の口から出たのは、あの亜麻色の何処を見ているか分からない空虚な翡翠の瞳を持つ騎士の名前。
ブライトに関しては、週に何日か会うこともあり魔法の特訓に付合って貰っている。侯爵の立場でありながら、時間を割いて会いに来てくれる彼には感謝しかない。
そのおかげもあり、ブライトの好感度は20にまで上がった。
「エトワール様って頑固ね」
「……私にだって、あるもん。約束したもん」
枕に顔を埋めてそう言うと、後ろからリュシオルの溜息が聞えた。
グランツとはあれから会っていない。
私は、彼に「守って貰えるに値する人間」になると宣言したからだ。だから、私の理想の「守って貰えるに値する人間」にはまだほど遠い。
魔法だってもっともっと使いこなせるようにならなきゃだし、礼儀作法マナーだって……
そうじゃなきゃ、グランツに会わせる顔がない。
彼がプハロス団長にみっちり稽古を付けて貰い朝から晩まで剣を振っていることは、使用人やおじいちゃん神官から聞いている。彼は彼のやるべきことを、私とは違う場所でやっているのだ。だから、私も負けられない。
「ふーん、そんなにグランツにご執心なんだ。ああいうタイプって、エトワール様のタイプじゃないと思ってた。だから、以外」
「ち、違うわよ!」
私はすぐさまリュシオルの言葉に反論した。
確かに、今頭の中の半分以上はグランツが占めているが、ブライトや他のことだって……それに……
「リース」
眩いほどの金髪に、ルビーの瞳の彼が一瞬にして私の頭を塗り変えた。
ここ数週間、リースと会っていない。
あんな別れ方をした後だったから、こちらから会いに行くことも、まして住む場所も遠くなっちゃったわけだし気軽に会いに行くことは出来ない。手紙やらなんやらをよこしてくるかと思ったが、そう言った様子もなくただただ時間が過ぎていくだけだった。それが、虚しくて寂しい。
もう、興味がなくなったんじゃないかとすら思っている。
(でも、別れてるわけだし……私は、もう彼女じゃないし関係無いんだろうけど……)
私は、そろりとベッドから起き上がり窓辺に立った。外には相変わらずの景色が広がっている。
いつも通り、庭師達がせっせと仕事をしている。庭には何本もオレンジの木が植えられており、その太陽のような丸い実を幾つもつけていた。そう、私がぼんやりと眺めているとトントンと部屋をノックする音が聞え私とリュシオルは顔を見合わせた。扉の向こうからは、メイドらしき声が聞える。
「はい、どうぞ」
と、私が言うと扉は開き小さなメイドが一礼し部屋の中に入ってきた。
「えっと、何の用で……」
そう聞くと、彼女は慌てたように一枚の手紙を差し出してきた。
私とリュシオルはその珍しい手紙をのぞき込む。黒い便せんに金色の装飾、チューリップと思しき封蝋が押された封筒。
黒い手紙なんて不吉だなあと思っていると、リュシオルもメイドも顔を見合わせ眉をひそめた。
「ねえ、これって誰からのなの?」
私がそう尋ねると、メイドはおどおどし始め口にするのも恐ろしいというように震え俯いてしまった。
その様子に、何かが可笑しいと私は黒い手紙を彼女から受け取った。
死神からの手紙なんだろうか……なんて、中二病じみたことを考えながら黒い手紙を開けようとするとリュシオルがすかさず口を挟んだ。
「それは、レイ公爵家からの手紙です。エトワール様」
「レイ……公爵家……レイ公爵家ッ!?」
リュシオルの言葉を反復すると、私は驚きのあまり思わず手紙を落としてしまう。
リュシオルはそれをすぐに拾い上げ、私が開けますね。と言って手紙を開封する。
彼女の手際の良さに感心する余裕もなく、私はレイ公爵家の名前……正しくは、あの紅蓮の髪の男の顔が頭の中を駆け巡っていた。
「そ、そそそ、それで、何て書いてあったの……?」
私が恐る恐る聞いてみると、リュシオルは真剣な顔で私を見た。
そして、ゆっくりと息を吐くと一言だけこう告げた。
―――アルベド・レイ公爵が、あなたに会いたがっている。