放課後、空には暗雲が立ち込めて電灯が照らす場所以外は薄暗くなり校舎浮き立たせていた。部活には入っていないものの、トラブルの仲介やご意見番として引っ張りだこの雨はサッカー部の部室のドアに手をかけた。
「あ、雨さん。今日はどうもお忙しいところを」
「いやいや監督さん。私より年上なんですからそんなに恐縮されても」
「それはできません。何しろ我がサッカー部のブレインなんですから」
ブレインって、私体の動かし方を最適化させたり適宜意識すべき点を指摘してただけなんだけど。雨は頭を下げる中年のやや腹回りのだらしない男へそう言った。かぶっていたつばの長い帽子を脱いでパイプ椅子から立ち上がり、雨の手を握りながらにかりと快活に笑う男は、サッカー部の外部顧問だった。
「おい、挨拶しろ。北田」
「えっと、今日はよろしくお願いします小野崎さん」
キャプテンの入れ替えで新しく部長に就任した北田は、緊張しながらも雨へ頭を下げた。他の体操服姿の部員たちもそれに倣って座ったまま一礼した。雨はこういうところが苦手だったりしたが、体育会系の部活はそうじてこんな感じなので、対応の改善など諦めている。
「よろしくねみんな。いつも言ってるけどそんなに堅苦しく接する必要ないからね」
「「「よろしくお願いします!」」」
「…はい…今日はシュートへのフォーム転換の時、体幹の変化について話すよー」
魔力による身体能力の向上で、あらゆるスポーツの競技性もカオスなほどに発展した現代では魔力の扱いに長けたものの講義には需要があった。雨は学生ながら給金も出してもらい、講師を務めている。
「これで今日は終わり、みんなも家で実践してみると良いよ。まあ、一番効果的なのは戦闘なんだけど。誰か警備員のパートしてくれる人はいないかなー」
「俺は無理」
「残念ながら!俺も無理だ。実戦とか怪我とか絶えないって聞くし」
「ははは、これは面白い冗談を。雨さん見事にすべて断られてますよ」
「分かってますよ。そうそう都合のいいパートタイマーになってくれる人とかいないか」
「雨さんそれは労働環境が悪すぎて誰もしたくないだけです」
監督の真面目なツッコミを受けて雨はしゅんとを顔をうつむかせて教室ほどの広さがある部室から出ていった。
「雨さん落ち込んでましたね」
「絆されるな、みんな過労死するぞ」
「あんなでも俺たちより何億倍も強いっていうんだからこの環境に感謝だな」
「千紗ちゃんの配信でもモーセ封殺してたよね。あれは殺意高かったわ」
「アニメより迫力あったもんな」
「そりゃリアルに戦略核級モンスターが現界するのは何としても防がないといけなかったんだろ」
もしあの場に雨がいなかったらと思うと背筋が震えた面々はさっさと帰る準備を始めた。
講義を終わらせた雨は校舎に残り、創作部の散らかった部室にいた。今日はシフトが入っていないので、それ以外の予定が他の人たちによって詰められた。
私仕事休みでも、休暇になってない。一つの机に向かい合って座る雨はため息をついて目の前の作業を続けるメガネをかけても美人な雰囲気が隠せてない女子生徒を見た。なんで今は眼鏡つけてるの八代さん。細縁の丸眼鏡との対比で小顔には見えるけど、私の前でやるそれ?
「…八代さん私帰っていいですか?」
「ダメです。雨さんが暇な時間って本当に珍しいので手伝ってください」
「私じゃないとダメなんですか布の裁断なんて」
「雨さん以外いないんですから仕方ないでしょ」
「私創作部に入ったの間違いだったかも」
物作り全般趣味でやってるけど、やっぱりその場で入部を決めるんじゃなかった。雨は華奢な体がカーディガンの上からでも一見できる八代からのヘルプに応えていた。狭い物置のような部屋に一つの机を共有し作業を続けて、黙々とした時間が過ぎていった。外の豪雨で雷が鳴った時、作業をひと段落する合図になったので一旦八代の服作りを中断した。
「…雨さんには、妹がいるんだって?」
「聞きたいことは察したからそんなに碇ゲン〇ウみたいに腕組んでこっちを見つめないでください」
「どんな子なの?気になる」
「好奇心を少しは隠したほうがいいですよ。元気なのはいいですけど」
「そんなことは今どうでもよくて」
無言で緊張感を高めていくポーズをとるから大事なことでも言われるのかと思ったら、晴のことか。紛らわしさで一気に脱力した雨は猫耳のついた幻覚の見える八代をジト目で見た。
「晴は一言で云ってしまえば、理知的な人です。幼い容姿に騙されがちですが、中学二年生の女子です」
「幼い?何かの病気?」
「魔力による身体の成長阻害。若返りの技術としても知られる物に類する現象です」
「それでちっさいままね。具体的には?」
「小学生五年生くらいですね。度々ロリコンの犯罪者に誘拐されそうになって私のお守りで半殺しにしてるって本人から聞いてます」
本当に役に立つ雨の木像、女性には頼もしいそれの効果を知っている八代からしたら狙われる晴がそんなにかわいいのか疑問が浮かんだ。
「雨さん、晴ちゃんってそんなに狙われやすいの?」
「まあ…そうですね。見た目確かに美少女で、学生服着たところはコスプレしてる小学生そのものなんです。だから興奮した人達に」
「ああ、うん。聞いてごめんね、私が悪かったよ。元気出して」
「本当ならお守りも必要ないくらいには強いですけど、本人が欲しがるものだから最近は腕がなまってるはずです」
はああ、と嘆息を隠せない雨に八代は苦笑して水筒を口にした。
「常に戦場の心構えを怠ってるから何時意識を刈り取られることやら」
「雨さん戦時中にでも生きてるの?過酷過ぎない」
「スキルが使用された犯罪が急激に増加してることは八代さんも知ってますよね」
「うん、テレビのコメンテーターとかよく言ってる奴だよね」
「実は性犯罪も増えてるんです。それで帰宅途中に呼び出されて現場に突入させられたりする事が出てきたので」
「…お疲れさま、それでお守りを配ってるの?」
「現場は散々でした。アフターケアとか精神系スキルを使用せざるを得なくなる事態は避けたいですから私にとっても都合がいいってところです」
雨が轟轟と降っては陰鬱に雨の心模様を顕著に表していた。一つ明かりの部屋ではしんみりとしていた。雨は見下ろした裁断ばさみを持ち上げて見つめる。八代は雨の冷たい雰囲気に飲まれて言葉を発せなかった。
「法整備が整ってない中、悪質な犯罪に私達警備員の対処はダンジョン庁の超法規的措置がとられます。司法で裁けない性犯罪者は一人残さず抹殺するので安心してください。と言ってもそれが抑止力にはなり切れてないんですけど」
「毎日本当にお疲れ様です」
「いいです。それに、可視化されてない部分にもそういうことはあったりしますから」
「えっと…」
「まあ、透視とか快楽を増幅させるスキルは、事件が起きても通報されることが少ないですから」
「お、御守りだったら」
八代さんがめっちゃ鬼気迫った顔になってる。それはそうか、自身の身にも降りかかるかも知れないのだから。雨はぬるくなった紙コップのコーヒーを飲み干して、かつんと机に置いた。
「お守りでも干渉系スキルは防ぐことはできるから安心してください。でも本当に確信が必要なら強くなるしかない」
「…ダンジョンね」
「汎用スキルを一つでも極めれば大きな武器になりますが、基本的に三つは上位スキルを目指したほうがいいです。それに加えて魔力による身体能力の向上は練度により天と地ほどの差が開くので、やっておいて損はないです」
「雨さんダンジョン警備員だもんね」
苦笑する八代に雨も倣うが、深く背もたれに上半身を沈み込ませるともう一度まじめな目で話し始めた。
「下層探索者レベルの人は、探索者全体でも1000人に一人の割合ですから犯罪者になる人は少ないです。代わりに捕まえるのが少し時間かかったりしますけど」
「だから対下層仕様なんだねこれ」
「捕まるのも通報から数時間ですけどね」
「…それって捕縛する側が被縛者より圧倒的に強くなきゃできないんじゃ」
「下層探索者全体でも次元の違いはあったりしますから。あ、これ内緒ですよ」
しーと指を立てて言う雨に八代は頬を赤らめてこくりと頷いた。八代さん目を合わせてくれなくなっちゃったけど、恥ずかしくはないと思ったんだけど、見苦しかったかな?
作業を終わらせた雨と八代は学校から出ると一つの大きな傘の中で、暮色蒼然《ぼしょくそうぜん》が所々街灯で明るくなった道を歩いていた。叢雲が陰雨を止ませる事無く降り続けて、道路は水たまりだらけになりカーライトを反射していた。
手製の傘持ってたから良いいけど、門使ったほうが利便には優れてるよね。なんか八代さんに反対されたから結局歩くことになったし。女子って時々こういう時間を欲するね、いや男もだけど。ぽたぽたと叩きつける雨粒は絶えることはなく、その度に少しだけ持ち手が揺れる。
「唐傘って江戸時代?」
「あった素材で作ったらこうなった。西洋風にするには粘度の高い金属が要求されたから面倒になってね」
「確かに、加工どころか原材料から揃えるとなると酷なことだったね。敬語はもういいの雨さん?」
「良い、私も話ずらかったし」
「…そっか、ありがとう」
「やめてよ感謝されることでもないのに」
晴は今日テストだったかあ。昼で帰ってきてるから雨に濡れてる心配もないか。雨がボーっと歩いていると、雨の手に八代の柔腕が何度も当たった。意図的なのかそうではないのか、間違いなく前者ではあるがそれ自体億劫だった雨は気にしなかった。
「むう、反応しないのね」
「意味ないから、そういうのは想い人にしてあげなさい。人を揶揄うんじゃないよ」
「からかってない…この分からず屋め」
「私《わたくし》雨さんに恋愛など死んでからで結構です」
「…雨さん一生独り身なの?」
意外だったのか腕の出ていない袖を口当てて目を見開いた八代さんは、そんな風な事を言った。正直好意を受け取って熟慮したいのはあるが、生きる時間も心構えも現代人とは違うのだから上手く行くはずもない。雨は淡々と接する事を辞めないが、それでも好かれるのには変わらない。
「そういう人間ってだけ、私が求めてるのは安寧。幸福な家庭を築くことでもお金を稼ぐことでもない。夢もなければ強い欲もない。ただ、晴と一緒に平和に過ごせれば十分。晴を侵す奴は抹消するけど」
「途中までよかったのに最後物騒だったよ!」
「実際に悪意のある人間が多すぎるから誘拐とか絶えない。そういう人間を身近にずっと見続ける生活をしてきたから分かる事もあるんだよ八代さん」
「雨さんの実力行使とか絶対慈悲ないじゃん」
「一瞬で意識がなくなるからそれが憐れみだよ」
街路道を歩く人は少なく、雨と八代の会話の異常性に気づく者はいなかった。雨と八代は住宅街に入ると彼女の案内で一軒家の前まで来た。将来的にはこれくらいの家をローン無しで買いたいよね。雨が家を見上げて学生の考えにしてはしみったれている事を独白していると、外開きドアから中学生ほどの女子が大きな目を覗かせた。
八代さん待っててと言ってたけど、妹さんかな。姉が男性のお客さんを連れてきたとなれば気にもなるか。雨は唐傘を傾けて浅くお辞儀した。今日は暇、しかしお呼ばれされる事の多い雨はスマホで今日は遅れるから先に夕飯食べててと晴にメールを送って八代の妹らしき人と見つめ合っていた。
「…こんばんわ。八代さんの妹さんかな?」
「え?はい」
しびれを切らした雨が一度声をかけてみるとその子はドアを開けた。紺のブレザーとスカート姿の少女には、確かに八代の面影があった。怪訝そうに雨を見る彼女に対して、学校ではさぞモテるんだろうなあ程にしか考えてない雨は微笑を浮かべたままだった。
「私は雨、雨さんって呼んでね」
「えっと皐月《さつき》って言います。…あの、雨さんってダンジョン下層の警備員をやってたり」
「千紗さんの視聴者さんか」
「そうです!あの配信見て雨さんのこと知りました!」
目を輝かせてその場で跳ぶのを繰り返す皐月さんは、何というか庇護欲を掻き立てられた。雨が目を細めて穏やかに笑っていると、だぼだぼのカーディガンにミニスカート姿の八代惠津《やしろ えつ》が皐月の後ろで彼女を苦笑しながら見下ろしていた。
「惠津ねえ、雨さんだよ!話聞いてたけどやっぱりおじいちゃんっぽい」
「こら!失礼でしょ。ごめんね、雨さん」
「いやいや、もうそんなキャラで定着してるから慣れたよ。でも惠津さんに似て元気だねえ皐月さん」
「はい!惠津ねえちょっと耳貸して…なんとなく言ってた意味が分かったよ」
「でしょ、雨さんいたら大体その場がほんわかするから居心地いいって。そして雨さんはこの会話を普通に聞いてるからね皐月。内緒話なら雨さんから離れないと意味ないから」
私は癒し、マスコットみたいなもの?でも顔も薄幸そうってよく言われるんだけど。ささと家の中に招き入れられると、広いリビングに通された。大きいソファ、大きいテレビ、オープンなキッチン、四脚の椅子とテーブル。掃除も行き届いてるし、家具の配置も考えられている。雨は小姑さながらの着眼点で椅子に座りながら部屋を見渡して感嘆した。
「雨さんその驚いた目は何なの?」
「…うん、ちょっと失礼なこと考えてただけだから気にしないで惠津さん」
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