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翌日、私たちは近くのダンジョンで軽く依頼を済ませた後、とある場所へと向かっていた。
「温泉、温泉」
「ご機嫌ね」
「こ、こんなユウヒちゃんを見るの初めてかも」
自分でもテンションが上がっているのが分かる。
だって温泉があるというのだ。
この街、首都プラティヌムには温泉があると聞いたのは昨日のことだった。
ゲオルギア連邦の中にはいくつか温泉が湧き出ている街があり、その街では一般市民も良心的な価格で温泉に入ることができるらしい。
ラモード王国の宮殿やミンネ聖教国で温かいシャワーを浴びることはできたし、バスタブだってあったのだが温泉というのは前の世界以来だ。
それに全員で一緒にお風呂に入るのだって初めてのことだ。
最近は専ら1人で入れるのに不安なノドカの身体を洗ってあげたりしていることが多いが、一般的な宿の水浴び場は全員で入るには狭すぎた。
裸の付き合いというものがある。みんなとの仲を深めるために必要なことだと思う。
そして遂に温泉へ辿り着いたのは良いが、そこからが中々大変だった。
「わぁ~、気持ちよさそう~」
「ちょっ、ノドカ。待って待って!」
脱衣所で非常に長いアンヤの髪とダンゴの髪を纏めていると、同じように髪を纏める必要があるノドカがフラフラと行ってしまいそうになったり。
「ひーちゃん、行かないの?」
「や、やや、やっぱり無理! し、し、シズと後で入るからっ!」
シズクに髪を纏めてもらって、いつでも温泉に入る準備が万端になっているヒバナがいざ服を脱ごうとしたときになって顔を真っ赤にしながら恥ずかしがっていたり。
「よーっし、ボク――うわっ!?」
「わっ、大丈夫ですか?」
ダンゴが足を滑らせて危うく転びそうになっていたりと様々なトラブルを乗り越えながら、なんとか全員で温泉に浸かることができた。
「あぁ……ほんと生き返るぅ……」
「たしかに……これは良いものですねぇ……ヒバナもそう思いませんか?」
この世界に来てからの疲れが全て洗い流されていく気がする。
コウカもお気に召してくれたようだった。
「どうして私に振るのよ……い、いいっ、み、みな、見ないで! そ、それ以上近付いてもこないでよねっ!」
「ひーちゃん……どうせお湯が濁っているから見えないし、恥ずかしがらなくても大丈夫だよ」
私たちの一番端に位置し、シズクを盾にすることで全員の視線から逃れようとするヒバナ。対して、シズクの方はヒバナほど恥ずかしがってはいない。
普段はシズクがヒバナを盾にしていることが多いが、このように立場が逆転する時もあるらしい。
「ぽかぽか~……ぬくぬく~……気持ちいい~……ですね~…………すぅ……」
「の、ノドカ姉様!? 寝ちゃだめだよ!」
そしてあまりの心地よさにお湯の中に沈んでいくノドカの肩をダンゴが慌てて揺すりはじめる。
――場が混沌としてきた。
みんなとは対照的に最初から変わらずにジッとしているのはアンヤだ。
アンヤは何をするでもなく、ただ水面を見つめながら温泉に浸かり続けている。
そんなアンヤに私は近付いていった。
「どうアンヤ。案外、悪くないでしょ?」
水面から目線を外したアンヤと視線が交差する。
だが彼女はすぐに視線を元に戻すとお湯を片手で少しだけ掬い上げた。
手から零れ落ちる水をアンヤはジッと見ている。
「…………理解、不能」
ほんの僅かにだが、彼女が目を細めた気がした。
「ねぇねぇ、主様」
いつの間にか、ダンゴが触れられる距離まで近付いて来ていた。
ノドカはもういいのだろうかと軽く目を向けると、ノドカの身体を支えるコウカが視界に映った。
――なるほど、ノドカのことはあの子に任せてきたらしい。
「どうしたの?」
「あのね、ボクいいこと思いついたんだ」
「いいこと? なになに?」
ダンゴはふふん、と鼻を鳴らすと胸を張った。
「毎日あったかいお風呂に入れる方法!」
「毎日……お風呂に……?」
なんだ、その魅力的なワードは……。もう水浴びでガッカリしなくてもいいというのか。
私は彼女に縋り付くと、その方法とやらを詳しく聞かせてもらった。
ダンゴが語ってくれた方法というのはこうだ。
まず、ダンゴが丁度いい大きさの浴槽を地魔法で用意する。次にシズクがその浴槽の中を水で満たす。最後にヒバナが溜まった水を丁度いい温度になるまで沸かす。
これで毎日お風呂に入れるというわけだ。
――いいかもしれない。
欠点としては、浴槽を出せるスペースを一般の水浴び場では用意できないため、屋外での入浴になること。
加えて、街中でお風呂を出すわけにはいかないので街の外に作らなければならないこと。
さらには、誰にも覗かれないために壁を作ることと見張りを交代して入る必要があるということか。
うん、それらを加味したとしても毎日お風呂に入れるという利点は大きいな。
「グッドアイデア! 採用!」
「やったぁ!」
思いのほか私のテンションは上がっていたらしい。
この日から、毎日屋外でお風呂に入る習慣が追加された。
魔法の扱いが比較的上手いスライムが集まったからこそできる業である。
――ありがとう、みんな。
◇
翌日。
もうこの街でやることがないとはいえ、このままこの街から出ていくのを勿体なく感じたために冒険者ギルドで何か依頼を受けることにした。
いつものように他のみんなを外に待たせた状態でコウカ1人を連れて冒険者ギルドの扉を潜ると、珍しい光景が目に入った。
1人の女の子が掲示板の周りに集めっている冒険者たちに声を駆け回っていたのだ。
「お願い! お母さんが死んじゃうの!」
「帰んな。そういうのは医者に頼め。どうしても冒険者に頼みたいのなら、正式な依頼として受理してもらうんだな」
悲痛な面持ちの少女を冒険者たちは素気無くあしらう。少女が俯き、自分の手をギュッと握りしめた。
彼らの言い分も理解できるが、今にも泣き出しそうな女の子を私は見ていられなかった。
「その話、お姉ちゃんに詳しく聞かせてもらえないかな?」
膝を曲げ、女の子と目線を合わせると女の子が驚いたように目を見開いた。
だが先に私に声を掛けてきたのはすぐ近くにいた冒険者だった。
「アンタ……スライムマスターか。やめときな、そいつは乞食だ。助けたところでたかられるだけだぞ」
「そんなことしないもん!」
女の子がキッと冒険者を睨みつけた。
私はそれを宥めつつ、冒険者に向けて愛想笑いを浮かべる。
「ありがとうございます。でも大丈夫です、私がやりたいだけですから」
この子は助けを求めていた。それに“お母さんが死んじゃう”という言葉がずっと頭に残っている。せめて何があったのか訳を知りたい。
冒険者の男は肩を竦めると、手をひらひらと振った。これ以上は口出しする気はないということだろう。
私とコウカは女の子を引き連れ、冒険者ギルドの外へと出る。
「早かったわ、ね……って誰よ、その子」
「この子、すごく困っているみたいだったから話を聞こうと思って」
冒険者ギルドの外で待っていたみんなは、私のその言葉と女の子を見るだけで何かを察したらしい。
それをありがたく思いつつ、女の子に改めて事情を聞くと女の子は矢継ぎ早に話し出した。
女の子の名前はリア。
この街を中心に活動する冒険者であった父親が半年前に死去し、今はこのプラティヌムの街に母親と2人で暮らしているらしい。
元々足の悪い彼女の母親には働き口もなく、家も追い出され、現在は路上などで通行人に物を恵んでもらいながら生活しているそうだ。
そんな彼女の母親が数日前、病気で寝込んでしまった。
だが体調は日に日に悪化してしまい、お金がなく医者に診てもらうこともできなければ薬を買うことさえできないリアは困り果ててしまった。
医者にも薬師にもあしらわれ、最後は通行人や冒険者に頼ってみてもダメだったらしい。
そこに私が来たということだ。
幸いにも、どうやらリアのお母さんはすぐに死んでしまうということはないらしい。
少しオーバーな表現をすることで誰かの気を惹こうとしたのだろう。現に私の気が惹かれることになったのだが。
そのことに対する怒りはない。リアが困っているのは本当のことだ。困っている人が居るなら助けてあげる、それは変わらないのだから。
それに今は大丈夫でも彼女のお母さんの体調が悪化しているのも事実だ。このまま放置しておくのは危険だろう。
そうして、私は彼女の母親を医療施設へと連れて行った。
母親はリアが私たちを連れてきたことに驚き、事情を聞くと首を振って医者に診てもらうことを拒否していたが、本当に苦しそうだったので強引に診てもらった。
医者はお金さえ払えばちゃんと診てくれるようで、適切な治療まで施してもらえた。
これで一安心だが、体調が戻るまでの間はリアの面倒を私たちで見ることにした。
毎日、母親の見舞いに行くリアに付き添い、私も彼女の母親と話をした。
見返りを求められることを恐れていたようだがそんなつもりはないことを何度も話したら納得したようで、今度は何度も繰り返しお礼を言われた。
そして、遂にリアの母親――デボラさんが退院する日がやってきた。
足の悪い彼女を支えながら歩き、街の広場にあるベンチで彼女と並んで座る。
私たちの視線の先には楽しそうに追いかけっこをしているリアとダンゴ、それに付き合うコウカたちの姿があった。
「本当にありがとうございました。治療費のこと、なんとお礼を言えばいいか……」
「あはは。それ、もう何度も聞きましたよ」
「それに……リアのことも。あの子が心の底から楽しそうに笑っているのを見るのは久しぶり。あの人が逝ってしまってから、あの子には辛い生活ばかりさせてしまったから……」
デボラさんが辛そうに目を伏せる。
――駄目だ、この人にこんな顔をさせてはいけない。
リアの想いも、デボラさんの想いもこんな風に曇らせていいものではないはずだ。
「違いますよ、デボラさん。リアにとって、あなたとの生活は辛いことばかりじゃなかったはずです。リア、この1週間の間に何度もあなたの話をするんです。本当にお母さんのことが好きなんだなって誰でも分かるくらい。旦那さんが亡くなってしまってからの生活は決して楽じゃなくて、辛いことのほうが多かったかもしれませんが、それでもあなたと一緒に過ごすことは辛いことではなかったはずなんです」
「ユウヒさん……」
「すみません、偉そうなことを言って。でも、あなたが悲しそうだとリアまで悲しんでしまうと思って……」
他者の関係に踏み込むのは難しい。こんなことを言っても、辛い生活だったのは事実だっただろうに。
でもリアがデボラさんのことを語るときはいつも嬉しそうであり、楽しそうでもあった。それは嘘などではなかったのだ。
「そうですか……リアはそんなことを……」
ゆっくり、そう呟いたデボラさんは薄く微笑んだ。
「ありがとう、ユウヒさん。私が本当に大切にしなければならないものに気付かせてくれて」
「えっと……」
「私、いつまでも意地を張ることはやめて実家を頼ることにします」
彼女の目には強い意志が宿っていた。
これ以上、彼女の事情を聞き出すようなことはしないが何がどうなってその決断をしたのかは気になる。
デボラさんが遊んでいたリアを呼び寄せると、ダンゴたちに連れられたリアが近寄ってきた。
そして彼女に実家に帰る旨を伝えると、リアはデボラさんを気遣うような目を向ける。それにデボラさんは苦笑しながら、愛娘を力いっぱい抱きしめていた。
これから、彼女たちはデボラさんの実家へと向かうらしい。
それならと私は護衛を申し出たが、きっぱりと断られてしまった。
「ユウヒさんは有名な冒険者だと耳にしたんです。きっとあなたは私たちが縛り付けていていい人じゃない。どうか、その手は他の人に差し伸べてあげてください。後は私たち家族でなんとかしてみます」
最後にまた何度もお礼を言われて。
母と娘の親子はゆっくりと去っていく。
私たちはその後姿をずっと眺めていた。
「ねぇ主様。リアたち大丈夫なのかな?」
この1週間ですっかり仲良くなった少女をダンゴは心配そうに見送っていた。
――どうなんだろうか。……いいや、違うな。
「きっと大丈夫だよ。だって家族なんだから」
リアとデボラさんも、彼女の実家の人たちだって。家族とはきっと希望に満ち溢れた関係なのだ。
だから、大丈夫。
「……ねぇ、前から思っていたことだけど……家族って何なの?」
「ほ、本には血縁で結ばれた繋がりとか共同体とか書いていたけど……そ、それだけじゃない気がする」
ヒバナとシズクがそんな疑問を口にする。
家族とは決して血族関係を表したものだけではない。どこか漠然とした言葉だけど、私にとっての家族は――。
「……一緒に居ると心が温かくなるような人たちだよ。そして、そんな人たちとの居場所。それぞれがお互いのことを想い合っていて、頼ったり頼られたりしながら信じ合い、助け合う。楽しいことや嬉しいこと、悲しいことや辛いことだって一緒に分け合って感じ合えるし、支え合える。そこでは脅かされる心配をする必要もなくて、心の全てを委ねることができる。意味なんかなくても、ずっと一緒に居たいと思える関係……そして温かい居場所――だと私は思ってるよ」
気付いたらずっと語ってしまっていたらしい。
間違いなく私の考えている家族という言葉を頭の中で纏めることができないまま、この子たちへとぶつけてしまった。
みんながどこか呆然としている。
何だか居たたまれなくなってきた。
「それが……家族……」
誰かがボソッと呟いた。
「家族……家族かぁ……」
「わぁ~、温かい場所は~好きです~」
家族という言葉でみんなが盛り上がり始める。
今度は私がどこか置いて行かれたような気持ちになっていた。
そんな私の腕にダンゴが、そして首にはノドカが抱き着いてくる。
「ねぇねぇ、主様! ボクたちも家族になれるのかな!?」
私の心臓がドクドクと波打つ。
駄目だ、上手く頭が回らなくなってきた。
「……うん、きっと。私もみんなとは家族になりたいと思っているんだ……」
不可能かどうかじゃない。
――だって、これこそが私の望む本当の関係だから。