テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
ニヤニヤ、ドキドキ、ハラハラと三人三様の八時間勤務が、終業のチャイムと共に終わった。
寿はオブザーバーで気楽なものだが、当の二人には気が遠くなるような時間だった。
瑠璃が更衣室の扉を開けると、プラスチックの青いベンチに寿が脚を組んで座っていた。
「遅い!」
「何がよ」
「ちょっとー早く見せなさいよ、ブ・ラ」
「え、そのいやらしい目付きやめてよ」
「今からそのいやらしい事しちゃうくせにぃ」
「し、しっ!」
瑠璃が制服のブラウスを脱ぐと、ベージュピンクに薔薇の刺繍が施されたブラジャーが白く小ぶりな胸を包んでいた。
「良いじゃーーーーん」
「そ、そう?」
「あんた言うほど太ってないわよ、堂々とばーーーんと見せちゃいな」
「そんなばーーーんとか、あり得ないでしょ」
「いやぁ、ついに、この日が! 感無量」
「なんで寿が感無量なのよ」
「で、何処に泊まるの?」
「内緒だって」
「マジかーーーー! 内緒って事はラブホじゃ無いわね」
「ら、ラブホテル!?」
「しっ、聞かれるわよ」
「う、うん」
「ホテル着いたらLINEしなさいよ」
「なんで」
「楽しみじゃん、いきなり部屋でむちゅーーーでバターーーンはないでしょ」
「そ、そうかな」
LINEの着信音。
寿がどれどれと覗き見る。
瑠璃が払い除けようとすると寿はその携帯電話を奪い取り、その目をオタマジャクシのように見開いた。
「瑠璃、23階よ!」
「23階?」
「ホテル日航金沢の23階だって、ささ、行きなされ! 2328号室にGO!」
「2328号室」
「いやぁ、いきなりベッドかぁ、お母さん参っちゃうなぁ」
「だから、いつあんたが私を産んだのよ」
黒い七部袖の膝丈ジャストウエストのワンピースの前ボタンを留めた瑠璃は、小さな旅行鞄を肩に担いだ。
ホテル日航金沢は金沢駅を西口から東口の出入り口へコンコースを突っ切り、朱色の鼓門を抜けた交差点の斜向かいに建っている。
会社からは少し距離はあるが、歩いて10分は掛からない。
逸る気持ちを落ち着かせるには丁度良い。
寿は「上書きよ!」と両肩をポンポンと叩いて瑠璃の背中を押した。
そして瑠璃は今、地上30階建てのホテル日航金沢を見上げている。
淡い煉瓦色のこのホテルは北陸随一の高層ホテル、平日にも関わらず宿泊客の多さを物語る部屋の灯りが眩しい。
昭和大通り沿いのエントランスから入館するのも気が引け、その隣の商業施設入り口からエレベーターを目指した。
凛としたホテルスタッフが深々とお辞儀をするものだから、瑠璃も思わず会釈をしてしまった。
(ええと、客室直通は……エスカレーターを登ってからか)
エスカレーターから見下ろす大理石のフロアには大きな壺に季節の花弁が揺れ、婚礼用のものなのだろうか、金色の手摺りが螺旋階段となって上階から続いている。
ふり仰げば雫のように落ちる金色のシャンデリアに目が眩んだ。
(いやぁ、緊張する。23階ね、23、と)
ここまで勢いで歩いて来たものの、気がつけば指先が震えていた。
脇が汗ばみ、心臓の音が跳ねて身体中を血が走り回った。
ポーン。
エレベーターを降りて左側に非常用ドアと縦に長い小窓があった。
階下には夕暮れの街が見下ろせ、遠くに医王山の山並みが見えた。
瑠璃はその景色を眺めると大きく息を吸って深く吐いた。
(よし!)
臙脂色のカーペットを踏み、布張りのベージュの壁を伝って歩くと、2328号室への矢印が鈍い金色を放っていた。
この先に黒木が瑠璃を心待ちにしている。
頰が紅潮し、耳元が激しく脈打った。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
174
109