「もう、大丈夫ですか?」
私のことをなかなかラキアスが離そうとしないので、そっと彼に尋ねた。
「大丈夫です。申し訳ございませんでした。もっと優しく抱きしめるべきでしたね。痛かったですよね」
微笑みながら私に言うラキアスは本当に綺麗な美少年だ。
世界で一番大事にされている男の子である彼は、曇りのない綺麗な瞳をしている。
次期皇帝と言われている美少年で、心優しい彼を好きになれないと感じるのは私の元の世界の記憶のせいだろう。
優しく美しい彼に愛され続ける永遠がないことを私は分かってしまっているのだ。
ラキアスは夫のように、金持ちを鼻にかけるわけでもない。
彼はマウントを取る必要のないくらい山の頂上にいると誰もが知っている。
このような男の初恋であるミランダは幸せな子だ。
私も夫と結婚する前の自分でこの世界に転生していたら、ラキアスを心の拠り所にしていただろう。
「痛くはなかったですよ。あなたが私を好きだと言ってくれるのは嬉しいです。でも、その気持ちは続くでしょうか」
「ミランダは他に気になる方でもできたのですか? あれだけ僕を好きだと言ってくれたのに、今は僕から離れたそうにしています」
私の言葉に悲しそうに返してくる彼の意見はもっともだ。
ミランダは私が憑依するまで、彼の心を掴もうと必死になっていたらしいのだから。
♢♢♢
「ラキアス皇子殿下、お願いがあります。エスパルの民を助けてください」
突然、私とラキアスのところに走ってきて彼の前に跪いたのは先週ミラ国の要職に雇ったエスパルの平民出身であるリリアンだ。
エスパルは独裁国家で他国から危険視されていて、他国との交流もない。
でも、ラキアスは世界一有名な子だ。
その髪色と瞳の色だけで皆に名前が知られている。
帝国の待ち侘びた皇后の息子であり、皇帝陛下の銀髪と紫色の瞳を受け継いでいる。
同じく紫色の瞳を継いだ第5皇子は皇后様の髪色を継いで茶髪らしい。
この世界には、DNA鑑定がない。
だから、父親にそっくりな方が確実に自分の子だと思われて大切にされるらしい。
ラキアスはそれゆえに次期皇帝と呼ばれ、誰よりも大事にされている。
リリアンはミラ国が他国出身の人間も厳しい試験を合格すれば移民として受け入れ、政府の要職にもつけるという情報を得てエスパルより亡命してきたのだ。
亡命してきた彼女が私やミラ国の人間に助けを求めたことはない。
ミラ国ではエスパルに勝てないことを分かっているのだろう。
彼女は短時間でミラ国の法を覚え、事務処理能力も素晴らしかったので採用した。
この移民の受け入れ方法は、世界一裕福と言われるサム国をモデルにしたものだった。
私はサム国が発展しているのは一夫一妻制によるものだと思っていた。
しかし、サム国が優秀な女性を集められていた本当の秘密は、一夫一妻制ではなく男女が平等に競争の場にいられるという点だと気がついた。
ミラ国に集まった女性が口にしたのは、一人の男から愛されたいということではなく、自分の力を試したいということだったのだ。
ラキアスの護衛たちが剣をリリアンの首に突き立てる。
彼は帝国の皇子なのだから、警戒を強めるのは当然なのかもしれない。
「自分だけ危険な国から逃げてきたのですか?」
私は冷めたような声を出したラキアスに驚いて思わず彼を凝視してしまった。
やはり、彼は帝国の皇子だ。
優しくて温和なだけではなくて、威圧感がある。
リリアンは確かに夫と子供を国に置いて国から逃げていた。
彼女の話によるとエスパルの平民は男女関係なく徴兵され人権がないらしい。
その一言にリリアンが震えて言葉を失っている。
おそらく、自分の子を危険な国に置いてきたことを一番心配しているのは彼女だ。
「下がってください。あなたとお話しすることはありません」
ラキアスが手で合図を送ると護衛騎士たちは彼女の首に突き立てていた剣をおさめた。
彼女は震えながら何も言わないままお辞儀をして去っていった。
「ラキアス、あなたの権力があればエスパルの民を助けられるのではないですか?」
私は自分の子供と離れてしまっているリリアンに特別な感情を抱いていた。
ラキアスには自分の子を置いてきた彼女の気持ちなんて分からないだろう。
私は今でも風邪薬を用法要量を超えて飲んで死んでしまっている可能性を考えて後悔をしている。
たとえ、ミライが私を嫌いでも私は彼の側にいたかった。
「エスパルの民を受け入れるのは辞めた方が良いですよ。国王に神の血が流れているなどと根拠のないことを信じている危ない国民です。幼い頃から自分たちは選ばれた民だと洗脳されています」
リリアンが国から逃げてきたのは洗脳をされていないからだ。
水色の髪に水色の瞳をした単一民族であるエスパルの民はどこにいても出身がバレてしまう。
だから、ミラ国に亡命してからも常に彼女は周りからエスパルの民だと陰口を言われていた。
ラキアスが彼女を自分だけ逃げたと責めた時、私は自分も責めらている気になった。
私も自分を拒絶するようなことを言ったミライと向き合わず逃げてしまったからだ。
「それは紫色の瞳が皇族の血が濃いという根拠のないことを信じている帝国民と何が違うのですか? 根拠のないことを信じているのは帝国民も同じですよね」
紫色の瞳も帝国の皇族にしか現れないと言われる色らしい。
だから、ラキアスもどのように変装しても身元がバレてしまう。
そして、私は今おそらく帝国で最も尊重される紫色の瞳を持った皇子に絶対に言ってはいけないことを言った。