テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
のりもちさん
25,463
夜の後宮には、昼間とは違う顔がある。
灯籠の明かりが長い廊下を淡く照らし、風が吹けば、庭の木々がかすかに揺れる。
人の気配は少ない。
だからこそ…妖が現れるには、ちょうどいい。
「……またか」
代々陰陽師である大森家の末子、大森元貴は屋根の上に立っていた。
遠くの闇を睨む。
そこには、人の目では見えない何かがいた。
低い唸り声。
濁った妖気。
「大したことないな」
元貴は懐から札を取り出す。
それを指先で軽く弾いた。
札が夜風に乗って飛ぶ。
次の瞬間、闇の中から黒い影が飛び出した。
「――!」
元貴は一歩だけ横へ避ける。
影が屋根瓦を蹴った。
そのまま振り返るより早く、先ほどの札が妖の身体へ貼りつく。
「終わり」
淡々と呟く。
白い光が走った。
妖の姿が霧のように崩れていく。
やがて、何事もなかったかのように夜が戻った。
「……最近、少し多いな」
元貴は周囲を見回す。
ここ最近、妖の出現が妙に増えている。
しかも、以前より少しだけ強い。
まだ問題になるほどではない。
けれど――。
「……嫌な感じ」
そう呟いた、そのときだった。
「わぁ」
頭上から声がした。
「……え?」
元貴が顔を上げる。
屋根のさらに上。
月明かりを背にして、空に一人の男が立っていた。
金色の髪。
淡い色の衣。
そして――金色の瞳。
男は元貴と目が合うと、にこっと笑った。
「こんばんは」
「…………」
元貴は無言で見上げる。
男は何を思ったのか、僕の目の前まで歩いてきた。
もちろん空に浮きながら。
「そこ、危ないよ」
「貴方が言います?」
「俺?」
「空に立ってる人に言われても説得力がないでしょう」
「あはは」
男は楽しそうに笑った。
そして。
ひょい、と空で一回転をしてから屋根に降りてきた。
「――!」
元貴が反射的に身構える。
しかし男は、まるで階段を一段降りるような軽さで着地した。
音すらほとんどしない。
「……」
元貴は男を見る。
男はそんな元貴をじっと見返していた。
近い。
すごく近い。
一歩、 また一歩とこちらに近づいてくる。
元貴はおもわず後ずさりをした。
「……何ですか」
「ん?」
「近いです」
「そう?」
「そうです」
男は元貴の顔を覗き込む。
金色の瞳が、真正面から元貴の瞳を見つめている。
「へぇ」
「……何ですか」
「綺麗な目だね」
「……は?」
「赤い」
「見れば分かるでしょう」
「うん。見れば分かる」
男はあはっと軽く 笑った。
元貴は思った。
――何だ、この人。
距離感がおかしい。
初対面なのに、どうしてこんなに人の目を見るのだろう。
それに。
近くで見ると、やけに整った顔をしている。
男、と言うにはどこか柔らかい。
声を聞かなければ女性だと思っていただろう。
そして珍しい金色の眼。
今まで色んな人の眼を見てきたけど、金色は初めて見た。
年齢も分からない。
自分とそう離れていないようにも見えるし、ずっと年上にも見える。
「……何歳なんだろ」
「ん?」
「いえ」
元貴は小さく咳払いした。
「こんなところで何をしてるんです?」
「仕事」
「仕事?」
「うん」
「薬師なんだ」
「……薬師」
「そう」
「こんな夜に?」
「呼ばれたから」
「誰に?」
「後宮の人」
元貴は少し眉を寄せる。
後宮から薬師が呼ばれること自体は珍しくない。
だが、この男。
どうにも掴みどころがない。
「君、名前は?」
男が尋ねた。
「僕ですか?」
「うん」
「大森元貴」
「ああ」
男の顔が少し明るくなる。
「大森家の?」
「……そうです」
「やっぱり!赤眼だから…」
「何か?」
「ううん。なんもない」
男は笑った。
「じゃあ、元貴くんだ」
「……初対面ですよね?」
「そうだねぇ」
「どうしてそんなに馴れ馴れしいんですか」
「嫌だった?」
「……別に」
「よかった」
あっさり笑う。
元貴はため息をついた。
――やっぱり変な人だ。
そのとき。
男の視線が、元貴の左手首へ落ちた。
元貴の左手首には古びているにもかかわらずきれいな包帯が巻かれている。
一瞬だけ。
本当に一瞬だけだった。
だが、その視線に元貴は気づいた。
「……何です?」
「ん?」
「今、僕の手を見ましたよね」
「あれ?見てた?」
「見てました」
男は元貴の左手首を見ながら、少しだけ笑った。
「その包帯、ずっとしてるの?」
「……昔から」
「そっか」
「何か変ですか?」
「ううん」
男はそれ以上聞かなかった。
ただ、
「大事にしてね」
とだけ言った。
「……?」
意味が分からない。
けれど元貴が問い返すより早く、男は踵を返した。
「じゃ、俺もう行くね」
「待ってください」
「ん?」
「名前」
「あ」
男が振り返る。
「そういえば言ってなかったね」
そして、柔らかく笑った。
「藤澤涼架」
「藤澤……」
「うん」
「薬師、ですか」
「薬師兼、楽師」
「楽師?」
「笛吹くんだ」
そう言って、涼架は懐から横笛を少しだけ覗かせた。
「……変な人」
「それ、さっきから思ってるでしょ」
「思ってます」
「正直だなぁ」
涼架は笑った。
そのまま歩き出す。
「じゃあね、元貴くん」
「……はい」
元貴はその背中を見送った。
数歩進んだところで、涼架が振り返る。
「元貴くん」
「何です?」
「夜は気をつけてね」
「あなたも」
「俺?」
「薬師なんでしょう」
「うん」
「なら、妖に襲われないように」
涼架は一瞬だけ目を丸くした。
それから。
「……ふふ」
楽しそうに笑った。
「ありがと」
その笑顔が妙に印象に残った。
元貴はその場に立ったまま、涼架の姿が暗い路地へ消えていくのを見ていた。
「……何なんだ、あの人」
ただの薬師。
そう言っていた。
だが。
屋根に降りてきたときの身のこなし。
そして空に浮いていたこと。
妖艶に笑うあの顔。
そして――。
左手首を見た、あの一瞬の目。
「……気になる」
元貴は包帯の巻かれた左手首を見つめた。
胸の奥で、何かが小さく揺れた気がする。
けれど、それが何なのかは分からない。
ただ。
遠ざかっていく涼架の背中を見ていると、不思議と懐かしい感覚がした。
でもそんなはずはない。
初対面なのだから。
元貴はそう思い直し、屋根から降りた。
――このときの元貴は、まだ知らない。
あの薬師が。
自分の人生に、そしてこの世界そのものに関わる存在だということを。
ただ今は。
「……変な人だったな」
そう呟くだけだった。
夜の町に、風が吹く。
遠くで。
かすかな笛の音が聞こえた。
元貴は足を止める。
「……笛?」
けれど。
次の瞬間には、もう音は消えていた。
元貴は首を傾げる。
「……気のせいか」
そうして、夜の後宮へ戻っていった。
まだ何も知らないまま。
別の場所。
街のどこかのの屋根の上で。
涼架は一人、夜空を見上げていた。
「……ついに会いに行っちゃったなぁ」
その声は、先ほどまでのふわふわしたものと変わらない。
けれど、その瞳の奥には。
ほんの一瞬だけ、何かを懐かしむような光が宿っていた。
「大きくなったなぁ」
涼架は小さく笑う。
そして。
「……まあ、まだいいか」
あくびを一つ。
「今日はもう帰ろ」
月の光の下。
金色の髪が風に揺れた。
その姿は、ただの薬師には見えなかった。
コメント
1件
うわあ、第1話からすごく雰囲気のある世界観…!陰陽師の元貴くんと、空に浮かぶ金髪の薬師・涼架さん、出会いのシーンがもうドキドキする。初対面なのに距離感がおかしくて、でもどこか懐かしい感じがするっていうのがたまらない。左手首の包帯も気になる…涼架さんの「大事にしてね」が心に残った。続き、絶対読みたいです🥀