テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
のりもちさん
25,463
朝の後宮は、夜とはまるで違っていた。
長い廊下を女官たちが行き交い、庭では水を撒く音がする。
昨夜、妖が現れたことなど嘘だったかのように、いつも通りの朝だった。
元貴も、いつも通り仕事をしていた。
でも、いつもと違うところが一つ。
頭の片隅に、昨夜出会った男が残っている。
「……藤澤涼架」
小さく名前を呟く。
薬師であり、 楽師。
そして、距離感のおかしい男。
「……何だったんだ、あの人」
昨夜のことを思い出す。
空に浮いている姿。
自分の目を、あまりにも真っ直ぐ見つめてきた金色の瞳。
そして。
左手首の包帯を見たときのほんの一瞬の表情。
「……」
元貴は無意識に左手首を押さえた。
包帯は今日も綺麗なままだ。
昔から使っているものなのに、ほとんど傷んでいない。
これについては、元貴自身にも不思議なところがあった。
ただ――。
『大事にしてね』
昨夜の涼架の声が蘇る。
「……何だったんだろ」
そのとき。
「元貴様!」
廊下の向こうから女官が駆けてきた。
「どうしました?」
「急ぎの用件です!」
「妖ですか?」
「いえ。病人が……」
元貴は眉を寄せた。
「どんな?」
「女官の一人が、昨夜から急に高熱を出していて……医官の方々も診ているのですが」
「原因が分からない?」
「はい」
元貴は少し考えた。
「案内してください」
⸻
女官の部屋へ入った瞬間、 薬草の匂いが鼻についた。
寝台には一人の女官が横たわっている。
顔は赤く、呼吸も苦しそうだ。
「……これは」
元貴は患者の手首に触れた。
熱い。
だが、それだけではない。
「妖気が混じってる」
付き添っていた女官が青ざめる。
「やはり……!」
「落ち着いてください」
元貴は患者の腕を見る。
皮膚の下に、薄く黒い筋が浮かんでいた。
「昨夜の妖に直接触れられたわけじゃない」
「では……?」
「残った妖気でしょう」
元貴が札を取り出した。
そのとき。
「――待って。元貴くんの術じゃ強すぎて患者の身体が耐えられないよ」
背後から声がした。
元貴が振り返る。
「……貴方」
戸口に立っていたのは 昨夜の男。
「おはよぉ」
藤澤涼架だった。
昨日と同じような柔らかな笑顔。
ただ今日は、腰に小さな薬箱を下げている。
「藤澤殿!」
医官が驚く。
「どうしてここに?」
「呼ばれたから」
「いつです?」
「さっき」
「……」
相変わらず、説明がざっくりしている。
元貴は呆れながら涼架を見る。
「貴方、本当に薬師だったんですね」
「昨日言ったじゃん」
「半分くらい信じてませんでした」
「相変わらずひどいなぁ」
涼架は笑いながら、寝台へ近づいた。
「ちょっと見せてね」
患者の手首に指を添える。
涼架の表情から、笑みが消えた。
「……うん」
「どうです?」
医官が尋ねる。
「この子、妖気に身体を食われかけてる」
「元貴くん、大正解」
元貴の目が細くなった。
「分かるんですか?」
「うん」
「どうして?」
「薬師だから」
「……それだけで?」
「それだけ」
涼架はにこっと笑う。
元貴はますます怪しく思った。
涼架は薬箱を開いた。
中には乾燥させた薬草の入った小瓶が何種類も入っている。
その中から、いくつかを取り出した。
「これと、これ」
医官へ渡す。
「煎じて」
「これは、なんという……」
「いいから。俺の持ってきた薬草で見たことあるやつなんかほとんどないでしょ」
涼架は薬草を見る。
「妖気が身体の中に残ってるから、普通のやつよりもこっちの方がいい」
元貴は薬草を覗き込む。
「……本当に見たことがない」
「山の奥にあるからねぇ」
「それで妖気を?」
「少し整えるだけ」
「そんな薬草が……」
元貴はそこで言葉を止めた。
涼架が、患者の胸元へ手をかざしている。
「……?」
何をしているんだろう。
元貴は目を凝らした。
涼架の指先。
そこに ごく薄い光が集まったように見えた。
次の瞬間。
患者の呼吸が、穏やかになった。
「……!」
元貴は思わず一歩近づく。
「今の……」
「ん?」
涼架が振り返る。
「術ですか?」
元貴の言葉に、 涼架は一瞬だけ目を丸くした。
それから、いつもの笑顔になる。
「ほら」
自分の瞳を指差す。
「この目、見てよ」
「……?」
「色つきでしょ?」
「金色ですね」
「うん」
涼架は笑う。
「こういう目してるんだから、ちょっとくらい術使えてもおかしくないでしょ?」
「……それは」
理屈としては分からなくもない。
能力者は、瞳に特徴が現れる。
この世界にはそんな人が一定数いる。
だから術を使えること自体は、珍しいことではない。
だが――。
医療の道に進む人は、基本的にその道一本でやっていく。
なぜなら覚えなきゃいけないこと、勉強しなければいけないことが多すぎるからだ。
時間をかけてようやくなれるもの。
とくに薬師なんかは四十を越えた人がなっていることが多い。
薬草は毎年種類が増える。
それを覚えるだけで精一杯なのだ。
薬草の名前、効能、使い方などそれらをすべて知っている人なんて見たことがない。
だけどコイツは知っていそうな気がする。
とにかく、多方面に対する知識が豊富すぎる。
まるで永い時を生きてきたかのような…
「……貴方、多才ですね」
「そう?」
「そうです」
涼架は満足そうに笑った。
「じゃあ問題解決」
「何のですか」
「俺が変な人じゃないってこと」
「そこは解決してません」
「あれぇ?」
涼架が首を傾げる。
元貴は思わずため息をついた。
「……本当に変な人」
「昨日も言われたなぁ」
そう言いながら、涼架は楽しそうだった。
⸻
しばらくして。
煎じた薬を飲ませると、患者の呼吸がかなり落ち着いていった。
顔色も戻った。
「……熱が下がってきています」
医官が驚いた声を上げる。
「よかったぁ」
涼架は嬉しそうに笑った。
そして。
「じゃ、俺もう行くね」
「待ってください」
元貴が呼び止める。
「ん?」
「どうして珍しい薬草に加え、術まで使って治療を?」
涼架は少し考えた。
「困ってたから?」
「……それだけ?」
「うん」
あまりにもあっさりしていた。
「人が困っていたら、助けるでしょう?」
元貴は少し黙った。
その言葉が、妙に印象に残った。
「……そういうものですかね」
「そういうものだよ」
涼架は笑った。
そして元貴の隣を通り過ぎる。
そのとき。
「元貴くん」
「何です?」
「能力、抑える練習したほうがいいよ」
元貴が振り返る。
「今のままだと、一般の人みんな怖がらせちゃう」
涼架は元貴の顔を見る。
「ただでさえ無愛想な顔してんのに」
「……」
余計なお世話だ。
そう言おうとした。
けれど。
「……よく見てますね」
「目立つから」
「そうですか?」
「うん」
涼架はにこっと笑った。
そして――。
「まっ、俺には関係ないけどねぇ」
「……?」
一拍置いて。
「どんな顔の元貴くんも大好きだよっ」
「……は?」
涼架は妖艶な笑顔を浮かべ、そのまま歩き出す。
「ちょっ……!」
元貴の顔が、じわっと熱くなった。
何なんだ、この人。
どうして突然そんなことを言うんだ。
「……!」
涼架が振り返る。
「あっ!」
「……何です?」
「あとさ」
涼架は楽しそうに笑った。
「『貴方』って呼び方、なんか遠い感じがするから変えてね!」
「……じゃあ?」
「せめて涼架さんとか!」
「……分かりました」
「よし!」
涼架は満足そうに頷く。
「じゃあねっ!」
そう言って、今度こそ去っていった。
元貴はその背中を見つめる。
まただ。
どうして、この人は自分のことを気にするのだろう。
それに最後の言葉。
思い出すだけで、また顔が熱くなる。
「……本当に、分からない人だ」
けれど 不思議と、嫌な感じはしなかった。
⸻
後宮の外で、 涼架は一人で歩いていた。
「……涼ちゃーん!」
後ろから声がする。
「ん?」
振り返ると、 茶色の髪に 青い瞳の 背の高い青年がこちらへ駆けて来ていた。
「やっと見つけた!」
「滉斗」
涼架が笑った。
「どうしたの?」
「どうしたのじゃないよ。勝手にどっか行くなって」
「薬師の仕事だよ」
「だったら俺も呼んでくれよ」
「だからぁ護衛いらないって」
「俺がしたいの」
「……物好きだねぇ」
「好きだよ。涼ちゃんが」
滉斗は即答した。
涼架は少し赤面する。
「どこで育て方間違えたっけなぁ」
「どこでも間違えてないよっ」
「帰ろっ涼ちゃん」
「うん」
二人は並んで歩き始める。
「今日、後宮だったの?」
「うん」
「怪我してない?」
「してない」
「妖は?」
「いなかったよ」
「本当に?」
「本当」
滉斗は涼架をじっと見る。
「……涼ちゃん」
「ん?」
「また無茶してない?」
「してないって」
「ならいいけど」
涼架は笑った。
そのまま歩きながら、滉斗の肩に頭を乗せる。
「疲れたぁ。ちょっとおんぶしてってよ」
「自分で歩いてよ」
「歩いてるよぉ」
「寄りかかるなって」
「いいじゃん」
「俺も疲れてるの」
「嘘だぁ」
「ほんと」
言いながらも、滉斗は涼架を振り払わない。
むしろ歩きやすいように少しだけ速度を落とした。
「……滉斗」
「何?」
「ありがと」
「何が?」
「なんとなく」
「はいはい」
二人の声が、町の中へ溶けていく。
⸻
その頃。
後宮の廊下を 元貴は一人で歩いていた。
ふと、左手首を見るといつもの 白い包帯。
それを見ると少し安心する気がする。
まだ涼架の言葉が頭に残っている。
『どんな顔の元貴くんも大好きだよっ』
「……何なんだ、ほんとに」
妖艶な顔をした涼架を思い出しながら赤面する。
そして。
なぜかもう一人。
後宮の門付近で、涼架と一緒にいた青年の姿も浮かんだ。
茶色の髪に 青い瞳。
彼もおそらく能力者だろう。
そんないかにも好青年という感じの人。
そして何より――。
涼架に対する、あまりにも自然な距離感。
それを見ていると、なぜか妙に懐かしい。
元貴は、近くにいた女官へ尋ねた。
「さっき涼架さんと一緒にいた人、名前は?」
「若井滉斗様です。放浪者だとか……」
「若井、滉斗……」
名前を口の中で転がす。
知らない名前。
知らないはずなのに。
「……変なの」
元貴は小さく呟いた。
その瞬間。
廊下の向こうから、かすかな風が吹いた。
元貴は顔を上げる。
――笛。
遠くから、ほんの一瞬だけ。
聞き覚えのある音がした気がした。
「……また?」
今度は、その音がどこから聞こえているのか分からなかった。
元貴はしばらく立ち尽くしたあと、小さく息を吐く。
「……変な人たち」
そう呟いて、また歩き出した。
まだ… この二人が、自分の過去と繋がいることなど 何も知らないまま。
コメント
1件
第2話、読み終えました。涼架さん、ますます掴みどころがないですね。薬師でありながら術を使い、しかもあの距離感——「大好きだよ」を軽く言えるのは、やっぱり只者じゃない。元貴が「永い時を生きてきたかのよう」と感じるのも分かります。そしてラストに出てきた滉斗さんとの自然なやり取りも、逆に涼架さんの「何か」を際立たせてる気がします。元貴が過去と無意識に繋がっていく伏線、うまいなあと。続きが気になります。