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(2)個人の欲と素朴な愛情の卵

 人間などの生命の意思は表面上、風土の空気で包み込まれると、いつからか真実の愛らしい形、心の様に変化する。だけれどその心には愛情などの中核をあまり多く持ちすぎない事がその心持ちなどを大事にすることになると思われる。

 なぜならそれは人などはその愛情に触れられ易くなると、心に大海の様な愛情と欲が生じるからである。

 その様な成果を出す様は幸せの積み重なった、愛情の溢れたような時代とは呼べるものの、人間の真の愛情としては停滞時代とも呼べるかもしれない。

 それを体験してきた日本の社会では、愛情に無関心ともとれる背景がどこにでも認められる時代もあった。で、ありながらも人々は生命の愛情を認めても、それこそ、人聞き悪くない形までその愛情を安定させることが健常な人間らしい所作であり精神性である。

 その上で成り立ってきた近代日本の、心の平穏の冷却期間とも感じ取れる社会を越えたところに、平和な本当の社会が待っているのである。それは欲の出すぎた愛情を律することで、その時代その時代に表れる常識に則した日常観を体験できる人間が、人間らしい生活をおくれる社会なのである。

 そこに無理矢理、言葉の真意から来る心の中を探る事は他者には言語では発言せず、発言したとしても考慮して、他者には判断の鼻を効かせない様にする事が健常な精神性である。

 ただしそれが必須なのは幽霊がいた場合でもあるのです。それは幽霊とは今まで律する事を苦手としていたのだったら判断力に乏しいからです。 もし幽霊がいるのであればその存在達を消滅させない為に律する精神がすべての存在に大事な事になるから。

 もし、幽霊がいないのであればその所作は必要なくなるのでしょうけれど。

 幽霊はもし人に余計になる程、人の判断力を軽んじていたり、逆に負担になるほど嘘偽り虚言により人以上の存在としていた場合、人などの生命に迷惑をかけてしまう恐れがあるからです。

 幽霊がいた場合のみに言える事ですが、何故そうしなければいけないかと言いますと、人間が根本的に生まれる以前から生じた、心から生じる愛に、異常さと健全さを見極めなければならないからです。それは人に影響力を与える幽霊がいた場合にのみ言える事です。

 それは人間の世界から幽霊の世界、幽霊の世界から人間の世界の幸せや不幸を閉ざし易い常態になるでしょう。だが、その様な生活感が、より、自分の幸せを認める心の卵の様な期間で、みんな殻に閉じこもり、ほっこりするのである。

 自己や個人を最優先する、させる感覚でじんわり優しさや心地好さを感じ取り、それを日常の幸せと見なして、人それぞれ、と自分や他者に適度な距離をおき色々な生命に必要不可欠な壁を認め易くなるからです。それが個々の健常な精神性を生むからです。

 他人に対する優しさは嬉しい事だし、世界の平和、地域の平和に繋がるが、後々誤解を生んだりストレスを伴うので、優しさとは自分の心の中で育み見せない事が大事になってきます。

 つまり人間などに必要なのは自分自身の心には優しさを感じ、人の心には愛情を感じる事であります。

 自分に優しい言葉や考え方を持つのも、自分への優しさであり、愛情の偽りの無さである。

 誰かに厳しい発言をするのはストレスの発散でもあるし、相手と自分の判断力を言葉によって交換する事でもある。

 判断力を鈍らせる愛情とは本当の愛情では無いのである。そこに判断力がある理由は生命の経験に命としての記憶の仕組みから生じた判断力である。感覚以上、仕組み未満のものである。 それで最後まで納得するのも良し。それが個人だけでは無く、世界平和への優しい気持ちの在り方なのかなと思える。そこには判断力の変化や魂の交代の優しさとは他者に認める事ではないのかもしれません。優しさとは自分に対して褒めてあげる為の感情かもしれません。そしてもし他者にあげるものがあるならばそれは魂ではなく愛情の形でしょう。

 それとは対象的に、外界からの刺激を具体的に優しさの形として求めることも大事だし、論拠に拘りすぎないことが、思考のパターンに陥り難くするし、愛情の奈落にはまり難くする。

ーー他者への優しさとは、うっすらとオブラートに包む心と行動力の優しさも大事だが、それもいっときで欲に変わり易い。

 優しさはあまり考えすぎないのは元より、与えすぎない、見せすぎない方が良く、何事も決めつける事がいきすぎにならない常態が大事である。

 それと、愛情とは思考の習慣が付くと異性の軽さ重さを重要視した感情を抱く事などが大事になる。その思考の習慣を軽んじない事が良好な精神状態であるし、その事に理性を感じ易くなれば自分が人として優しいものだと思える。

 それは発想の自由さは行動の制限で生じるからである。 そこで本当の理由の無いような愛情が生まれる。

 何故ならば、それは愛情といった感情のたかぶりを心と行動力の軽さで誤魔化さない事になるから。 優しさとはたかぶる事だけが優しさじゃない。本当の優しさとはたかぶる事だけではない。 個人を中心として、何事も判断をして、それを意識的にも無意識的にも心の壁を個人個人分け隔てながらも平等に感じられるように分割するのが本当の優しさであり、愛情の根元である。


 優しいとは愛情でもあるが、自分が優しい人と気付くのは自分のことなので普段から意識していれば、割りと難しい様で簡単なのである。けれども、その為に優しさとは欲に変わり易くあるので、それゆえに自分を律する心の時間が大事なのである。

 だが若いうちは優しさが相手に行動や発言や心で伝わらない事にもどかしさを感じ、気付きにくいので、攻撃に転嫁し易い。

 だから愛情は難しいのである。

 心は見えない、見えずらい、聞こえない方が良い、普通の優しさが大事なのである。

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