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遥は黙っていた。肩に置かれた日下部の手を、拒むでも、掴むでもなく、ただ受け入れていた。
その手が温かいと感じてしまった自分が、悔しかった。
(……なんで、そういう触り方すんの)
触れられるのなんか慣れてる。
知らない男の手だって、ずっと、ずっと前から。
熱も、声も、爪も、皮膚も、傷も、当たり前に刻まれてきた。
だけど。
今、そこにある“ただの手”が、いちばん怖かった。
「……やめろよ。優しくすんなよ」
遥がつぶやいた声は、低く、荒れていた。
怒ってるわけじゃない。
怒れるなら、もっと楽だった。
「そうやって触るなら、いっそ、押し倒せば?」
視線をそらさず、言い切る。
「オレ、されるの慣れてるし。痛いのとか、別に平気だし」
睨むような、笑うような――崩れた表情だった。
「そういうの、すぐやれるよ。どうせそういう役だし。
“拒まない”から、便利だったんだよ。全部」
日下部は、何も言わなかった。
ただ、その手を――遥の肩から、そっと離した。
「……だから、やれって言ってんだろ」
遥の声が少し上ずった。
「触れよ、早く。じゃなきゃ、意味わかんねぇじゃん……なんで、そばにいるのか。なんで、こんな優しいのか」
そのときだった。
日下部が一歩近づいた。
遥が反射的に、肩を引いた。
けど、そのまま日下部は、額を遥の額にぴたりと寄せた。
「それで、俺に嫌われたらよかったの?」
言葉が、突き刺さる。
遥のまぶたが、わずかに揺れた。
「そうやって、“ひどいことされた方が安心する”の、やめろよ」
日下部の声は、低かった。でも怒っていなかった。
ただ、必死だった。
「壊されることで、自分の価値がわかるなんて、おかしいだろ」
「……おかしくない」
遥は即答した。
かすれた声だった。
「おかしくなんか、ない……それしか、知らないだけだよ」
そして、笑った。
「どうせ……どっかでみんな壊す。壊すって決めてる。
“いい子”のまま愛されるとか、そんなの、もう信じてない」
言いながら、遥は気づいていた。
いま、自分が泣いていないことに。
でも、心が、すこし軋んでいることに。
この人は、触れてこない。
奪ってこない。
だからこそ、遥の中の「正しさ」が壊れていく。
それが、怖くて仕方がなかった。
(……こわすつもりだったのに)
触らせて、幻滅させて、いつものパターンで、終わらせるはずだった。
でも、日下部は、壊されなかった。
遥の方が、崩れていた。