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教室の隅、夕方。部活の声も届かない放課後の静けさが、ガラス窓にへばりついていた。
遥は、日下部と並んで座っていた。
無言で、少しだけ、距離が空いている。
触れ合わない指。交わらない視線。
でもそれは、拒絶でも敵意でもなく、ただ“何もない”だけだった。
「……なあ」
日下部が不意に声を出した。
遥は振り向かない。
ただ、まつげの奥がわずかに揺れた。
「このままで、いい?」
その問いに、遥は一拍置いてから、かすかに笑った。
声は出さずに、空気だけが笑った。
「何が?」
「……お前が、つらいって、わかってるのに。オレが、何もしないでいること」
「……つらくないよ」
遥の声は平坦だった。
感情を均したアスファルトみたいな声。
でも、指先が机の下で握られているのを、日下部は気づいていた。
「なんで……なにも、しないの?」
それは問いというより、遥自身の呻きに近かった。
目は笑っていた。
でも、目の奥は、見えないほど遠かった。
「触れてくれないと……オレ、わからない。なにかされないと、生きてる気がしないんだよ」
日下部の肩が、かすかに動いた。
でも、手は伸びない。
遥はそれを見ていた。
見て、理解して、飲み込んで、それでも――壊れかけた声で言う。
「なにもしないのが、一番つらい。
なにもしないってことは……オレには、なにもないってことだろ?」
震えた声じゃなかった。
泣いてもいなかった。
ただ、底なしだった。
日下部は唇を噛んだ。
拳が固く握られたまま、机の上で微かに震えている。
でも、言葉がすぐには出ない。
怖がっているわけじゃない。
ただ、「どうすればいいのかわからない」だけだ。
それでも彼は、椅子を引き、少しだけ遥のほうへにじんだ。
そっと、自分の肩を、遥の肩に預けるように重ねた。
それだけだった。
それ以上のことは、しなかった。
触れるでも、抱くでも、慰めるでもなく。
ただ、隣にいる――それだけ。
遥は何も言わなかった。
ただ、しばらくして、肩に少しだけ重みを預けた。
その重さは、痛みでも、試しでもなかった。
ただ、“生きている”ことの、証明みたいなものだった。