テラーノベル
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放課後、かなたは部活を終え、制服に着替えてから寮の部屋に戻ってきた。
ドアを開けると、すでに中にはトワがいて、ベッドの上に座ったままスマホをいじっていた。窓から射し込む夕陽が、彼女の横顔をやわらかく照らしている。
「……おかえり」
「ただいま〜。ねえ、シャワー先いい?」
「うん。汗臭かったらこの部屋にいられないしね」
「うわ、ひっど〜!」
そう言いながらも、かなたの表情はどこか楽しげだった。
いつもの、ふたりの、他愛もない会話。それがかなたにとって、どれほど安心できる時間なのかは、トワもよくわかっていた。
シャワーの音がしばらく続いたあと、バスタオルで髪を拭きながら戻ってきたかなたは、着替えたてのパジャマ姿でふにゃっと笑う。
「ふぅ〜〜。生き返った〜。……あ、トワも入りなよ?」
「あとで入る」
「一緒に入ろうよ〜」
「またそれ?」
「冗談、冗談」
ベッドにちょこんと座り、かなたは枕を抱えて体を丸めた。
その後ろ姿を見つめながら、トワはふと、スマホの電源を切った。
「じゃ、トワも体洗って来ますか。」
「でもその前にと、」
普段はツインテールに結んでいる髪を今日は下ろし、まっすぐに伸びたロングヘアが肩や背中でさらさらと揺れている。自然なストレートヘアが光を受けてやわらかく輝き、その姿はどこか大人びた雰囲気さえ感じさせた。
そんな髪を時折かきあげながら、彼女は机に向かって静かに勉強をしている。といっても、難しい問題を解いているわけではない。手元のノートに、要点や気づいたことを自分なりにまとめているだけの、いわば整理の時間だ。それでも、真剣なまなざしと丁寧な字からは、学ぶことに対する誠実な姿勢が伝わってくる。
( 勉強してる…ちゃんとしてるとこ、あんじゃん )
「ト〜ワ、なんの勉強してんの。」
「三角関数。」
「さん…かくすう? あー、あれか、sinとかcosとかtan?」
「そうそう、あとは部活の復習ノートかなあ。」
「偉すぎ!陸上とかって何するの?」
「フォームの安定とか、ピッチとか、あとは……リズムの取り方? まあ、いろいろ」
「……へぇ〜。トワって、頭も体も使ってるんだね〜。そりゃモテるわけだ」
「なにそれ。バカにしてんの?」
「してないってば〜、褒めてるの!」
そんな会話を長々と続けていれば、もうこんな時間に。時計の針が12を指していた。ふたりは急いで自分のベッドに横たわり、**「おやすみ」**と言って眠りに落ちた。
静かな夜が明けて、朝の光がゆっくりと窓のカーテンの隙間から柔らかく差し込んできた。まだ部屋は薄暗く、外の世界は目覚め始めたばかりだ。トワはまどろみの中でゆっくりと目を開ける。隣にいるかなたの寝息は、まるで波のように穏やかで、一定のリズムを刻んでいる。彼の存在が彼女の心に静かな安心感を与え、胸の奥で温かく柔らかな感情が広がっていくのを感じていた。
( ……今日も、ここにいるんだ )
トワの心の中に、小さなけれど確かな喜びが静かに芽生えた。普段は強気で、時には素直になれず、口を尖らせてしまうことも多い自分が、こうして誰かのすぐそばで穏やかな朝を迎えられるという事実。それはまるで、まるで自分でも信じられないような、ささやかな奇跡のように感じられた。
( なんだか、不思議だな…… )
彼女は静かに毛布の端を握りしめ、心の中で小さく呟いた。普段なら気付かない、こんな小さな幸せに気づける自分がそこにいた。
( トワは、もっと強くならなきゃって思ってた。でも、本当は、こういう時間も大事なんだな…… )
そう思うと、彼女の頬にうっすらと笑みが浮かび、温かい光が胸の内を満たしていった。
その時、かなたもゆっくりと目を覚まし、眠そうな目でトワの顔を見つめて微笑んだ。
「おはよう、トワ」
「おはよう、かなた」
ふたりの声はまだ少し眠そうで、けれど昨日よりも少しだけ柔らかく、優しい響きを持っていた。ふたりは自然と手を取り合い、そのまま新しい一日を迎える準備を始める。
トワはゆっくりとベッドから起き上がり、背伸びをする。伸ばした腕の先から指先まで、朝の冷たい空気が肌を通り抜け、体がすっと目覚めていくのを感じる。
部屋の窓を開けると、爽やかな朝の風がカーテンを揺らし、外からは鳥のさえずりが聞こえてきた。空は淡い青色に染まり、まるで今日が何か新しいことの始まりを告げているかのようだった。
彼女は洗面所へ向かい、顔を洗うと水の冷たさが心地よく、頭の中までシャキッとする気がした。鏡に映った自分の顔を見つめてから、髪を手ぐしで軽くとかす。ツインテールをほどいてから結び直す前の、長くて自然なストレートヘアが再び顔の周りにふわりと広がる。
「はあ、今日も頑張らなきゃ」
小さな決意が胸の奥で芽生えた。
朝食を済ませたあと、トワは部活のユニフォームに着替える。陸上部の部ティーは動きやすく、どこか背筋が伸びるような気がして彼女を引き締めた。
外に出ると、朝の澄んだ空気が肺いっぱいに広がる。まだ人通りの少ない校庭には、すでに何人かの部員たちがウォーミングアップをしている姿が見えた。トワは自分のペースでゆっくりと歩きながら、今日の練習メニューを思い返していた。
( 今日はスタミナ強化のための長距離走だって言ってたな… )
ほどなくして、彼女はグラウンドに到着。青空の下、芝生の緑が一層鮮やかに輝いて見えた。トワは深呼吸をして、ゆっくりと体をほぐし始める。
「よし、今日も全力で走ろう」
そう自分に言い聞かせながら、彼女はスタートラインに立った。
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