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「失礼します。急ぎノア様にお伝えしたいことがあります」
王族でなくとも、お膝抱っこでデザートを食べさせ、食べているカップルの前に立つのは、相当の勇気が必要になる。
しかし、この場の空気を読まずに淡々と言い放ったメイドのフレシアは、口では「失礼します」と言っておきながら、まったく悪びれた様子はなかった。なかなかの猛者である。
「ノアに急ぎの用?……いいよ、ここで伝えて」
アシェルは感情の無い固い声でフレシアに発言の許可を出すが、不機嫌になっているわけではない。
ノア以外の人間に接するときは、いつもこうだ。いや、官僚に向けて発言するときは、もっと突き放すような口調になる。器用に声音を使い分ける男なのだ。
アシェルが甘えた声を出すのも、寂しそうな声を出すのも、気遣う声を出すのも、全部ノア限定なのだけれど、残念ながら向けられた側の人間であるノアはそれに気付いていない。
今は手にしているマカロンを皿に戻すか、証拠隠滅的なノリで自分で食べてしまおうかと、真剣に頭を悩ましている。
「ノア」
アシェルからとんっと腕を軽く叩かれ、ノアは、はっと我に返る。
意識を他所に向けずに、ちゃんと話を聞けということらしい。
「今しがた、グレイアス様がお戻りになりました。予定より早く帰還できたので、ノア様の授業を今からできるという伝言をたまわりました。いかがいたしましょうか?」
フレシアが淡々と告げたそれは、グレイアス先生の優しい心遣いからくるもので、トラブルが早く片付いたのは何よりだ。
でも、ノアは嬉しくない。
戻ってすぐに、授業を始めようとするグレイアスは真面目すぎる。
せっかく早く終わったのなら、どこかでお茶飲んで帰るなり、なんか買い物するなり、森の中でキノコ探すなりして、自分へのご褒美を与えていいと思う。
そういうちょっとした自分への甘やかしが、ストレス無く生きていける秘訣だとノアは思っている。もちろん、思っているが口には出せない。
「ノア、どうする?今日はお休みでもいいよ」
黙ったままでいるノアを気遣い、アシェルは思わず飛びつきたくなるような提案をしてくれる。
しかし、ノアが口にした言葉はこうだった。
「……い、い、い……行きます」
嫌です。行きたくないです。いえ……やっぱり、行きます。
口を動かしながら葛藤したけれど、ノアはグレイアス先生のありがたい授業を受けることを選んだ。
行くと決めたら、すぐに行動するのがノアである。
「では殿下。お茶の途中ですが、失礼します」
ぺこりと頭をさげてから、ノアはアシェルの膝から降りようとしたが、降りられない。見た目よりも太い腕が、お腹に絡まっているのだ。
「ノア、私はまだマカロンを食べてないよ」
──食べさせてくれなきゃ、降ろさないよ。
耳元で囁かれた言葉に、ノアはぴきっと固まった。
マカロンを”あーん”する件は、ノアの中では終わったことになっている。
(えええー……それやっぱ、やるのぉー)
声にこそ出さないけれど、授業を受ける代わりに、ギャラリーがいる場で殿下へデザートを食べさせるお仕事は、チャラになったと自分の中で思い込んでいた。
「ノア様。お早く、どうぞ」
追い打ちをかけるように、フレシアが非情な言葉をノアに向ける。
(ああっ、もうやるしかない!)
覚悟を決めたノアは、無言でアシェルの口にマカロンをねじ込むと、そのままダッシュでグレイアスの部屋に向かった。