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ナーシャの祖母の生家は、ルオン公爵家。 今のルオン公爵は、祖母の甥に当たるのでナーシャの従兄伯父になる。
従兄伯父には、ナーシャより2歳年下の嫡男がいて、彼は確かリリアと同じ学年だ。
彼を遠目に見た事はあったが、親戚であるはずなのに、挨拶等親しく交わした事はなかった。
シンシアの家に泊まった次の日、リリアはまたしても先に帰った。シンシアが今日も泊まったらいいと誘ってくれたが、今日はオリジエル侯爵家からの迎えが、20分ほどでやって来た。御者が同じなのは、彼が急いで引き返してくれたのだと思われる。
「シンシア、ありがとう。今日は大丈夫みたい」
「そうね、《《今日はね》》。まぁ明日の朝、またあの訳のわからない芝居を見せられるのも不快だし」
シンシアが、少し強めにナーシャの手を握って励ましてくれるのが分かる。その時にナーシャは思い出したようにシンシアに封筒を渡す。
「シンシア、ごめんなさい。これ預かってもらってもいいかしら?」
卒業資格試験の書類を持ち帰る事に、ナーシャは躊躇した。本当は家に帰って記入しようと思っていたが、昨日外泊しているナーシャは、今日侯爵家で何があるか分からないと、不安に思ったのだ。それに、まだ公爵家からの返事がない為、書類を提出するのも躊躇われる。
「分かった。預かってまた明日持ってくるわ。書けるなら学園で書いてしまいましょうよ」
シンシアの言葉にナーシャは頷いて、侯爵家の馬車に乗ろうとすると、御者がさっと手を差し伸べてくれた。リリアが入学するまでは、毎日この手が馬車の乗降に手を貸してくれていた。でもリリアが一緒に馬車を使うようになると、決まってリリアが邪魔をして、最近は彼が手を差し出す事はなくなっていた。
「お嬢様、昨日は申しわけありませんでした」
ナーシャが馬車に乗り込むと、外から御者が頭を下げる。
「大丈夫、分かっているわ」
おそらく、引き返すのもリリアが邪魔をしたのだろうと、直ぐにわかった。今日は侯爵が命じたのでリリアはなにも言えなかったのかもしれない。昨日シンシアの家に泊まることになったナーシャが、何故そうなったのかを知り、他家にオリジエル侯爵家の事情を知られる危機感を漸く考えたのだろう。
それにしても、どうしてリリアは執拗にナーシャを排除しようとするのか、何をしてもしなくても、元々ナーシャは父や兄とは距離ができていたというのに。彼女の気持ちがわからずに、ナーシャは睫毛を伏せて小さく嘆息した。
◇◇◇
侯爵家に着く。
エントランスにリリアがいるような気がして、ナーシャは玄関ポーチで少し指先をギュッと重ねて身構えてしまう。扉が開くのが怖かったのだ。|リリア《彼女》からの言葉は、いつも言いがかりが多い。気にしなければいい、そう思ってもナーシャは傷ついていた。何故なら彼女の言葉をこの家の誰も否定しないからだ。
「お義姉様は意地悪」
「お義姉様はきつい言い方をする」
「お義姉様は何でも持っている」
「お義姉様は我儘に振る舞う」
リリアは実母の再婚後に出来た娘だから、血縁上では異父妹である。ましてやオリジエル侯爵家に養女として迎えられた為、戸籍上でも義理の姉妹になった。
複雑な身の上の義妹と仲良くしようと思っていたナーシャだったが、リリアにはこの家に来た当初からその気はなかったように思われる。
その理由が何なのかナーシャには分からない。
父と兄が自分を疎ましく思っているのは、祖母に懐いていたからだと分かった。わかったが、どうして祖母に懐いていたから疎まれるのか、二人のその心情はナーシャには理解はできない。
理解のできない3人の住む、オリジエル侯爵家の玄関を見上げて、ナーシャは益々この家を出る事を切望する。
「お開けしてよろしいですか?」
体が強張るナーシャを気遣いながらセリナが、声をかけてくれた。そこで、もう一つ息を吐いて、ナーシャは頷いた。
そこには誰も居なかった。
オリジエル侯爵家の娘が、帰宅したというのに、使用人の一人も出迎えがない。
その現実に、ナーシャから乾いた笑みが溢れていた。
「無駄に緊張したわ」
扉を開けてから、後ろに回ったセリナにそう言うと、
「職務怠慢ですね。記録します」
と彼女は言ったが、何に何の為に記録するのかはナーシャには分からなかった。
ただ、その言葉が何故かナーシャには心強く感じて、強張っていた体が解れる気がする。
ナーシャは胸を張り、しっかりと前を向いて自室へと歩を進める。
まるで、今から戦いに臨むように⋯。
自室の異変にはすぐに気が付いた。
ナーシャが学園に行くようになってから、毎日のようにリリアは無人のこの部屋を訪う。彼女はこっそりと入るつもりはないようで、いつも堂々と主張している。
机の上のブックエンドに置かれた本が、重ねて置かれていたり、クローゼットからドレスの端が少しはみ出て挟まれていたり、花瓶に挿していた花が全て無くなったりと様々だった。
だが今日は、パッと見た限り《《何も変化がない》》。
何事もない事が異変だと感じるほど、ナーシャはリリアに部屋を侵食されていたのだ。
「変わらないわ⋯⋯よね?」
「⋯⋯⋯そうです、ね」
ナーシャの戸惑いの問いに、セリナも戸惑いながら返事をする。
部屋をぐるりと見渡しても、一昨日の朝部屋を出た時と変わらないように思えた。
何となく拍子抜けしたナーシャは、思わず自室に置かれたソファに座り込んだ。
「お茶をお持ちしますね」
セリナが労るようにナーシャに声をかけて、頷いた時、ノックの音が部屋に響く。
「はい」
「旦那様がお呼びです」
廊下から聞こえた声は、ナーシャの帰宅を出迎えなかった家令の声だった。
コメント
3件
うわ、第7話…読んでて胸がギュッとなったよ…。 ナーシャが自分の家なのに「帰宅したのに誰も出迎えがない」ってところ、本当に辛いね。リリアのいじめが日常化してて、部屋が荒らされていないことに逆に違和感を覚えるって、どれだけ心をすり減らしてるか伝わってきた…。 セリナが「記録します」って言ってくれたのが、唯一の救いというか、ナーシャの心の支えになってて、そこが温かかった💧 次、父に呼ばれてどうなるんだろう…心配でたまらないよ。 marukoさん、この重くて繊細な空気感、すごく丁寧に描けてる…!