4月某日
槇村内閣総理大臣臨時代理を始めとする、要人を乗せた車列は、首都高速湾岸線を横浜へ向けて走っていた。
前桂木内閣閣僚の全員が、東京ジェノサイドの犠牲となった今、財務大臣には桂木内閣時、共に連立与党を組んでいた公民党党首服部巌。
広報官には少数野党、ロストジェネレーション世代を考える会党首、堀内実が就任した。
与野党幕の内内閣と揶揄された槇村内閣にあって、堀内の起用は世間を賑わせた、
極右政党を代表する若干38歳の堀内は、ニュークリア シェアリングを推奨する会の副会長を務めていた。
そんな男に、白羽の矢を当てたのは政務秘書官の倉敷史郎で、交換条件に会の役職を辞任する旨を伝え、本人も了承した。
一方の服部は、元は証券会社のサラリーマンで、大蔵大臣だった父の地盤を継いで議員になった、
槇村の出身大学の先輩で、昔は草野球を共にした仲だった。
槇村の内閣改造は、2歩を打つ輩と評論家からは言われていた、
しかし、人材損失の影響は計り知れず、総理の重責に耐えられなくなった槇村は、倉敷を官房長官に据えて、共に内閣をつくりあげたのだ。
槇村は、己の非力さを実感した。
槇村の隣では、秘書の久保キリカが座っていた。
車列は間も無く大井埠頭へと差し掛かる。
「久保さん…」
槇村が唯一心を許せる人間が、久保キリカだった。
無機質に見える人間、それでもキリカが時折見せる表情には人情が垣間見えた。
槇村は、そういう人間が好きだった。
「はい」
いつも通りのキリカの声に、槇村は安堵して言葉を続けた。
「倉敷を、君はどう思う?」
「それはどう言う意味ですか?」
「いや、人としてさ」
「人としては判りません、ただ、優秀な策士ではないでしょうか」
槇村は笑った。
キリカは、ぎゅっと真一文字に唇を結んでいた。
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