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騒動の夜
私たちは、あのタワーマンションのリビングにいた。
会社での一件は、涼さんの圧倒的な根回しと「一目惚れだった」という宣言により
いつの間にか『情熱的な専務の略奪愛』という美談にすり替わりつつあった。
けれど、私の心はまだ震えている。
「琴葉さん、おいで」
ソファに座る涼さんに呼ばれ、私はおずおずと彼の隣に腰を下ろした。
涼さんはテーブルの上に、一枚の紙を置いた。
それは、私の印鑑が押された、あの『契約結婚合意書』の原本だった。
「涼さん……」
「…これを書かせた時の自分を、今は殴ってやりたいくらい後悔しているよ」
涼さんは苦笑いしながら、手にしたライターの火をその紙に近づけた。
オレンジ色の炎が、一瞬で「月三十万の報酬」や
「私生活への干渉禁止」といった無機質な言葉を飲み込んでいく。
灰になっていく契約書を見つめながら、私は急に心細くなった。
「これで……、私たちはもう、他人……なんですね」
思わず零れた涙を、涼さんの温かい指先が掬い取る。
彼は私の肩を抱き寄せ、逃げられないように正面から見つめてきた。
「他人なわけないだろう。……契約婚が終わったなら、本物の婚約をしよう」
涼さんの声が、今まで聞いたことがないほど深く、甘く響く。
「最初、君を選んだのは確かに打算もあった。でもね、琴葉さん。……君が一生懸命に働き、時に悩み、それでも前を向こうとする姿を見るうちに、気づけば君のことばかり考えている自分がいたんだ」
彼は私の左手を取り、まだ何も飾られていない薬指に、そっと自分の唇を寄せた。
「月三十万の報酬で君を縛るなんて、今の僕には耐えられない。……これからは、僕の生涯を君に捧げさせてほしい。報酬じゃなく、愛として」
「……僕と結婚して欲しい」
それは、完璧なスパダリによる、あまりに誠実で不器用なプロポーズだった。
「はい」と答えるより先に、私は彼の胸に顔を埋めて泣きじゃくっていた。
「……っ、私、でいいんですか? 何も持っていない、平凡な私で……」
「何も持っていないなんて言わないで。君は、僕の心をいつも動かしてくれる」
涼さんは愛おしそうに私を抱きしめ、何度も何度も、髪や額に柔らかなキスを落とした。
「……泣き止んで。契約が終わった今日からは、もう『専務』の仮面は被らないよ? 君が呆れるくらい、四六時中愛し抜くつもりだから」
彼が私の顎を持ち上げ、ゆっくりと顔を近づけてくる。
重なる唇から伝わってきたのは、嘘も契約もない、心からの熱量。
冷徹だったはずの王子様が、私一人のために見せる、とろけるような独占欲。
私たちは今、本当の意味で夫婦になった。
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#ワンナイトラブ
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